発掘、京大

京大野生動物学を掘り起こす ワイルドライフとの共存のために京大野生動物学を掘り起こす ワイルドライフとの共存のために

伝統を基盤に新たな大型哺乳類研究の拠点を

 野生動物の生態は、その多くが謎に満ちている。世界で絶滅の危機に瀕する野生動物が増え続ける今、その謎を解き明かし、人が動物と共存する道を指し示すことにもつながる野生動物研究の重要性は増すばかりである。日本の野生動物研究は長い間、欧米から大きく遅れを取っているといわれてきたが、近年、国内の研究機関も増え研究の幅を広げてきた。そうした発展をけん引してきた組織の一つが、2008年に設立した、京都大学野生動物研究センターである。野生動物に関する総合的な教育研究を行う機関として、自然環境下での野生動物の暮らしを守り、飼育下での健康と長寿を図るとともに、人間の本性についての理解を深めることを目的に活動を進めてきた。

 センター構想のきっかけとなったのは、尾池和夫総長(当時)の「京都大学には植物園も水族館もあるのに、なぜ動物園はないのか」という問いかけだった。京都大学は今西錦司、伊谷純一郎らによる日本の霊長類学の出発点であり、1967年に設立された京都大学霊長類研究所はチンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンなど大型類人猿のフィールドワーク研究で世界をリードする存在である。「京大サル学」が培ってきたフィールドワーク研究の伝統を基盤に、ライフサイエンス等の多様な研究を統合して学際的研究を推進する。さらに動物園・水族館とも連携して、共同研究や社会貢献につなげていく。そんなユニークな方向性のもと、同センターの立ち上げが決まった。

 「野生動物の保全を考えるとき、大型動物の研究は非常に重要です。それは、多くの大型動物が安定的に生存できるかどうかが他の種も含めた生息環境の指標になるからです。しかし、大型動物の生息密度は低く、寿命が比較的長いことから長期研究を要します。また、飼育下でも各個体に広い敷地を要するため、ひとつの施設で多くの個体を飼育できません。そのため、飼育下での研究には複数の動物園・水族館との連携が必要です。このような理由から、大型動物の研究がなかなか進まない要因の一つとなっていました」と、同センター長・村山美穂教授は語る。

 このハードルを乗り越えるうえで、動物園・水族館とのつながりを深めることは必須だった。とはいえ、動物園・水族館との連携は、これまでに研究者や研究室単位ではあったものの、研究所全体としては極めてめずらしく、当初からスムーズに進んだわけではなかった。飼育施設にとって研究者はただ情報や資・試料を取っていくだけの存在というネガティブな印象があり、連携を持ちかけても当初は反応が薄かったのだ。しかし、初年度に京都市動物園、名古屋市東山動植物園の2園、翌年には名古屋港水族館、よこはま動物園ズーラシア、熊本市動植物園と相次いで連携協定を結び、研究協力や共同研究の実績を着実に積み上げていった。

 遺伝子研究を専門にする村山先生の場合は、飼育や繁殖に役立つテーマでの研究を意識したという。「たとえば、鳥は見かけで雌雄がわかりにくく繁殖させる際のネックになります。そこで、遺伝子の性染色体で性別を見分け、さらにペアにしたときの相性やストレスの受けやすさなどについても研究し、繁殖に役立ててもらいました。他の研究者も同様に成果を上げながら、少しずつ連携の輪を広げています」

野生動物研究センター設立の経緯を解説する村山美穂先生イメージ

野生動物研究センター設立の経緯を解説する村山美穂先生

発掘先SOURCE of DISCOVERY

さまざまな領域を横断して総合的に解析する

 野生動物研究センターが研究対象としてきた動物は、絶滅危惧種やそれ以外の種を含め多岐に渡る。国内からアジア、中東、アフリカ、北米、南米など世界各地の野生環境でのフィールドワークから、動物園や水族館といった飼育下での調査まで。DNA研究、認知行動研究、社会生態研究、行動研究、繁殖研究、動物が快適に暮らせるような動物福祉研究など、多彩な研究を進めてきた。

 国内外から注目される研究成果も生まれてきている。ニホンイヌワシの遺伝的な多様性を調べて将来の個体数を予測し、現状の交配では160年程度で絶滅するという研究結果をまとめ、繁殖計画の見直しに活用された。アマゾンでは「フィールドミュージアム」 という新しいタイプの博物館を整備した。これは小規模な自然観察施設のネットワークで、アマゾンの住民に野生動物を保全する意味やメリットを伝える環境教育や、野生動物の保全や研究だけでなく住民によるエコツーリズムの拠点にもなる施設である。他にも、チンパンジーと人との心の動きの違いを知るために、チンパンジーの心の理論研究に取り組むなど、枚挙にいとまがない。

 同センターの特色の一つといえるのが、研究対象となる動物について、縄張りの行き来や音声・匂いによるコミュニケーションなどの行動研究、フンなどから個体識別や年齢推定を行うDNA研究、ホルモン分析による繁殖研究など、さまざまな領域をカバーした横断的な研究の取り組みである。

 「フィールドからラボまで幅広く研究を行っています。できれば、フィールドで行動などを観察した結果と実験室で分かったことをつなげたい。ミクロレベルからマクロレベルまでを総合的に解析することでわかってくることがあるのではないかと期待しています」。ユキヒョウ、ツシマヤマネコ、イヌワシなどを対象に、こうした解明を進める予定だと、村山先生は説明をする。

日本最大級の猛禽類ニホンイヌワシも野生動物研究センターの研究対象イメージ

日本最大級の猛禽類ニホンイヌワシも野生動物研究センターの研究対象

独自の研究を支える、3つのフィールド研究施設

 設立時に霊長類研究所から委譲された3つの充実したフィールド研究施設も、同センターならではの研究を可能にしている。幸島観測所(宮崎)は、幸島猿生息地として約80年前に国の天然記念物として指定された照葉樹林に覆われた小島で、1948年に野生のウマを調査に訪れた今西錦司らがニホンザルと出会い調査をはじめた霊長類学発祥の地。以来、ニホンザルを中心にさまざまな研究が進められてきた。ニホンザルは、現在、90個体ほどが生息している。屋久島観測所(鹿児島)は、1988年に霊長類研究所の施設として建設された野生動物の研究施設で、ヤクシマザル、ヤクシカをはじめさまざまな動物の調査研究を行っている。熊本サンクチュアリは、2011年に企業から京都大学に移管されたチンパンジーの保護施設で、現在、50個体ほどが飼育されている。また、海外では研究調査地に継続調査のためのオンサイトラボ設置も進めている。

 設立4年目の2011年に文部科学省から野生動物保全研究の発展を目的とした共同利用・共同研究拠点の指定を受けたことは、同センターにとってエポックメイキングなできごととなった。野生動物関連では唯一の共同利用・共同研究拠点として、同センター以外の研究者の研究や、同センターとの共同研究もサポートする。実験室やフィールド研究施設などを舞台に多くの研究者との交流が生まれ、その縁から大学院でもある同センターに多様な学生が進学してくるようになった。野生動物研究のプラットフォームとして、強い存在感を示している。

2008年より京都大学野生動物研究センターが、「屋久島観測所」の維持・管理にあたっているイメージ

2008年より京都大学野生動物研究センターが、「屋久島観測所」の維持・管理にあたっている

屋久島研究所付近に生息するヤクシカイメージ

屋久島研究所付近に生息するヤクシカ

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動物だけでなく人を含めた幅広い学問として

 社会貢献活動としては、連携動物園・水族館と共同で開催するシンポジウムとして「動物園大学」を2011年から、「水族館大学」を2016年から開催している。連携の可能性をさらに追求しようと研究報告やディスカッションを実施するとともに、広く一般に参加を呼びかけて動物の福祉や保全のための活動を広報する場にもなっている。2018年度からは「動物園水族館大学」として開催しており、2019年3月には「悩める動物園・水族館」をテーマにした議論が注目を集めた。アメリカでイルカショーの中止を求める動きがあるなど動物福祉の概念が広まる中で、動物園・水族館自身もどこまでが良くてどこまでがいけないのか苦悩が膨らんでいる状況を問題提起。一般参加者も多く、野生動物の保全や飼育についての関心の高さがうかがえた。

 また、海外ではアマゾンでのフィールドミュージアム整備の他、ガーナでグラスカッターの家畜化プロジェクトを進めている。ガーナでは絶滅危惧でない野生動物を捕獲することは違法ではないが、獲る時に火をつけて追い出したりする違法行為が行われ、自然破壊が進んでいる。現地で食用動物として好まれているグラスカッターを家畜として増やすことで、野生動物を含む環境保全を進めていこうという取り組みである。

野生動物研究センターの人気シンポジウム企画「動物園水族館大学」。2018年度は「悩める動物園・水族館」をテーマに開催したイメージ

野生動物研究センターの人気シンポジウム企画「動物園水族館大学」。2018年度は「悩める動物園・水族館」をテーマに開催した

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グラスカッター(アフリカタケネズミ)はガーナでは人気の食材イメージ

グラスカッター(アフリカタケネズミ)はガーナでは人気の食材

 「野生動物の研究は、特に保全を考える時には、動物だけではなくそれを取り巻く人の学問でもあることがよくわかります。人にとって野生動物との共存とは何を意味するのかといった哲学的な問題でもありますね。こんなに人と違う動物が地球上に住み、こんなに違う論理で行動していることを理解してもらったうえで、どうしたら共存できるのか、共存できなかった場合にどんな困ったことが起こるのかを伝え、どう行動していけばいいかをみんなで考えていきたいと思います」

 野生動物研究センターでは今後も、共同利用・共同研究拠点での交流をはじめ、さらに連携を広げていく。村山先生は学内の他分野の教員との共同研究にも力を入れており、人間・環境学研究科の教員と連携してオオサンショウウオの年齢推定をしたり、京都大学物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)の教員と野生動物のiPS細胞を作る研究などを進めている。今後は、学内での新たな研究ユニットの構築も視野に入れて動ければと話す。

 国内の野生動物保全はもちろんのこと、野生動物が原因となる伝染病の発生や、野生動物を含めた自然環境の破壊によって引き起こされる気候変動への対応など、地球規模の視点で幅広い貢献が求められる野生動物研究。京都大学の自由な学風とパイオニア精神のもと、同センターを主軸に拡張を続ける学際ネットワークから、これからも世界に発信する個性的な研究が生み出されていくに違いない。

京大野生動物学の発掘ポイントPOINT of DISCOVERY
  1. フィールド学の伝統を基盤にフィールドとラボを統合
  2. 動物園・水族館との連携で研究と社会をリンクさせる
  3. 共同利用・共同研究拠点となり、野生動物研究のプラットフォーム
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