平成26年度大学院入学式 式辞 (2014年4月7日)

第25代総長 松本 紘

松本総長 本日、京都大学大学院に進入学される修士課程2,210名、専門職学位課程324名、博士後期課程898名のみなさん、おめでとうございます。列席の副学長、研究科長、学館長、学舎長、教育部長、研究所長、および教職員とともにみなさんの進入学をお祝いしたいと思います。また、これまでみなさんを支えてこられたご家族や関係者のみなさまに心よりお祝いを申し上げます。

 2011年3月11日の東日本大震災からすでに3年が経過しましたが、この国難からの復旧や復興はまだ道半ばに過ぎません。とりわけ福島第一原子力発電所事故は収束の目途も十分に立っていないこの時期にみなさんは大学院で学ぶことを片時も忘れてはなりません。そして、被災地から離れた京都においても、被災地に長く心を寄せ、その苦難を我がこととし、大学人として、また個人として、被災地を応援する決意をここに新たにしてほしいと思います。

 さて、みなさんが進む修士課程では、学士課程で身につけた知識や教養に加え、さらに基礎的な知識を補いつつ、研究のために必要な専門知識と技術を身につけるなど、専門家に向けた体系的な教育が行われます。また初めての研究論文の執筆となる修士論文の作成を通じて、問題の発見から答えの導出に至る一連の過程を経験し、新しい価値の創造がいかに行われるかを実体験することになります。この創造的な過程を経験しておくことは、社会で様々な問題を解決するためのよいトレーニングになります。専門職学位課程では、高度の専門性を必要とする職業などに従事する人材を育てるために、理論と実務との橋渡しを行う教育課程の中で学修が進められ、国際的に活躍しうる人材の養成が行われます。博士後期課程では、修士課程までに修得した知識や技術を基礎に、自ら研究計画を構想し、独創的な研究を遂行し、学術誌などにより研究成果を国際的に発信できるように指導が行われます。博士課程は研究者を養成するだけではありません。日本ではまだまだ学界以外では、博士号を持っている人はそう多くはありません。一方、世界の政界・官界・実業界においては、博士号を持ったリーダーが颯爽と活躍していることはそう珍しいことではありません。研究といった創造的過程を経験し、新たな価値を創造しうるリーダー層が社会を変革していく、そのようなことが新たな世界標準になりつつあります。世界の舞台に躍り出、日本の更なるガラパゴス化を止めるのはみなさんです。

 これより、修士課程のみなさんは基盤を築くために、専門職学位課程や博士課程のみなさんは専門家として独り立ちできるように専門に没頭してください。没頭する時期が無ければ研究の突破力は生まれません。それがなければ花は開きません。

 みなさんはこれから研究室に入って先生方と話をし、研究室の強みを十分理解した上で、自分は何をしようかと考え始めることになると思います。研究室に所属するということは時として、枠から外れないように自己規制を行う危険も秘めています。そもそも大きく外れるのであったら、違う研究室へ行っていたはずです。その意味で、研究室のスタイルにある程度共鳴してその研究室へ行ったことになりますが、そうするとその中での仕事というのは途端にかなり狭くなりがちです。そして、その限定された範囲で研究をしようと思ったら、それはかなり集中しないとものになりません。みなさん同様に既に研究分野をかなり限定して頑張っている仲間や先輩が多数いるわけなので、追い付き追い越そうと思ったら、それ以上に集中し、没頭する必要が出てくるわけです。それはそれで正しい選択でしょう。

 しかし、没頭だけではいけないと私は思っています。没頭し、狭い専門に沈潜すると、外界が見えなくなるという弊害があります。このことは常に意識しておくべきことです。皆さんの多くはそのまま狭い領域を深く掘り進めていくと、狭い領域の専門家にはなれるかもしれませんが、知識の範囲が限定されてきます。そのために、研究が一息ついて、新しいことを始めようとすると、専門以外のことを全く知らずに、今度は大きなハンディキャップを背負う恐れがあるのです。ある狭い専門分野で一生いける幸せな人もいるかもしれませんが、その可能性は一般に非常に小さいものです。選んだテーマがいつまでも陳腐化せず、斬新であり続けることは難しいので、一つのテーマに生涯を捧げることができた研究者は真に稀有な幸運をつかんだといえるのです。変革の時代に生きる我々にとってはそうでないケースの方が圧倒的に多いでしょうから、一点突破のための集中と同時に自分の可能性を常に広げていく必要があるのです。

 また、社会に出れば、いきなり新しいことをといわれることがあります。新しいことを切り拓くことが、自分には必ずできるという自信を持つためには、当然のことながら、専門分野を十分に修めておく必要があります。しかし、それだけでは十分とはいえません。

 守破離という言葉があります。古くは室町時代の能や戦国時代の兵法に端を発するともいわれ、芸術や武道の上達の段階を表すとされます。「しゅ」は「守る」。「は」は「破る」。「り」は「離れる」。大学院に即していいますと、研究室に入ってそこでの得意な研究スタイルを学び、研究室の強さを「守る」。すなわちしっかり専門を身につける段階。次に、研究室の実績を基礎に自己の工夫を加え発展させ、それまで解決できていなかった難問を打ち「破る」段階。最後は、視野を広げ、新しい分野に臨み、学んだことを「離れ」、独自に新しいものを創造する段階です。みなさんもこの「守破離」を心に刻み、段階が進むにつれて自分の視野を一層広げるように意識的に行動してください。

 そして、このことは、大樹を育てることに似ています。確かにまっすぐ高く伸ばすためには、枝うちも必要ですが、それだけでなく、燦々と降り注ぐ太陽の光や豊かな栄養が必要です。自分という木を枯らさないように必要となる環境と栄養、すなわち頭の栄養となる知識を取り込めるような準備を常に行ってください。

 本学には大学院を中心にして約1,800名の留学生や、海外からの研究者が在籍しています。海外の大学との学術交流協定も数多く締結し、海外での武者修行の多様な機会が準備されています。また、多くの京都大学の研究者が国際舞台で活躍をしています。本学のこの学術資源を有効に活用して、大学院時代に活動の場を世界に拡げて、ぜひ積極的に海外に雄飛してほしいと思います。

 未曾有の大震災に見舞われた日本社会は、広い視野、柔軟な思考、難問を前にひるまない気概を持ったリーダーを必要としています。我が国あるいは人類の未来は自らの手で拓かねばなりません。みなさんが、京都大学の大学院生として、自由の学風をよく咀嚼し、自らが蓄積した知識や世界の常識といった既成概念からも自由になって、「問い」を自らに発しながら、課題解決への道を切り拓いていくこと、さらに、自己を十分に鍛え、頼みとできるようにする自鍛自恃の精神で自らの心身を磨いていかれること、この二つを願い、私のお祝いのことばといたします。

 みなさんの活躍を期待しています。大学院進入学、おめでとうございます。

岡崎の風景

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