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京大法学を掘り起こす 社会へ、世界へリエゾンする法学京大法学を掘り起こす 社会へ、世界へリエゾンする法学

自由の学風の根幹にある「学理追究」の精神

 京都大学法学は、京都帝国大学創設から2年後、1899年に開学した法科大学以来の長い歴史を持つ。東京帝国大学に次いで誕生した法科として、国家の中枢を担う官僚養成が目的の一つであったのには違いないが、教育法は独自性に富んだものであったことが知られている。京都大学法学研究科長・法学部長の塩見淳教授は、その特徴を「自由討究的で法的訓練を重視する教育」だったと語る。科目選択の幅を広げ、ゼミナールを重視し、外国文献も参照したうえで論文を作成させて評価した。「論文制度自体はさすがに負担が大きすぎ、1907年に廃止されました。しかし、このような教育を受けた学生たちの中から次世代の法学・政治学の研究者が生み出され、京都大学法学の学風を築いたのだと思います」

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法経済学部本館

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 その学風とは何か。塩見研究科長は、「時々の政治の動きや時流に追随することなく学理を徹底的に追究すること」だと語る。京都大学法学と言えば、1933年、瀧川幸辰教授の学説を封じ込めるため政府が教授の休職処分を強行したことに対し、法学部教官39名が辞表を提出して抗議した「滝川事件」がよく知られている。「このできごとでは学問の自由、大学の自治がクローズアップされますが、同時に、そのような自由の前提となる『研究に対する責任』が重要です。責任を負えるだけの学理追究を求める、それが、京都大学法学の学風の根幹にあると言えるでしょう」

 だからなのかどうなのか、研究者でなく法律を扱うプロの実務家になった人の中でも京都大学法学出身者は、理論・原則論を述べる人が多い傾向にあるらしい。司法試験合格者が受ける司法修習を担当する教官の中には、「京大生は理屈が多い」という印象を持つ人もいると聞く。塩見研究科長によると、「伝統的に、京大生は裁判官になる人の割合が高い」らしい。裁判官は判決に至るまでに様々な方向から議論を尽くすことが求められる。その意味で、議論好きの京都大学出身者に向いている側面があったと言えるのかもしれない。

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京都大学法学の特徴を語る塩見淳研究科長

大きな変化をもたらした法科大学院の開設

 京都大学法学の教育・研究にインパクトを与えたできごとの一つに、2004年の法科大学院開設がある。司法制度改革の一環で法曹のあり方が様々な方向から問い直され、原則として法科大学院修了者だけが受験資格をもつ新しい司法試験が制度化された。それまで切り離されていた法学研究と法曹養成は、大学の中で融合することになったのである。

 そもそも法学研究者と法律の実務家は、同じ法律の専門家であってもその視線は違っている。研究者は判例などの根底にある理論を突き詰め、学説との関係を解き明かすなどして、より実態に即した理論の構築をめざす。ときには価値判断の対立のおおもとに立ち返って問題解決に至る道筋を考えたり、未知の課題解決に役立つ考え方を示すこともある。一方で、実務家は現実に起こる問題から、法的な基準に照らして結論を導いていくのが仕事である。そこには、理論だけに拠った議論で一定の判断を下すのは難しい場合も往々にしてある。

 両者の関心にある大きな隔たりを埋めるのが、法科大学院である。学部で理論を学んだあとに実務への橋を渡し、本格的に実務を叩き込まれる司法修習へとスムーズに進んでいけるための教育を行っている。塩見研究科長は、法科大学院設立の影響について、「教員は実務への理解と関心をより強く求められるようになり、新たに採用された実務家教員との交流を通して研究を見つめ直すきっかけにもなりました」と語る。

 現在では、法科大学院を修了し法曹資格を得た人の中から教員が生まれる状況になっており、実務と研究の距離はさらに近づいたとも指摘する。また、法科大学院では、法学部で法律学を履修していない、異なる学問的・知的バックグラウンドをもった法学未修者を受け入れている。それによって、他学部から入学した法科大学院出身の教員も生まれ、教員の多様性が拡がったことも重要な変化である。

「法政策共同研究センター」が挑む法学・政治学の社会実装

 2021年4月、京都大学法学を新たなフェイズにいざなう新しいセンターが誕生した。法政策共同研究センターである。科学技術の進歩、急速なグローバル化、地球環境の変動など、社会システム全体のパラダイムシフトが進む中、法と現実の間をつなぐ政策の重要性が増している。しかも、その政策は、精緻な理論に裏付けられた確実に成果のあがるものでなければならない。そうしたニーズに応え、先端的な法政策課題について理論家と実務家が協働して学際的・国際的研究に取り組み、より積極的に政策提言を行って社会実装につなげていこうというのが本センターのねらいである。

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法政策共同研究センター設立記念シンポジウム「自由の保障と公共の役割 -コロナ禍が突き付けた課題-」の開催風景

 塩見研究科長はセンター設立の目的をさらにかみ砕いて、以下のように語ってくれた。「法学研究科の法学分野では、すでに存在する法の解釈や運用について議論することが多く、組織として政策提言を行うという動きはほとんどありませんでした。しかし、現代の社会で起きていることの中には、法に適っていることが正義かどうか悩ましい問題が数多く存在します。たとえば、安楽死の問題はどうでしょうか。現在の日本の法律では違法行為ですが、それでも患者や家族の現実に向き合う医療者は悩んでいます。厚生労働省はガイドラインを出していますが、そのような行政対応でよいのか、誰が正しさを保証してくれるのか、疑問は残ります。これは一例にすぎませんが、こうした今まさに起きている問題に対して、法や政策をどのように社会実装していけばよいのかを探究し、提言していこうとしています」

 本センターは、機動的な研究を行うための「ユニット」で構成されており、現在、「人工知能と法」「医療と法」「環境と法」の3つが置かれている。このうち、「人工知能と法」のユニットリーダーを務めるのが京都大学法学研究科・稲谷龍彦教授である。稲谷教授は、東京大学文学部で日本語の認知言語学的分析を専攻した後、京都大学法科大学院を経て刑事学の研究者となった異色の経歴の持ち主だ。

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法学と政策・実務との関係性強化の必要性を説く稲谷龍彦教授

 稲谷教授は、今までとは違う社会のあり方を可能にする人工知能(AI)に対して、どのようなアプローチが必要なのかを探っている。その一つが、科学技術法ガバナンスである。AIと人が協働し、さらにそのAIもいくつかのAIが協働するようなシステム化が進んでくると、「自分の行為によって起きることが予見できる」という今までの法学の前提は崩れてしまうことになる。そこで、責任の分配の仕方を考え直し、誰にどんな制裁や責任をどういう形で分配すると、複雑なシステムにおけるリスクがよりよくコントロールできるのかを研究している。

 その一環として取り組んでいるのが、自律性の高いロボットと人間との協調動作の際、人間がどういう影響を受けるのかを実証する実験だ。ロボット、AI、心理学など他分野の研究者と共同で進める学際研究により、自分で何でもやってくれるような機械と一緒にタスクを行うと、人間の注意レベルが下がったり、能動的に行動しているという感覚が薄らぐなど、様々なことがわかってきた。「つまり、優れたAIとの協働は、意図しない形で、事故が起きやすくなる可能性があるわけです。そのような状況下で責任を分配するのに最適な方法を考案し、加えて事故を防止するための機械と人間とのインターフェイスを改善していくための法提案を行いたいと考えています」と稲谷教授は研究の目的を説明する。世界的に見ても先駆的な研究でまだ萌芽的な段階ながら、「うまく展開できれば、新しい法制度の実装につなげていくことも夢ではありません」と意気込みを語った。

「人工知能と法」ユニットの前段階のプロジェクトで作成した動画。人とロボットの協働がもたらす思わぬ事故について取り扱っている

 少し聞いただけでは、とても法学の話をしているようには思えないまさに学際型の研究だ。稲谷教授は「法学の研究者が、他の学問分野に興味を持っていること自体が珍しいかもしれません。その意味で、法政策共同研究センターの創設は、『新しいことをやっていく』という京都大学法学研究科の意志の表れではないでしょうか。今あるものを小手先で適用していくだけでは、現在起きている問題には対応できないと考えている人がたくさんいて、思い切ってつくってしまったところが京都大学らしいと思っています」と話す。

 今後の研究ビジョンを、稲谷教授は次のように語る。

 「法律のつくりや法システムが、急速に進展する社会のデジタル化に明らかに対応できていないことで、様々なところで不合理なことが起きています。法学自体、裁判所の紛争解決にどういう道具を与えるかという視点で発展したものであり、どのような社会システムをつくるためにどういう法を設計するか、という議論をあまりやってこなかったことが影響しているかもしれません。デジタル化を推進するためにどうすればよいかなど、法政策の方向性について具体的な提言ができるよう知見をインプットしていきたいと思います」

国際共同研究のさらなる活性化を推進

 現代社会の要請に応えた研究分野として、法政策研究と並んであげられるのが、国際的研究である。京都大学法学ではこれまでにも外国研究機関との連携を進めており、2008年からは世界的に著名なドイツのマックス・プランク外国私法・国際私法研究所との学術交流協定を結び数多くの実績をあげてきた。同研究所は、京都大学のほかはオックスフォード大学、ケンブリッジ大学としか学術交流協定を結んでおらず、京都大学法学のレベルの高さが評価されていることがわかる。このほか11の法学政治学系部局や国際機関と学術協定を締結し、国際共同研究の基盤を確立している。

 このような実績のもと、今回、法政策共同研究センター創設にあたってセンター内に専門セクションを設置し、京都大学法学全体として国際的研究の展開をさらに強化することになった。国際研究推進マネージャーとして研究支援活動をけん引するのが、国際取引法・国際私法を専門とする京都大学法学研究科・西谷祐子教授である。

 西谷教授は、国際的な子どもの連れ去りに関するハーグ条約について、日本での運用のあり方を比較法的な視点を踏まえて研究している。条約の運用に携わる外務省のハーグ条約室にも協力し、理論と実践の両面から条約の運用上の課題解決を進めている。また、ハーグ条約を採択した国際機関、すなわちハーグ国際私法会議にも政府代表として派遣され、代理懐胎をテーマとする新たな条約を検討するプロジェクトに参加し、約30カ国の研究者や実務家との研究交流を行ってきた。さらに、世界中から優れた国際法および国際私法の専門家を招聘し、講義やセミナーを提供することで有名なハーグ国際法アカデミーの理事としても活躍。最近では、ドイツ、スイス、イギリスの比較法研究所とともに、企業の社会的責任やポスト・コロナ社会の再構築に関する共同研究も推進している。

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国際研究推進マネージャーとして活躍する西谷祐子教授

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 国際共同研究の最前線から見えてくる、グローバル化による法学の変化について西谷教授は次のように語る。

 「国際私法という法分野は古くからあり、昔はどの国の法を基準として適用するか、という視点だけから議論されていました。しかし近年では、『ビジネスと人権』やSDGsのように、グローバル社会に共通の価値や国際スタンダードをめざす方向へと議論が発展してきています。私も、狭い国際私法に限定せず、憲法や民法などの他の法分野、さらには社会学や経済学などの他の学問領域とも連携しながら、どのようにして世界レベルで人権や環境保護などの共通の価値を実現していけるのかに関心をもっています」

 京都大学法学では、2020年夏、マックス・プランク研究所と連携し、新型コロナウイルス感染症への法的対応に関するシンポジウムを開催した。

 「コロナ禍の下では、世界全体として公衆衛生をどうするか、ワクチンをどう分配するか、社会的弱者をどう保護するかなど、共通の課題が突き付けられました。コロナ禍の問題に限らず、そのような視点に立って海外の研究者と連携して研究を進めて共通の解決を探り、日本から発信するというスタンスが今後ますます求められていくでしょう。国際共同研究を進めることで、グローバルな課題を含む新たな領域の開拓と、その担い手となる独創的な若手の養成を進めていきたいと思っています」と西谷教授は、国際的研究の活性化に意欲を見せる。

若手が研究に打ち込める環境づくりの伝統

 法政策研究や国際的研究の展開を含め、京都大学法学の挑戦を進めるうえで基盤となるのは、なんといっても人である。近年、若手研究者の育成に組織的に取り組み、支援を充実させているのもその表れだ。大学院博士後期課程を博士号取得によって修了した人に、20程度の助教ポストを確保しているのもその一つである。また、法科大学院で学んだあと、実務家ではなく研究者の道に進みたいという人を後押しする特定研究学生制度も整えた。奨学金や研究活動経費の支給といった経済的支援だけでなく、外国語の専門文献の読解力を向上させる授業の開講など教育的支援も行っている。

 若手研究者の一人、京都大学法学研究科・宇治梓紗准教授は、「若手を大事にする精神がすごくある」と感じている。一般に大学では、教育や大学運営に関する仕事の負担が大きすぎ、若手がじっくり研究に力を注ぐ時間がないという現状がある。それに対して法学研究科では、准教授が担当する授業コマ数を抑えて大学運営に関わる仕事も極力少なくし、研究に打ち込める環境を用意するのが伝統だという。さらに、在外研究期間として2年間が与えられ、准教授の間には、いつでも希望する留学先で研究することができる。

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若手研究者の育成制度・環境について話す宇治梓紗准教授

 国際政治経済分析を専門とする宇治准教授の主な研究テーマは、日本がリーダーシップを発揮して成立した、水銀による環境汚染を防止する「水銀に関する水俣条約」である。これまで、水銀汚染の削減目標に対して法的拘束力を持つ形で合意ができた要因を明らかにすることで、国や企業、個人の利益の合致をめざす政治的バランスと問題解決に有効かどうかという機能的バランスが、条約においてどのようにしたら両立できるのかを探ってきた。今後は、環境汚染と資源循環型社会、気候変動とエネルギー政策といった様々な関心の中から、特にプラスチック条約という新たな国際条約をつくる動きに焦点を当てたいと言う宇治准教授。「若い間に挑戦したり、試行錯誤しながら失敗する時間が許され、より大きな成長の機会が与えられていることはありがたい」と話す。

 京都大学法学の若手研究者支援について、塩見研究科長は次のように語っている。

 「法学研究科では、若手であろうが一人ひとりを独立した研究者として認めています。准教授になれば、自分の道は自分で開いていかなければならないし、だからこそ外国で勉強してきなさい、という伝統が受け継がれてきたのでしょう。伸びていく人たちの時間を大切にする文化をこれからも守っていきたいと思っています」。伝統があるから、新たな挑戦が可能になる。学問を追究することに真摯であるから、自由であることがさらに輝く。京都大学「らしさ」が、京都大学法学の随所に光っている。

 「法学だけでなく、今、人文・社会科学の機能強化が求められています。今まで他分野とのつながりが弱い傾向にあった法学ですが、今後は、学際的な環境づくりを通して、研究の充実、社会への発信の双方の力を高めていきたいと思います」

 社会と、世界と、リエゾンする法学。社会のあり方を、人としての理想に立ち返りながら追い求め、影響力のある発信を積み重ねてプレゼンスをさらに高めていく、京都大学法学の今後が大いに楽しみだ。

京大法学の発掘ポイントPOINT of DISCOVERY
  1. 先端的法政策研究の拠点「法政策共同研究センター」の発進
  2. 国際的研究の活性化で世界共通の課題解決に向けた発信
  3. 若い時こそ挑戦的な研究を。継承される若手支援の伝統

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