VOL.1 玉尾 皓平 教授(化学研究所)

VOL.1 玉尾 皓平 教授(化学研究所)

玉尾 皓平 教授 楽しみつつ独自の研究分野を切り拓く勇気を!

35年間にわたり、有機金属化学の研究に取組まれてきた玉尾 皓平(たまお こうへい)教授。一貫して「元素の本質に根差した新物質創製」を研究の基本命題に掲げ、有機化学の新領域開拓に挑んでこられました。特に有機ケイ素化合物に関する研究は、基礎から応用まで広範囲におよび、卓越した論理性を具えた独創的な研究手法で、「玉尾酸化」や「シロール化合物の合成」など数多くの新反応の発見および新化合物の生成に成功されています。

こうした功績により1999年「日本化学会賞」、2002年「アメリカ化学会賞(kipping賞)」、2003年「朝日賞」ほか多数の栄誉を受賞され、2004年には紫綬褒章を受章。京都大学では化学研究所所長やCOEのプロジェクトリーダーとして活躍され、長年にわたり研究に教育に、その情熱の限りを傾けてこられましたが、2005年4月より独立行政法人理化学研究所に活躍の場を移され、フロンティア研究システム長に就任されています。いつまでも瑞々しい好奇心を化学に抱き続ける玉尾先生。その「研究への情熱」と「化学への愛」の源を探るべく、お話をうかがいました。

「次の扉を開くかもしれない“新しいもの”を見つけたとき、それが科学者として一番喜びを感じる瞬間ですね。」

科学史に残る偉大な発明発見では、しばしば「偶然性のエピソード」が語られる。実験自体は失敗だったが、結果としてすごい発見につながった、というような。ところが玉尾先生の場合は違うらしい。「偶然っていうのは、僕の場合はあまり無いんですよ。すごいでしょ。」と茶目っ気たっぷりの笑顔とともに語られたこの一言は、先生の研究手法の卓越した論理性を物語る。“予想通り、期待通り、思った通り”という結果がほとんどなのだ。玉尾先生の代表的な研究業績で“三大話”として語られる「ニッケル触媒によるクロスカップリング反応(熊田―玉尾反応)の発見」、「炭素―ケイ素結合の過酸化水素酸化(玉尾酸化)の発見」、「シロール類の新規合成法の開拓」のいずれもが、研究開始当初に玉尾先生が予測した範囲内の結果だったとのこと。もちろん研究に要した期間は、 1~2年のものから5年以上かかったものまで様々である。そしてさらに面白いのは“三大話”の論文発表が1972年、1983年、1994年と見事に11年周期だという事実。こちらは果たして偶然なのか、必然なのか。この周期にしたがうと、今年2005年は研究成果発表の年にあたるのだが。「期待してください」との玉尾先生の静かな言葉には、やはり偶然性とは無縁の力強い確信の響きがあった。

もう一つ玉尾先生の研究には共通点がある。「これが突破できると、次にいろんなことが可能になる」という新分野開拓の“取り掛かり”になる研究、もしくはその可能性のある研究だという点。「次の扉を開くかもしれない“新しいもの”を見つけたとき、それが科学者として一番喜びを感じる瞬間ですね」。未知の世界に踏み出す大いなる冒険心と、緻密な計画性 ― これが玉尾先生の研究を支え、推進してきた力の一つであるのは間違いない。

「17年くらい助手をしましたね。でもとても幸せだったんですよ。」

研究者のキャリアは実に様々だ。運にも左右される。だが、大きな業績を上げたいなら、特に理系の場合はなるべく早く教授になる方が有利だと一般的に言われている。ところが玉尾先生は全くの逆パターン。助手時代が長かったという。「17年くらい助手をしましたね。それだけ聞いたら、下積みで可哀相と思うでしょう。だけどとっても幸せだったんですよ。」その理由を尋ねると「自由に研究をやらせてもらえたから」と簡潔な答が返ってきた。京都大学工学部を卒業後、大学院に進み、博士課程修了後そのまま助手となった玉尾先生は、恩師 熊田 誠 教授のもとで、自由闊達な助手時代を過ごした。「45歳まで自分で実験してましたね。逆にもし早く教授になっていたら、助手時代のように、化学に本当に専念できる時間をこれほど持てたかどうかわかりませんよ」。その後、助教授を経て、同じ京大の化学研究所の教授に就任したのが50歳のとき。研究者の独立性と独自性を重んじる化学研究所の伝統的気風との相性にも恵まれて、一気に研究が花開いた。正しい時に、正しい場所にいることの大切さを示す好例である。そして数名程度のグループで自由な研究を続けても、研究業績は上げられることを示すモデルケース、と玉尾先生は自身のキャリアを位置づける。「でもね、あと10年早く、大きな研究グループを自分で持てていたら、もっとあれもできた、これもできた、と思いますよ。」とちょっぴり本音ものぞかせながら。“欲張りに生きる”姿勢も、研究と人生を実り豊かなものにした秘訣のようだ。

「周りの流行に流されるな、とむしろ最近は強調してますね。」

最近、シンポジウムや講演会などの質疑応答で、学生から「流行りの研究分野はどこですか」という質問が良く聞かれる。こうした最先端の分野ばかりに注目が集まりがちな昨今の風潮に、玉尾先生は強く警鐘を鳴らし続けてきた。「基礎研究もやらず、最先端のものばかりやっている研究者を大学が育てるようじゃいけない」と、人一倍強い危機感を隠さない。現在の最先端分野の研究が成熟した後、次の新分野を切り拓く研究の萌芽は、基礎研究の中にこそあることを、玉尾先生は経験から知っている。「一番重要なのは“基礎研究の推進”ですよ。周りの流行に流されるな、とむしろ最近は強調してますね」。しかし、最近は大学でさえもこの姿勢を貫くのが困難な時代になっている。例えば、長年基礎研究にじっくり取組んできた研究室が、突然最先端分野の人材を迎えるというケースも出てきた。研究上の相乗効果を期待してのことだろうが、財政的な理由も小さくない。大学全体で、もっと基礎研究をサポートするシステムを整備する必要性。そして日本が真に「科学技術創造立国」を目指すのであれば、5~10年といったの目先の研究成果ばかりに捉われず、国全体で基礎研究をしっかりサポートする体制を整備する必要性。― 玉尾先生の鳴らす警鐘は、日本の科学研究全体の未来を見据えたものだ。

「一家に一枚周期表」

子供たちの「理科離れ」が憂慮されるようになって久しい。京都大学にも、何とか自然科学の面白さを子供たちに伝えようと、ユニークな取り組みを続けている研究者が何人かいるが、玉尾先生もその一人。「一家に一枚周期表」をスローガンに、文部科学省と共同で、ビジュアル的にも楽しめる元素周期表を作成し、子供たちに配布するプロジェクトに邁進中だ。この周期表には、これまで発見された113種類の元素が、元素記号だけではなく、それらの身近な利用例とともに掲載されている。そして周期表の傍らには「自然も暮らしもすべて元素記号で書かれている」とのキャッチが添えられている。「最初は、身の回りのものはすべて元素で出来ているんだ、ってことを一般の方に広く知ってほしくて始めたんです」。そのためのツールを考えているうちに、元素周期表を持ち出さざるを得なくなったとのこと。掲載する利用例の選択基準は、なるべく身近で、科学技術の貢献度が高いものを優先したという。小学校高学年の理科教育で発展的副教材として使用してもらったり、家庭のリビングに貼ってもらったりして、化学を身近に感じてもらう“きっかけ”づくりがねらいだ。かつて子供部屋や家庭のリビングには、世界地図や地球儀が置かれ、子供たちが将来への「夢」を育む上で大きな力となった。今度は元素周期表がその役割を担えないものか。そして、いつの日かこの元素周期表をきっかけに化学の魅力に目覚め、化学者を目指す子供たちが出てきてくれれば ― 玉尾先生の夢はふくらむ。

「研究は楽しまなくちゃだめ。僕はいーっぱい楽しんできました。」

優れた研究者に必要なのは「勇気」だと言う。研究人生の中で、常に新分野の開拓を目指してきた玉尾先生ならではの言葉だ。そして後輩となる若手研究者には「他人の真似をしない、独自の分野を切り拓く勇気を!」とのエールを送る。新しい扉を開くときの「勇気」と、それにともなう「緊張感」と「期待感」。これらを持ち続けることが、瑞々しい研究を続ける最大の秘訣とのこと。そして最後に孔子の言葉を引用しながら、研究を「楽しむ」ことの大切さも強調する。もちろん楽しめるようになるまで、相当な努力をすることが大前提ではあるが。「研究は楽しまなくちゃだめ。僕はいーっぱい楽しんできました。研究も、研究に付随することもね」。確かに元素周期表のプロジェクトでも、玉尾先生は人一倍こだわりを見せ、細部まであきらめず理想の形を追い求める。それも心底から楽しげに。おそらくそれは、研究の現場で見せる玉尾先生の姿と、寸分たりとも違わないものだろう。

2005年4月には、理化学研究所に転任される玉尾先生。ご自身も今また、研究と人生の新しい扉を開こうとされている。新たな冒険を精一杯楽しまれることを、そして一層のご活躍を期待したい。

 

取材日:2005/3/16

Profile

玉尾 皓平 先生は、一貫して「元素の本質に根差した新物質創製」を研究の基本命題に掲げ、有機化学の新領域開拓に挑んでこられました。1965年に京都大学工学部を卒業後、同大学院博士課程を修了し助手となられ、87年京都大学化学研究所助教授に就任。93年には教授になられ、化学研究所所長やCOEのプロジェクトリーダーとして活躍し、研究教育に情熱の限りを傾けてこられました。99年「日本化学会賞」、02年「アメリカ化学会賞」、04年「紫綬褒章」など受賞多数。2005年4月より理化学研究所に活躍の場を移し、新たな挑戦を始める先生の「研究への情熱」と「化学への愛」の源を探ります。