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京大工学を掘り起こす 真理と独創の追究で人と社会を変えていく[前編]京大工学を掘り起こす 真理と独創の追究で人と社会を変えていく[前編]

 工学部6学科、工学研究科17専攻と、京都大学随一の規模を持つ工学。その大きさ、カバーする領域の幅広さを理解したうえでその伝統や独自性に迫りたいと、研究科長をはじめ様々な専門分野で活躍する研究者の声を集めた。前編では、京大工学の研究教育理念とその特徴について見ていくことにしよう。

応用をやるには、基礎をやれ

 京都大学工学部は、1897(明治30)年の京都帝国大学創設時に始まる長い歴史を持っている。同年9月、分科大学として理工科大学が開校し、翌年には数学、物理学、純正化学、土木工学、機械工学、電気工学、採鉱冶金学、製造化学の8学科が揃った。16年後の1914(大正3)年に理科大学、工科大学に分離されたが、「理学研究者と工学研究者が一つの建屋に同居していた。現象の真理を追究する理学と世の中に役立つものを創造する工学、それぞれの思考がディスカッションを通して融合し、京都大学の工学研究に一つの特色を与えたのではないか」と工学部長・工学研究科長の大嶋正裕教授は話す。

 「1981年にノーベル化学賞を受賞された福井謙一先生が若かりし頃、師の喜多源逸先生から『応用をやるには、基礎をやれ』と教えられた、その言葉に京大の工学に流れる研究理念が表れています。単なるものづくりをするだけではなく、その根本から何とかできないかと考える。だからこそ、世の中になかった新たな物質や、誰も考えなかった独創的な技術が生み出せるという思想が、代々継承されてきました」

 京都大学工学部は、故・福井謙一名誉教授以降も2001年の野依良治博士、2019年の吉野彰名誉博士とノーベル賞受賞者をはじめ、世界から認められる業績をあげる多数の研究者を世に送り出している。このことは、基礎原理の追究を大切にする伝統や学風が、長い間にわたって確かに受け継がれてきた証明でもあるだろう。

 さらに、大嶋研究科長は「変わった人が多いのも伝統かもしれません」と話す。「外部の人からはよく『人と違った発想をする人が多い』と言われます。それを聞いて、京大工学の人は笑う。それは変人でありたいと思っているからです。人と違ったものがやりたいし、人に迎合しない。僕もそうだけど、『変わってるね』は誉め言葉だと思っている。変人と言われることを良しとする文化を、伝統の中で作ってもらっているんです」

京都大学工学の伝統について語る大嶋正裕研究科長イメージ

京都大学工学の伝統について語る大嶋正裕研究科長

 フォトニック結晶の研究で、ノーベル物理学賞の候補とも言われている電子工学専攻・野田進教授は、この分野の芽が出るか出ないかという時期に研究を始めた世界の一握りの研究者のうちの一人。制御できないものと考えられていた光を精密に制御できる技術を生み出すことに成功して以来、先頭を走り続け、いまや世界を圧倒的にリードしている。研究を始めた頃、周囲から「こんなものできるはずないだろう」と言われることはあってもやめろと言う人はおらず、温かく見守る雰囲気があったという。

 「『そんな珍奇なことをしてどうするのか』と世間からは言われることもありましたが、あまり気にしなかったですね。まだ30代の怖いもの知らずで、とにかく、これがやってみたいという一念でした。当時は、まだ、社会の役に立とう、とかも思っていなかったですね。時間はかかっても基礎から始め、そのかわり、20年後には社会に役立つようにするというのが、京都大学の工学がとるべきスタンスの一つと思っています」

フォトニック結晶の分野で世界を牽引する野田進教授イメージ

フォトニック結晶の分野で世界を牽引する野田進教授

野田進教授の研究
一大ブレークスルーを起こした「フォトニック結晶」

 野田教授はフォトニック結晶研究の第一人者で、フォトニック結晶工学という新たな分野を切り開いた。フォトニック結晶とは、数100ナノメールの周期で、屈折率の異なる物質を並べた人口結晶で、半導体が電子を制御するのと同じように光を自由自在に制御する。
 野田教授は、極最近、二重格子フォトニック結晶という新たなフォトニック結晶構造を独自に生み出し、高出力・高ビーム品質動作可能なフォトニック結晶レーザーの開発に成功した。このレーザーは、例えば、レーザー光を照射して返ってくるまでの時間を測定するLiDAR(ライダー)と呼ばれるセンシング技術への応用が期待されている。従来の半導体レーザーなどに比べて、非常に遠い距離まで広がりのないきれいなビームを届けられるため、レンズを使った調整も不要で、小型化や低コスト化が可能。ロボットの自動走行や車の自動運転などに必要な障害物検知に十分対応できる、高いレベルのLiDARが実現できる。極最近、ユーザー企業と連携し、フォトニック結晶レーザーを搭載したLiDARの実現に世界で初めて成功した。また、フォトニック結晶レーザーは、その高出力・高ビーム品質性を活かし、様々な物体の加工にも応用可能であり、次世代のスマートモノづくりの鍵ともなりうると期待される。
 野田教授は、「フォトニック結晶は、センシングやスマート製造分野への応用を始めとして、太陽電池の高効率化、さらには光メモリや光量子情報プラットフォームなど、様々な応用展開が可能」と話す。社会にインパクトを与え続ける研究の真価は、今後ますます高まっていく。

(左)フォトニック結晶レーザーの模式図と特徴。(右)2重格子フォトニック結晶の構造図(Nature系雑誌の表紙を飾ったもの)。イメージ

(左)フォトニック結晶レーザーの模式図と特徴。(右)2重格子フォトニック結晶の構造図(Nature系雑誌の表紙を飾ったもの)。

多様性を生かす融合研究

 変わったこと、違うことを求めるフロンティア志向の文化は、研究の多様性を生み出した。「組織が一つの色に染まると価値観が固定されてしまい、変化が生まれにくくなります。京都大学工学の多様性は、新しいものを生み出すために重要な資質だと思います」と語るのは、機械理工学専攻・椹木哲夫教授だ。椹木教授がそれを痛感したのは、2003年の21世紀COEプログラムに採択され機械系3専攻を中心に取り組んだ「動的機能機械システムの数理モデルと設計論」に携わったとき。複雑な機械現象・システムを「複雑さ」を切り口に解明する新たな横断型研究分野の体系化をめざすプログラムだった。

 このプログラムの初代代表者を務めた土屋和雄名誉教授のねらいは、多様な研究を貫く共通の基軸やキーワードを設定して自由闊達に議論を重ね、多岐にわたる機械工学の知見を共有することにあった。ともに取り組みを進め後半からは引き継いで代表者となった椹木教授は、機械系3専攻で一般的な機械工学のイメージからはかけ離れた多様な研究が行われていることに驚いたという。

 「隣の研究室で何をやっているのか知らないような状況では、せっかくの多様性は生かされません。他の部局も加えて連携し共同研究をすすめて研究を活性化しようという目論見は、思いのほかうまくいきました。知識を伝えきるというのではなく、身を置いてみることで開けてくる個々の認識や見方を重視するのが京大式。フィールド研究の伝統や京都学派などにも通じることだと思いますが、どんな環境に放り込ませるかというところに、京大らしい教育の本質があると思います」

椹木哲夫教授は、京都大学工学の魅力の一つに多様性があると語るイメージ

椹木哲夫教授は、京都大学工学の魅力の一つに多様性があると語る

 また、2003年から学際的プロジェクト研究のための研究施設・桂インテックセンターが稼働し、専攻や研究科の枠組みを越えた研究組織として高等研究院・研究部門と研究プロジェクトがスタートした。2007年からは、高い研究力を持った博士研究者の育成をめざして博士前後期課程の一貫教育を行う「博士課程前後期連携教育プログラム」を新設すると同時に、既存専攻を横断して学ぶことができる融合工学コースを設け、その運営母体として専攻から独立した組織である高等教育院を創設した。同年にはまた、医学、工学、理学の各研究科と再生医科学研究所などの連携による「京都大学 物質―細胞統合システム拠点(iCeMS)」が世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)に採択された。工学研究科から化学系研究者が多数参加したこのプログラムは、物質科学と細胞科学を統合した新たな科学分野を開拓し技術イノベーションをもたらす成果を上げ、2016年に新設された京都大学高等研究院の研究拠点として再編成されて以降も化学系専攻と密接に連携している。

桂インテックセンターイメージ

桂インテックセンター

発掘先SOURCE of DISCOVERY

 21世紀初頭からのこうした学際ムーブメントと自由な学風の伝統とが相乗して、現在の工学研究科には学際領域や境界領域の研究に積極的に取り組む姿勢が根付いている。認知や記憶など高次の脳機能を分子レベルに落とし込んで解析・制御するニューロ分子技術という、生物と化学の境界領域で研究を行う濵地格教授は、所属する合成・生物化学専攻の学際色の強さを指摘する。

 「京都大学では『いい研究なら何をやってもいい』んです。とくにうちの専攻は、分子的・化学的なものの見方をする人から生物的な現象論を中心としたアプローチをする人まで、本当にいろいろな研究者がいます。多様な見方をする人たちが集まってディスカッションをすることで共同研究に発展しやすく、学生も行き来し合う。そんな垣根の低さが面白い研究につながっていると実感します」

濵地格教授は、研究者や学生が交流する環境が学際的な共同研究を生む土壌になっていると考えるイメージ

濵地格教授は、研究者や学生が交流する環境が学際的な共同研究を生む土壌になっていると考える

濵地格教授の研究
脳内の分子地図を描く「ニューロ分子技術」

 濵地教授らが研究するニューロ分子技術は、脳の複雑な機能を分子レベルにまで落とし込み、解析や制御を可能にすることをめざす技術だ。脳には千数百億個もの神経細胞(ニューロン)があり、グルタミン酸、GABA、ドーパミンなど様々な作用を持った神経伝達物質を分子として受け渡しすることで神経ネットワークを作っている。受け渡しに大切な役目を果たすのが、神経細胞に存在して神経伝達物質を受け取る受容体と呼ばれるタンパク質である。神経伝達物質ごとに受け取る受容体が異なり、それがなけれぱいくら神経伝達物質が来ても受けとれず、正常な神経活動を維持することができない。
 濵地教授らのグループは、グルタミン酸を受け取るグルタミン酸受容体の分布を調べるため、グルタミン酸受容体にだけ化学反応して蛍光が出るようにする技術を開発。さらに、マウスを使った実験で生きている脳の中でそれらがどのように存在するのかを探り、海馬と小脳のシナプスと呼ばれる接合部位にたくさん集まっていることを立体的に可視化/イメージングした。グルタミン酸は神経細胞を興奮させる働きをし、思考や記憶に大切な役割を果たしている。認知症やパーキンソン病などの症状が神経細胞のどのような変化によるものなのか、この技術で分子レベルから解明できるようになるという。
 脳内のいろいろな種類の分子の数や存在場所をマップにし、相互作用についても明らかにするのが濵地教授の目標だ。それにより、たとえば「考える」とはどんな分子のどんな働きやネットワークによるものなのかがわかれば、精神疾患の原因、治療にもつながる。脳の全体像を描き出すニューロ分子技術は、基礎と応用、両分野の幅広い展開の可能性を秘めた最先端の基盤技術として期待されている。

生きたマウス脳内でのグルタミン酸受容体の化学的ラベル化による可視化・イメージングする実験。脳内の特定領域だけが明るく光っていて、受容体の脳内分布がマイクロメートル以下の分解能で、立体(3次元)的にわかる。イメージ

生きたマウス脳内でのグルタミン酸受容体の化学的ラベル化による可視化・イメージングする実験。脳内の特定領域だけが明るく光っていて、受容体の脳内分布がマイクロメートル以下の分解能で、立体(3次元)的にわかる。

グローバルに活躍できる人材の育成

 領域横断型の教育研究は、2010年代に入るとさらに幅を広げていく。2011年から始まった専門分野の枠を越えた博士前後期課程の一貫教育プログラム「博士課程教育リーディングプログラム」に京都大学から5つの事業が採択され、研究者以外の様々な分野でもグローバルにリーダーシップを発揮できる人材の育成に力を入れることになった。工学研究科では「グローバル生存学大学院連携プログラム」「デザイン学大学院連携プログラム」「充実した健康長寿社会を築く総合医療開発リーダー育成プログラム」に参画し、新たな学際分野のカリキュラム化が進んだ。

 また、2019年には国内外の大学や研究機関、企業と連携しながら人材育成を行い共同研究を展開していく拠点形成プログラム「卓越大学院プログラム」として、「先端光・電子デバイス創成学」が採択された。独自の学術的概念やキーテクノロジーを持ち強みを発揮している光・電子デバイス分野を中心に、基礎物理・理論からシステム・情報の制御・応用までを貫く融合・垂直統合型の教育を推進しており、この取り組みを通して企業、先端研究機関、海外トップ大学との連携がさらに深化・拡大していくことが期待されている。

 国際化においても、ユニークな取り組みが進んだ。2011年には工学部地球工学科に、すべての講義を英語のみで行い、留学生と日本人学生が机を並べて学ぶ国際コースを設置。同時に工学研究科社会基盤工学専攻と都市社会工学専攻にも、留学生を対象に英語のみで修了できるコースをつくった。また、東日本大震災直後には、地球系3専攻を中心に他部局とも連携して、自然災害が多発するASEAN諸国の大学と提携した減災・復旧・復興リーダー育成教育コンソーシアム形成に取り組み、後に、ASEAN連携大学との共同で双方向国際教育プログラムの整備に発展している。化学系6専攻では、アメリカ・マサチューセッツ工科大学をはじめ海外大学から著名な教員を招いて講義やセミナー、研究指導を行うほか、これらの大学での研究インターンシップや国際学生ワークショップなどを通じてリーダー的人材を育てるスーパーグローバルコースを設置している。

 他分野との融合、ボーダレスなアクションで新たな分野を生み出しながら、研究教育ともに発展していく京都大学工学の姿が見えてきた。続く後編では、社会との結びつきにスポットを当てる。

減災・復旧・復興リーダー育成教育コンソーシアムで開催した、タイでのフィールドトリップ。イメージ

減災・復旧・復興リーダー育成教育コンソーシアムで開催した、タイでのフィールドトリップ。

アメリカ・マサチューセッツ工科大学のジョージ・ステファノポーラス教授の集中講義。イメージ

アメリカ・マサチューセッツ工科大学のジョージ・ステファノポーラス教授の集中講義。

発掘先SOURCE of DISCOVERY
京大工学の発掘ポイントPOINT of DISCOVERY
  1. 多数のノーベル賞受賞者を生み出した独創のDNA
  2. 多様性が生んだ豊富な学際研究と教育プログラム
  3. 他部局とも連携した取り組みで新たな研究分野を創造
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