生殖細胞のゲノムを利己的遺伝子から守る新たな蛋白質を発見

生殖細胞のゲノムを利己的遺伝子から守る新たな蛋白質を発見

2009年12月15日


左から中辻教授、中馬助教

 京都大学、大阪大学、東京大学、国立遺伝学研究所、三菱化学生命科学研究所、国立成育医療センター研究所、米コロラド大学、仏ヨーロッパ分子生物学研究所(EMBL)、オーストリア分子病理学研究所(IMP)の研究グループは、哺乳類の生殖細胞のゲノムを利己的な転移性遺伝子から守る新たな蛋白質を発見 し、その作用機序を明らかにしました。この成果は、男性不妊症の原因究明やゲノム機能の新たな制御方法の開発に役立つと期待されます。

 中馬新一郎 再生医科学研究所助教、中辻憲夫 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)教授らの研究グループは、生殖細胞で特異的に発現するTdrd9遺伝子を発見し、同遺伝子欠損マウスの作出、解析により詳しい生理機能の研究を行いました。Tdrd9遺伝子を失うと雄生殖細胞でレトロトランスポゾンの発現が異常に亢進してゲノムが広範に損傷を受ける結果、精子細胞が全く形成されずに不妊になります。TDRD9蛋白質は低分子RNAであるpiRNA結合蛋白質MIWI2と協調して働きますが、このTDRD9-MIWI2複合体がpiRNA生合成を通じてゲノムのエピジェネティクス修飾(DNAメチル化)を協調して制御する結果、レトロトランスボゾンを安定に抑制して生殖細胞を保護する働きを持つことが明らかとなりました。TDRD9蛋白質、レトロトランスポゾンは、ヒトを含む哺乳類や他の動物種でも広く保存されています。

 これらの成果は、基礎生物学的な観点からゲノムと利己的遺伝子の関係や種の進化の研究に役立つとともに、ヒト、産業動物、野生生物等を含めた男性不妊症の原因解明、生殖医療の発展、またゲノムのエピジェネティクス修飾の新たな制御方法の開発等に繋がることが期待されます。

 論文は、2009年12月15日付けの米科学誌ディベロップメンタル・セルに掲載されました。

研究成果のポイント

  • 今回発見したTDRD9蛋白質は、生殖細胞のゲノム中で利己的な転移性遺伝子(レトロトランスポゾン)が増幅することを防ぐ。
  • Tdrd9遺伝子を欠損する雄マウスは、生殖細胞でレトロトランスポゾンが異常に増幅して広範な細胞死を起こす結果、精巣が萎縮して無精子症による不妊となる。
  • TDRD9蛋白質は、生殖細胞に特徴的な低分子RNAであるpiRNAとゲノムの後生的修飾(エピジェネティクス)の制御を通じてレトロトランスポゾンを抑制する。
  • 今回の成果は、生殖細胞のゲノム防御メカニズムや利己的遺伝子と進化の関係等の基礎生物学の研究に役立つとともに、ヒトや動物を含めた男性不妊症の原因究明や生殖医療への応用等に繋がることが期待される。

研究成果の背景

 哺乳類のゲノムのうち、内在性の蛋白質をコードする遺伝子領域は約1%程度であり、その他の領域の約半分近く(40-50%)を転移性遺伝子であるトランスポゾンの繰り返し配列が占めています。トランスポゾンには、ゲノム上を転移するDNA型トランスポゾンとRNAを介して増幅、転移を行うRNA型レトロトランスポゾンとがありますが、特に後者のレトロトランスポゾンが活性化するとゲノムの様々な部位に高い頻度で挿入が起こり、突然変異や染色体不安定性等を通じて細胞の性質が変化して様々な疾患の原因となります。また特に生殖細胞でレトロトランスポゾンが増幅、転移すると本来の遺伝情報が変化して子孫に伝わることから、個体の重篤な発生異常や遺伝病が起こる危険性が高くなります。このため、生殖細胞をレトロトランスポゾンから守るしくみは我々ヒトを含めて個の発生、種の維持に重要な働きをしています。レトロトランスポゾンを抑える分子メカニズムは、DNAメチル化による転写抑制と低分子RNAを介したRNA干渉の2種類の経路が分かっています。しかしそれぞれの経路で働く鍵となる遺伝子の多くは未だ謎につつまれたままです。また生殖細胞を守る特別なしくみやDNAメチル化とRNA干渉が協調して働くメカニズムの解明も進んでいませんでした。

研究手法

 ゲノムDNAデータベースの探索によりTdrd9遺伝子を発見し、生殖細胞での発現を確認した後、生化学的実験によりTDRD9蛋白質の分子機能を調べ、遺伝子改変マウス作製により生理機能の実証を行いました。マイクロアレイ実験、次世代型超高速シークエンス、プロテオミクス解析等を組み合わせて調べることで、Tdrd9遺伝子が生殖細胞の発生分化とゲノム恒常性に与える影響を明らかにしました。

研究成果

 当研究グループはtudorドメイン蛋白質をコードするTdrd遺伝子ファミリーの研究を進めています。今回新たに発見したTdrd9遺伝子は雌雄生殖細胞の発生過程で発現しますが、遺伝子欠損マウスを作製したところ、雄特異的に不妊になることが分かりました。Tdrd9遺伝子が無いマウスでは雄生殖細胞の減数分裂の途中で広範な細胞死が起こり、成熟精子は全く形成されません。Tdrd9遺伝子欠損マウスと正常なマウスを比較した結果、Tdrd9遺伝子欠損マウスの精巣ではレトロトランスポゾンLINE-1の発現が異常に増加しており、ゲノム全体に大規模なDNA損傷が起きる結果、アポトーシスによる細胞死が誘起されることが明らかとなりました。LINE-1レトロトランスポゾンはゲノム中に約50万コピー存在します。Tdrd9遺伝子欠損マウスにおけるLINE-1の脱制御は、LINE-1 mRNAを低分子RNAであるpiRNAに転換するRNA代謝経路に異常が生じ、それに伴ってLINE-1転写活性を制御するゲノム領域の抑制的DNAメチル化が外れることが原因です。TDRD9蛋白質はpiRNA生合成に主要な役割を持つMIWI2蛋白質と結合し、このTDRD9-MIWI2複合体は同じくレトロトランスポゾン抑制に重要な機能を持つTDRD1-MILI蛋白質と協調して生殖細胞のゲノムを守る重要な働きを持つことが明らかとなりました。

今後の期待

 Tdrd9遺伝子は、生殖細胞が次世代に伝える大切なゲノム情報を利己的遺伝子レトロトランスポゾンによる損傷や障害から守る守護神としての役目を果たします。レトロトランスポゾンは白血病や癌等の原因となるレトロウィルスとRNAを中間体とする機能が類似することから、本研究成果はレトロウィルスの活性を抑える新たな手法の研究開発に繋がる可能性があります。一方、トランスポゾンの転移活性を人為的にコントロール出来る様になれば、ゲノムの様々な部位に挿入、変異のある一連のモデル動物を作出して病気との関係を調べることに役立ちます。また低分子RNAを介して起こるエピジェネティクス修飾の変化は、ゲノム情報の機能発現を目的に沿って操作するための有効な手法の一つとして現在注目を集めています。今回の研究成果は男性不妊の新たな候補原因遺伝子を発見したことから、不妊症の遺伝子診断、生殖医療等の応用にも繋がることが期待されます。

    

  1. (写真左)マウス精巣の外観。Tdrd9遺伝子欠損(右、KO)では正常(左、WT)と比べて精巣が明らかに萎縮する。(写真中央)正常マウス精巣の組織切片では矢印で示す成熟精子が多数観察される。(写真右)Tdrd9遺伝子欠損マウスの精巣では成熟精子は全く形成されず、矢頭で示す細胞死が広範に観察される。[Developmental Cell 17, 15 Dec 2009]

用語説明

1. レトロトランスポゾン

ゲノム中に非常に多数存在する転移性の反復配列の一種であり、RNAに転写された後にDNAに逆転写されることでゲノムの別の部位への組み込みや増幅が行われる。哺乳類ではLINE、SINE、LTRタイプ等のレトロトランスポゾンがそれぞれ数十万コピー以上存在することからゲノムサイズの大半を占め、生殖細胞での発現が特に高い。

2. piRNA

生殖細胞に特異的に発現する長さ25-30塩基程度の低分子1本鎖RNA。piRNA配列の大部分はレトロトランスポゾンRNAが分解されることで生成される。piRNAはRNA代謝の他に相同塩基配列の認識を通じてゲノムのエピジェネティクス修飾(用語(3)参照)の制御にも関与する。

3. エピジェネティクス

ゲノムDNAの塩基配列の変化を伴わずにDNAメチル化やヒストン蛋白質等の化学修飾の後生的変化により遺伝子情報発現、ゲノム構造等の制御が行われる現象。

4. 米科学誌ディベロップメンタル・セル

エルゼビア社セル出版の発行する、発生生物学の専門科学雑誌。ある分野における雑誌の影響度を表す指標とされるインパクトファクターは12.882で、発生生物学関連38誌中3位(総説誌を除けば2位/トムソン・ロイター社 2008 Journal Citation Reports)

 

  • 京都新聞(12月15日 30面)、産経新聞(12月15日 23面)、中日新聞(12月15日 31面)、日刊工業新聞(12月15日 23面)および毎日新聞(12月15日 3面)に掲載されました。