平成20年度 学士卒業式 式辞 (2009年3月24日)

第25代総長 松本 紘

学位授与の様子 本日、卒業される2,767名の皆さん、ご卒業おめでとうございます。ご来賓の沢田敏男元総長、尾池和夫前総長ならびに名誉教授、ご列席の副学長、学部長、部局長とともに、皆さんのご卒業を心からお祝いいたします。あわせて卒業生をこれまで支えてこられたご家族あるいは関係者の皆様にも、心からお慶び申しあげます。

  京都大学の卒業生はこれまで世界中で活躍してきましたが、皆さんを含めて卒業生の累計は、京都大学の112年の歴史において、182,538名となりました。皆さんには、およそ18万名の先輩がいることになります。

  社会人として活躍する道を選ばれた皆さん、進学して学問の道を究めようとする皆さん、さまざまな道へ、今、第一歩を踏み出そうとしている皆さんは、それぞれの感慨にひたっていることと思います。皆さんの多くは、京都大学が2004年4月の国立大学法人化後の2005年の入学生になりますが、本学においては法人化後、すでに激動の5年目が過ぎようとしています。皆さんにとっては、4年間あるいはそれ以上の年月をすごしたこの京都大学が、明日からは母校になります。今日、大学の門を出るとき、歩みを止め、皆さんが学んだ大学を振り返ってみてください。皆さんのなかに、4年間の思い出が鮮やかに蘇ることと思います。

  私は、大学が皆さんの人生の基軸になるよう願っています。皆さんは、卒業した後にも多くの試練に直面することと思いますが、そのときには、大学で教えを受けた先生や先輩や、ともに学んだ友人との議論を思い出してください。そこから試練打開の展望やアイディアが得られることと思います。

  英語では卒業式を、開始を意味するcommencementと呼ぶように、卒業は同時に新たな旅立ちを意味します。社会人として旅立つにせよ、進学するにせよ、この卒業式で一つの区切りをつけ、新しいスタートラインに立つ皆さんを、京都大学はこれからも応援していきます。また、卒業する皆さんがときには母校を訪ね、語らい、また同窓会活動の場として、また生涯の学習の場として京都大学を人生の基軸として積極的に活用していただけることを総長として願っています。

  卒業にあたり、私から、皆さんに贐(はなむけ)の言葉をお贈りしたいと思います。それは、「自鍛自恃」です。「自鍛」とは自らの心と身体を鍛えてほしいということです。あのレオナルド・ダヴィンチでも「老年の欠乏を補うに足りるものを青年時代に身につけておきなさい。知恵を必要とするということを理解したら、老年に至って栄養失調にならぬよう、若いうちに勉強しなさい。」と言っています。自恃とは「自」と「矜恃」の「恃」の二文字であり、「自らに恃(たの)むべし」ということです。江戸時代の昌平坂学問所の名塾長としてしられる佐藤一斎は「士は当に己に在る者を恃むべし」と言っています。他人に頼る前に、自らの内にある己自身に恃むのが筋道であると言っているのです。卒業後、これからも多くの試練や困難が皆さんを待ち構えていると思います。困難を厭わず、困難を乗り越え、それを自らを鍛えるチャンスと捉えて、恃みとなる自己を磨いてほしいと思います。また、若いときの苦労は成長の糧となります。自らを鍛え、自らに恃むべしを心がけてください。

 

松本総長  本年は十干、十二支では「ツチノト、ウシ即ち己丑(キチュウ)」の年に当たります。

  十干の「己(キ)、ツチノト」は曲がりくねった糸の端を表し、乱れた糸をほぐし、糸筋を正し、乱れを正す年を意味するそうであります。また「ツチノト」も十二支の「丑(ウシ、チュウ)」も梢の先の芽が伸び、芽が曲がりつつも伸びようとする様を表し、新しいことが起きることを予感させます。従って「ツチノト、ウシ」に当たる今年は、まさに金融危機に端を発した混沌、混乱から脱出し、正しい方向に向けて出発する年であります。また「丑」の文字がカタカナの「ユ」と「メ」の合成のように見え、「ユメ」とも読むことができ、新しい夢も暗示しています。皆さんには、将来へ向かって「おおいなる夢」を抱き、浮かれていた世の中を見直し、「牛歩」のごとく確実に歩を進める年となるよう、努力して行ってほしいと思います。

  私は、地球だけの閉じた経済圏では、資源、食料、水、エネルギーなどの供給難に陥り、早ければ40年後に、少なくとも100年以内に安定的な成長や人類の生存でさえ難しくなるとこれまで指摘してきました。人類の未来には地球温暖化、環境、食料、資源問題が待ち構えています。最近、持続可能性(サステイナビリティ)がもてはやされていますがサステナが人口に膾炙すれば、まるで中世時代の免罪符のように、人々に困難が簡単に克服できるというイル-ジョンを与えかねないということを心配します。事態はもっと深刻なのです。そこで、私は人間社会の「サステイナビリティ」よりも人類の「サバイバビリティ」こそ、今考えるべきと思っています。その観点で世界を眺めてみると、個人、組織、地域、国、世界の様々なレベルで生存が問題となる大競争時代が既に始まっています。環境や資源、エネルギーなどに関し、生存を支える科学技術の開発が問題解決に間に合うかどうか、そのスピードが極めて重要です。高い技術と勤勉さは我々日本人の美徳です。それらの美徳をもった日本人が、これから世界に打ち勝てるのは環境やエネルギーの技術の分野だと思います。私は省エネや節エネに加えて、低炭素社会の中で安定的にエネルギー源を確保する有望な宇宙太陽発電所にも興味を持って研究開発に取り組んできました。今のロボット技術や半導体技術、太陽電池技術や電波技術を活かせば、宇宙に発電所をつくることも可能です。太陽系を利用する技術をつかめば、地球という制限の中で行き詰まっている人類の将来は明るいと私は見ています。しかし、ここで注意しないといけないのは、サバイバビリティに取り組む際、弱肉強食の世界になってはいけないということです。科学技術の知識だけに頼り、過信してはならないのです。人文学や社会科学の知恵も動員し、人々が犯しやすい欲の暴走を抑え、環境権、生存権、人間権なども十分に考慮し、共生を重視する日本の和の発想を基にした『生存学』を創生していく必要があるのです。科学技術による生存の基盤を支える『生存基盤学』を通じ、世界の生存を保証することを考え、あわせて共生を基礎とする和の精神を活かすことが、世界のサバイバビリティの実現に役立つのではないかと考えています。現代の社会は個人の能力と欲望、そして社会の能力で発展してきましたが、欲望の独走を許したことが今の金融危機の背景にあると思います。それらの問題を克服できるかどうかはわかりませんが、人間の暴走を人文学や社会科学の知恵や文化で防ぐ必要もあるのではないでしょうか。本日卒業される皆さんには、京都大学の卒業生として、人類の生存のために日本、いや世界で指導的な役割を果たしていただきたいと思います。

  最後になりましたが、卒業して社会で活躍される皆さんには、様々な場所で京都大学で身につけた自学自習の精神を活かして活躍しつつ、皆さんの母校である京都大学で学問を続ける研究者たちの応援もお願いいたします。また、約6割を占める皆さんは、修士課程に進学され、引き続き大学で研究を続けることになりますが、私は、京都大学が優秀な人材を活かせる大学であるように改革を続けたいと思います。

  シモーヌ・ボーボワールは「人間の条件は、与えられしものを悉く越えてゆくことである」と言っています。卒業の機会のみならず、今後も絶えず自らを省みて、身体を鍛え、こころを磨き、体とこころのバランスを大切にして、ご活躍されることを願い、京都大学学士の学位を得られた皆さんへの私のお祝いの言葉といたします。ご卒業おめでとうございます。

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