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ヒトiPS細胞に発現しているタンパク質を世界最大規模で網羅的に検出-iPS細胞の多能性機能解析のための第一歩

2012年12月7日

 石濱泰 薬学研究科教授の研究グループは、中川誠人 iPS細胞研究所(CiRA)講師、山中伸弥 同所長・教授の研究グループと共同で、ヒト人工多能性幹(iPS)細胞中の全タンパク質(プロテオーム)に対し、独自の計測システムを用いた発現解析をおこない、約1万種のタンパク質の発現量プロファイルを取得することに成功しました。本研究により、従来の遺伝子発現情報に加え、細胞機能を直接制御しているタンパク質の発現情報が入手可能となったことから、今後ヒトiPS細胞の様々な機能解析が加速するものと考えられます。この成果は、ヒトiPS細胞研究の基盤となるものであり、基礎研究だけではなく、将来の臨床応用に向けた研究にも幅広く貢献することが期待されます。

 本論文は、アメリカ化学会誌「ジャーナル・オブ・プロテオーム・リサーチ」のヒトプロテオームプロジェクト特集号電子版で公開されました。

概要

 本研究グループは、独自で開発したタンパク質大規模計測技術を用いて、ヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)中に発現しているタンパク質全体(プロテオーム)を世界最大規模で網羅的に解析することに成功しました。ヒト線維芽細胞中のプロテオーム発現プロファイルと比較することにより、今回同定された9510種のタンパク質のうち、約25%にあたる2366種のタンパク質はiPS細胞選択的に発現していることが分かりました。この中には、遺伝子からタンパク質への転写過程に関わる転写制御タンパク質が集中しており、そこには人工多能性を誘引する山中4因子やすでに多能性マーカーとして知られているタンパク質群も含まれていることが確認されました。本研究では、いままでタンパク質レベルではその存在が確認されていなかった1091種のタンパク質の発現があらたに確認され、その中にはiPS細胞選択的に発現し転写制御機能を有する多能性マーカー候補タンパク質も含まれていました。本研究で用いた計測システムは、従来のものに比べて50分の1以下の試料量で3倍の高速測定が可能でした。また取得されたiPS細胞中のタンパク質発現プロファイル情報は世界最大規模であり、本研究の成果によって、今後ヒトiPS細胞の様々な機能解析が加速することが期待されます。

背景

 タンパク質は細胞の機能制御の主役であり、機能解析をする上でその全体像(プロテオーム)を捉えることは必須です。しかしタンパク質の設計図であるゲノムや遺伝子に比べるとその計測は非常に困難であり、ヒトゲノムやヒト遺伝子が明らかになった現在でも、ヒトタンパク質の全貌は分かっていません。このヒトプロテオームのすべてを明らかにすることを目的としたヒトプロテオームプロジェクトが、現在ヒトプロテオーム機構による国際プロジェクトとして進行しています。石濱教授らはこのヒトプロテオームプロジェクトの日本チームの一員であり、大規模プロテオーム解析のための独自の計測システムの開発に取り組んできました。今回の研究では、自家製のメートル長キャピラリーカラムを用いる独自のナノ液体クロマトグラフィーータンデム質量分析(nanoLC-MS/MS)システムである「ワンショットプロテオミクスシステム」を用いて解析を行いました。

 iPS細胞は山中教授らによる発見以来、多くの研究者らによってその多能性獲得や多能性維持機能の研究が行われていますが、いまだにその詳細なメカニズムは明らかになっていません。研究チームは、iPS細胞機能解析に必須の基盤情報であるタンパク質の発現量情報の取得を目的とし、iPS細胞とその誘導前にあたるヒト線維芽細胞中のプロテオームプロファイルとの発現比較を行い、iPS細胞の発現プロテオームプロファイルを明らかにしました。さらに、情報学的検討を加え、その特徴付けを行いました。

研究手法

 CiRAにて樹立されたヒトiPS細胞5株および対照試料としてヒト線維芽細胞3株を用意し、研究グループが開発した独自のプロトコール「相間移動可溶化法」を用いてタンパク質を高収率で抽出しました。更に消化酵素トリプシンで処理してペプチド試料溶液を調製しました。nanoLC用カラムとして、内径0.1mm、長さ2mのガラス製毛細管内部にシリカモノリスと呼ばれる多孔性連続構造体を重合反応により調製しました。このカラムをnanoLC-MS/MS装置に搭載したワンショットプロテオミクスシステム(図1)を用い、ペプチド試料を前分画なしで1試料あたり10時間かけてゆっくりとnanoLCからMS/MS装置に溶出させて直接計測しました。得られたデータを情報学的手法により解析し、それぞれの試料溶液に含まれているタンパク質を同定・定量しました。


図1 ワンショットプロテオミクスシステム

研究成果

 ヒトiPS細胞5株および線維芽細胞3株より合計9510種のタンパク質を同定することに成功しました(図2)。これは現在報告されているiPSプロテオーム研究としては世界最大のもので、従来のものよりも50分の1以下の試料量で3倍の高速測定が可能でした。


図2 本研究で同定されたタンパク質数

 次に、それぞれの細胞株におけるタンパク質発現プロファイルについて、お互いにどのくらい似ているかを調べるため、クラスター解析を行いました(図3)。その結果、iPS細胞同士、線維芽細胞同士はとてもよく似ており、iPS細胞と線維芽細胞では約40%のタンパク質がどちらかに選択的に発現していることが分かりました。そこで、どのようなタンパク質が選択的な発現パターンを示すのかを調べてみると、転写制御に関わるタンパク質がiPS細胞により多く発現していることが分かりました(図4A)。このグループには人工多能性を誘引する山中4因子やすでに多能性マーカーとして知られているタンパク質群も含まれていることが確認されました。本研究では国際ヒトプロテオームプロジェクトの一環として、タンパク質として今まで存在が確認されていなかった6244種のタンパク質についても注目して解析をすすめたところ、1091種のタンパク質の発現を確認することができました。そのうち、転写制御機能を持ち、iPS細胞選択的に発現している5種類のタンパク質が同定されました。そのほか遺伝子解析では解析不可能なタンパク質の翻訳後修飾に関わる情報に注目し、糖(グリコシル化)(図4B)、メチル化(図4C)およびリン酸化(図4D)について調べてみたところ、糖修飾については線維芽細胞で、メチル化についてはiPS細胞でより亢進していることがわかりました。なお、リン酸化酵素キナーゼ全体では明確な分布の偏りは見られませんでしたが、個々のキナーゼについてはどちらかの細胞に偏ったものも観測されました。


図3 タンパク質発現プロファイルのクラスター解析結果


図4 選択的なタンパク質の発現例

今後の期待

 本研究では、世界最大のヒトiPSプロテオーム情報を取得することに成功し、そのプロファイルを明らかにしました。これらの成果はヒトiPSプロテオーム研究の第一歩となるもので、研究チームではさらに翻訳後修飾プロテオーム解析等を進めていく予定です。これらの情報はヒトiPS細胞の様々な機能解析を行う上での基盤情報となるものであり、iPS細胞研究全体が加速することが期待されます。

用語解説

プロテオーム・プロテオミクス

プロテオームとは、プロテイン(タンパク質)とオーム(総体を表す接尾語)をつなぎ合わせた造語で、個々のタンパク質ではなく、タンパク質全体を表す。プロテオミクスはプロテオームを研究するための技術もしくは研究分野を表す。

ヒトプロテオームプロジェクト

ヒトプロテオーム機構(Human Proteome Organisation, HUPO)によって推進されている国際プロジェクト。2010年10月開始。遺伝子解析によってその存在が予測されていながらもタンパク質として発現していることがいまだに確認できていない約6000種の「missing proteins」の同定を当初の目的として開始されたが、現在はより疾病に焦点を当てたプロジェクトも進行中。日本チームは日本ヒトプロテオーム機構(JHUPO)を中心に共同研究を展開中。2012年12月にJournal of Proteome Research誌より特集号が発行され、本研究をはじめとしたプロジェクトの成果が各国より発表される予定。

ワンショットプロテオミクスシステム

研究チームが2010年、世界に先駆けて発表したプロテオミクス解析システム[1]で、nanoLC-MS/MS装置に超高分離能を有するメートル長カラムを装着し、数10時間かけてペプチド試料を分離しMS/MS測定するもの。従来のシステムでは必須であった試料前分画過程が全く不必要となる。

[1] Iwasaki et al., Anal Chem. 2010 Apr 1;82(7):2616-20.

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業・基盤研究 (A) 課題「分子標的創薬に向けたリン酸化ネットワーク基盤の解明」(2012~2014年度/代表者:石濱泰)、新学術領域「生命素子による転写環境とエネルギー代謝のクロストーク制御」公募研究課題「マルチ翻訳後修飾プロテオミクスによる代謝・転写システムの大規模解析」(2012~2013年度/代表者:石濱泰)の一環として行われました。

論文タイトル・著者

[DOI] http://dx.doi.org/10.1021/pr300837u

"Rapid and Deep Profiling of Human Induced Pluripotent Stem Cell Proteome by One-shot NanoLC-MS/MS Analysis with Meter-scale Monolithic Silica Column"

Ryota Yamana, Mio Iwasaki, Masaki Wakabayashi, Masato Nakagawa, Shinya Yamanaka and Yasushi Ishihama
Journal of Proteome Research

 

  • 京都新聞(12月8日 31面)、産経新聞(12月7日 29面)および日本経済新聞(12月9日 38面)に掲載されました。