京都大学の新輝点

鈴鹿 可奈子

02 100年続くモノやコトを考え文化をつなぐ京都の老舗後継者の取り組み(株式会社 聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿 可奈子)02 100年続くモノやコトを考え文化をつなぐ京都の老舗後継者の取り組み(株式会社 聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿 可奈子)

 京都の老舗、聖護院八ッ橋総本店の一人娘として生まれた鈴鹿可奈子さんは、2011年に新ブランド「nikiniki(ニキニキ)」を立ち上げるなど、300年以上続く老舗に新風を吹き込む次期経営者です。家業だけでなく文化活動にも精力的な鈴鹿さんに、京都大学時代の思い出や今のお仕事に影響を与えたエピソード、老舗後継者としての想いを語っていただきました。

鈴鹿 可奈子 Kanako Suzuka

1982年京都府生まれ。京都大学経済学部在学中にカリフォルニア大学サンディエゴ校エクステンションに留学しPre-MBAを取得。2005年に京都大学を卒業、信用調査会社勤務を経て家業へ。2011年専務取締役に就任。

家業を継ぐことと京都大学進学は
身近で自然な選択でした

 家業を継ぐことをはっきりと意識したのは中学1年生のときですが、物心ついた頃にはそれを当たり前と考えていた節があります。会社と自宅が近かったので、幼い頃は八ッ橋づくりを…実際は邪魔していただけですが(笑)、お手伝いに行ったり。そんなふうに会社によく顔を出していたので、周りの方も自然と跡継ぎだと見てくれたようです。

 同じように自宅から近かった京都大学についても幼い頃から、「将来はここに行く」と勝手に思い込んでいました。京都大学の人や雰囲気を間近に感じていて、「なんて自由で楽しそうな学校なのだろう」と、子どもながらに心惹かれていたのです。

聖護院八ッ橋総本店は、元禄二年(1689年)に聖護院の森の茶店としてはじまった。イメージ

聖護院八ッ橋総本店は、元禄二年(1689年)に聖護院の森の茶店としてはじまった。

 入学してからもその印象は裏切られませんでした。京都大学には思った通りの自由さがあり、何を学びどうするかは学生に委ねられていて、授業の出欠もほとんど取ることがありません。むしろ自由過ぎて「どうしたらいいのだろう?」と戸惑うほど。そんな中で、自由というのは案外難しいもので、やるべきことを自分で探す大変さと責任が伴うと気づきました。こうした気づきを社会人になってからではなく、学生の時点で得たことで、早いうちから視野や世界を広げるチャンスをつかむことができました。

先生との共著や海外留学
自由の中でやるべきことに楽しく取り組む

 視野や世界を広げる出会いのひとつが、2年生から入った橘木俊詔先生のゼミでした。「自由に楽しく勉強をしよう」というスタイルの先生のゼミは、同期や先輩も気の合う人が多くとても楽しいものとなりました。授業もグループワークが中心でテキストも一部英語と、のちに留学した海外大学の経済学の授業に近いものでした。また実地に根ざした取り組みを行うことが多く、例えば先生の著作『脱フリーター社会』は、共著という形で原稿の半分をゼミ生が担当。私もそのうちの一部を書かせていただきました。社会に出る著作物を任される経験は、微々たるものですが印税も入ってくるというところまで含め、大変に面白かったです。

鈴鹿 可奈子

 また3年生になってからは、論文以外の単位を取得し終えていたこともあり、Pre-MBAの取得を目的にアメリカ留学を決意。橘木先生も「向こうで書いた論文を全部見せてくれたら、それで単位をあげるよ」と快く送り出してくださいました。そうして始まったアメリカでのクラスは、経営者になるための予行演習として学びにきているさまざまな国の社会人と机を並べてのもの。ビジネス経験豊富な彼らとマーケティングやプロモーション戦略をロールプレイできたのは大きな刺激となりました。またヒューマンリソース、特に従業員のモチベーションをどう引き出すかといった内容を学べたのも、のちの家業での取り組みに影響を与えることになりました。

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