平成29年度大学院入学式 式辞 (2017年4月7日)

第26代総長 山極 壽一

本日、京都大学大学院に入学した修士課程2,297名、専門職学位課程306名、博士(後期)課程825名の皆さん、入学おめでとうございます。ご来賓の長尾真元総長、名誉教授、ご列席の副学長、研究科長、学舎長、教育部長、研究所長とともに、皆さんの入学を心からお慶び申し上げます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆さまに心よりお祝い申し上げます。

さて、今日皆さんはさらに学問を究めるために、それぞれの学問分野へ新しい一歩を踏み出しました。京都大学には多様な学問分野の大学院が設置されており、合計24種類の学位が授与されます。18の研究科、14の附置研究所、17の教育研究施設が皆さんの学びを支えます。修士課程では講義を受け、実習やフィールドワークを通じて学部で培った基礎知識・専門知識の上にさらに高度な知識や技術を習得し、研究者としての能力を磨くことが求められます。専門職学位課程では、講義のほかに実務の実習、事例研究、現地調査などを含め、それぞれの分野で実務経験のある専門家から学ぶ機会が多くなります。博士後期課程では論文を書くことが中心となり、そのためのデータの収集や分析、先行研究との比較検討が不可欠となります。さらに、現代社会の課題に答えるべく、実践的な知識や技術の習得を目指した五つのリーディング大学院プログラムが走っています。

さて、研究とは、研究の喜びとはいったいどういうものでしょうか。京都大学理学部で学び、世界を驚愕させる論文をいくつも書いた岡潔という数学者がいます。『春宵十話』(しゅんしょうじゅうわ)というエッセイのなかで、彼はこう語っています。

よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うということだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけのことである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。

数学的発見の前には、緊張と、それに続く一種のゆるみが必要だと岡は言います。そうして、意識の下層にかくれたものが徐々に成熟して表層にあらわれるのを待たなければならず、それが表層に出てきた時はもう自然に問題は解決しているのです。数学上の発見には必ず鋭い喜びが伴うものであり、その喜びとは、「チョウを採集しようと思って出かけ、みごとなやつが木にとまっているのを見たときの気持ち」と語っています。また、岡は学問に情緒の重要性を説き、自然の感銘と発見がよく結びつくとも言っています。

岡は研究者としては異色の生涯を送りました。フランスへ留学し、大学の教員を遍歴した後、30代の後半で教職を断って農業を始めます。しかし、畑仕事の傍ら思索を続け、次々に数学上の大きな発見を成し遂げます。岡の構築した多変数複素関数論は、論理ではなく、情緒の働きによって生まれたと言われています。岡は、数学に最も近いのは百姓だと言い、どちらも種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子のほうにある、というのです。また、岡は学問も芸術も直観の力に基礎を置き、数学を究める上で芸術や文学から情緒を培う大切さを強調しています。数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和であり、そこに働いているのが情緒である。同じく調和であることによって相通じる面があるが、美の中における調和のほうが感じ取りやすいので、真の中における調和がどんなものかをうかがい知るには、すぐれた芸術に親しむのが最もよい方法だと言っています。

私にもそれが何となくわかるような気がします。私はアフリカの熱帯雨林で野生のゴリラを観察する、という霊長類のフィールド研究を行ってきました。数学とは縁もゆかりもない学問に見えますが、ゴリラの生態や行動に新しい意味を見つけるのも情緒が大切だと思います。ゴリラは19世紀の半ばに欧米人によって発見されてから、残忍な心を持つ暴力的で好戦的な野獣と100年以上も見なされてきました。それは両手で交互に胸をたたくドラミングという行動が、戦いの宣言と解釈されたからです。しかし、ゴリラの群れの中に入って観察するようになると、ドラミングは自己主張であって、むしろ直接の戦いを避ける行動であることがわかったのです。敵を抹殺しようとするような邪悪で過度な攻撃性が自然界に育つはずはない、という20世紀に生まれた新しい自然観、情緒的な確信が誤解を解いたのです。そして、その疑いは人間にも向けられ、人間の本性は暴力的ではないのではないか、という問いが生まれました。私はドラミングが歌舞伎の見得にそっくりだということに着目しました。見得を切る歌舞伎の心は、相手を屈服させる「勝つ構え」ではありません。むしろ、「負けない構え」であり、ゴリラが勝敗をつけずに面子を保つことに執着し、それがゴリラの社会性の本質ではないかと考えるようになりました。人間に系統的に近い類人猿の行動を理解するには、言葉の論理ではなく、すぐれた芸能で体現される身体の構えを参考にすることが重要だと悟ったのです。

京都大学には芸術学部はありませんが、芸術活動は盛んです。京都大学交響楽団は今年100周年を迎え、これまでに多くの卓越した指揮者や奏者を生み出してきました。音楽を究めながら学問の世界で活躍し、研究上重要なヒントや直観を得た人も多いことでしょう。京都大学は、1200年の歴史を持つ古都にあり、数々の芸術作品や意匠を凝らした建築群を身近にながめることができます。古い伝統を持つ職人たちが多様な領域で、さらなる美の創造へ向けて日夜切磋琢磨しています。それを肌身で感じながら、京都大学の研究者は創造的な学問に生かすことができるのです。

現在、大学の研究は産業界の発展に結びつくことが期待されていますが、京都大学は社会にすぐ役立つ研究だけを奨励しているわけではありません。開学以来、対話を根幹とした自由の学風を伝統とし、独創的な精神を涵養してきました。それは、多様な学びと新しい発想による研究の創出につながります。皆さんはこれから専門性の高い研究の道へ入られるわけですが、それは狭き道をまっしぐらに進むことを意味するわけではありません。多くの学友や異分野の研究者たちと対話を通じて自分の発想を磨くことが、真理の道へ通じるのです。今日、京都大学の大学院に入学した皆さんも、いつかは自分の専門を離れて別の学問領域に目を向ける日が来るかもしれません。それも自分の学問分野で成功するのに匹敵する輝かしい飛躍であり、新たな可能性を生み出す契機となると私は考えています。どうか失敗を恐れず、自分の興味の赴くままに、研究生活に没頭してください。京都大学はそれにふさわしい環境を提供できると思います。

京都大学には36のユニットがあり、学際的にさまざまな教育・研究活動を行っています。複数の研究科、研究所、研究センターからなる教育プログラムや研究プロジェクトが走っておりますので、ぜひ参加をして多様な学問分野に目を開き、創造性を高めてください。さらに、博士の学位を得て実践的な舞台でリーダーシップを発揮する五つのリーディング大学院プログラムが実施されています。総合生存学思修館、グローバル生存学大学院連携プログラム、充実した健康長寿社会を築く総合医療開発リーダー育成プログラム、デザイン学大学院連携プログラム、霊長類学・ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院プログラムがあり、それぞれ連携する大学院が指定されていますので、ぜひ関心を持っていただきたいと思います。また、昨今は、データの改ざんや剽窃など、論文制作に関わる不正行為が数多く指摘され、世間の厳しい目が研究者に注がれています。ぜひ、研究倫理を守り、独創性の高い研究を実施して、大きな成果を挙げていただきたいと思っております。

日本は、博士の学位を取得した学生が産業界に就職しにくいと言われてきましたが、最近は多くの企業が国際化する中で、博士の学位を持つ人材を積極的に雇用する兆しが見え始めています。それには大学院在籍中に企業の実践的な現場を知ることが重要で、本学でも産学協同イノベーション人材育成コンソーシアム事業として、多くの企業に参加してもらい、中長期のインターンシップやマッチングを実施しています。社会に出る前に産業界の現場を経験し、自分の能力や研究内容に合った世界を知る機会を増やそうと考えております。また、国際的な舞台で活躍できる能力を育成するために、海外のトップ大学とダブル・ディグリーやジョイント・ディグリーを増やそうとしています。現在、京都大学はロンドン、ハイデルベルグ、バンコクに海外拠点をもち、ヨーロッパやアジアの大学との連携を強めておりますが、今年は北米にも拠点を設け、大学間交流の場を増やしていく予定です。すでに京都大学の多くの部局は世界中に研究者交流のネットワークや拠点をもっており、これらの拠点を活用しながら、共同研究や学生交流を高め、国際的に活躍できる機会と能力を伸ばしていく所存です。

このように、京都大学は教育・研究活動をより充実させ、学生の皆さんが安心して充実した生活を送ることができるよう努めてまいりますが、そのための支援策として京都大学基金を設立しています。本日も、ご家族の皆さまのお手元には、この基金のご案内を配布させていただいておりますが、ご入学を記念して特別な企画も行っております。ぜひ、お手元の資料をご覧いただき、ご協力をいただければ幸いです。

本日は、誠におめでとうございます。

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