京大人気教員からのエール(平出 敦 講演の内容)

京大人気教員からのエール(平出 敦 講演の内容)

【以下の内容は過去の情報です】 :2007年オープンキャンパスは終了しました。

新しいプロフェッショナリティの構築にむけて

平出 敦(京都大学大学院医学研究科 医学教育推進センター 教授)

今回、オープンキャンパスでは、医療系を例にとって、プロフェッショナリティと大学での勉学について、お話したいと考えている。しかし、実践的な専門家としてのプロフェッショナリティは、現在、あらゆる領域で問い直されているところであり、また、求められているところでもあり、すべての参加者にとって、重要なテーマではないかと考えている。

そこには、情報がインターネットを介して激しい勢いで飛び交う時代背景がある。単に、専門的知識を有していることが、専門家である証であった時代は、終焉しており、専門的な知識や技能を修得するだけでは、もはや専門家としては不十分であることが広く認識されるようになった。たとえば、法科大学院の発足に際しては、従来の激烈な司法試験の門戸を広げるというより、従来の司法試験の合格者の資質に対する危惧がクローズアップされていることは、一般人にとって驚きである。従来の合格者に対し、試験への取組としての暗記型学習や、過度の正解思考により、出題されるところしか勉強していない、とか、体系的知識に欠けて、応用力がない、といった指摘がある。要領よく学ぶ効率型学習の弊害が極限に達していた(2007年2月19日づけ日本経済新聞新潟地方裁判所所長 加藤新太郎)とまで書かれている。受験時代から培われてきた暗記型訓練を続けるだけでは、情報が氾濫している複雑な今の社会で“実践的な専門家”として機能することは、難しいのである。

実は、医療の世界は、このことがより明確な領域である。研修医たちにインタビューをおこなうと、そのことがはっきりと浮き彫りにされる。学生時代の勉学では問題のなかった研修医が、病棟に出て打ちひしがれ、「すべてだめなんです。全然、だめなんです。」と訴えたが、こうした“本音”を聞くことは、必ずしも珍しくない。最近も、ある研修医が、「今の自分はダメだと思う。何もできない。何もわかっていない。それなのに、患者さんには何でもわかっているかのように振舞わなければならないのがつらい。病棟にいると息苦しくなる。」と告白していた。小中学校からよく整備された学習環境で、よく構築された教材や指導環境で学習してきた学生においては、病棟での環境は、あまりにも従来の勉学とは異なった能力を求められるものであり、ある意味では過酷である。大学での学習も、主として研究領域で実績をあげた教授陣がサイエンスの真髄を伝えようとするものであり、それだけでは臨床の世界の複雑な、しかし日常的な問題に直接答えてくれるものではない。専門家として力強く生き抜いていくためには、自分で課題を設定して、臨床現場でもその課題に取組むことができる能力が必要で、与えられた課題に答えられるだけでは不十分である。このことは、京都大学をめざす学生には特に、考えていただきたいところである。

専門家として、真に役に立つ力を発揮できる人材とは、コミュニケーション能力にすぐれ、ものごとを自分自身の力とセンスで考え出していける人間である。大学としてのミッションとは究極的には、そうした能力をはぐくむことができる場を提供して、学生が自分自身の適性を検証でき、自分自身で伸びていくことができる環境を学生とともに構築することだと考えられる。

では、具体的には、どのように考え、どのように勉学していけばよいのであろうか。定まった答えはない。当日は、プレゼンテーションで発信する勉学の取り組みの例、実践的な学習をめざす救急蘇生の取り組みの例、などをとりあげて、皆さんと一緒に考えていきたい。

参考図書

  • 「拍動よ、よみがえれ!」 平出 敦 著、メディカルレビュー社、2002
  • 「専門家の知恵」 ドナルド・ショーン 著、佐藤 学、秋田 喜代美 訳、ゆみる出版、2001