湯川秀樹・朝永振一郎博士 生誕百年記念事業
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1949年11月 Nobel賞の報せを受けた後のPrinceton高等研究所訪問。 左から Oppenheimer, 湯川、朝永

湯川・朝永記念基金への募金

湯川・朝永記念基金への募金


・よびかけ

  太平洋戦争敗戦後4年目の1949年、日本人は物理学者の湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞するというニュースに驚き、よろこびにわきました。水泳の世界大会で日本人が優勝したというニュースとともに、戦後の生活困窮と精神的な落胆で打ちひしがれていた国民に大きな希望と勇気を与えました。湯川博士が1935年に発表した中間子論が1947年に実験で検証されてノーベル賞受賞となったのです。
  湯川博士とともに京都大学で学んだ朝永振一郎博士は戦中戦後の混乱期の中で場の量子論の難問に挑戦して1948年に「くりこみ理論」を発表しました。この業績によって朝永博士も1965年度のノーベル物理学賞を受賞しました。
湯川博士は1907年1月23日生まれ、朝永博士は1906年3月31日生まれであり、ともに生誕百年の節目の年を迎えられます。二人はともに京都大学教授の子弟として京都で育ち、旧制第三高等学校と京都大学物理学科において同級生として量子力学という新しい物理学を自学自習し、世界の研究界の最先端に飛躍していったのであります。
「それにつけても想い出されますのは湯川先生がノーベル賞を受けられた昭和24年の頃であります。私は尚、医学部の助教授でありましたが、戦後の窮乏のあけくれの中に疲れることのみ多い毎日を送っていましたが「1949年ノーベル物理学賞日本の湯川教授に」との新聞報道は同じく科学研究に携わる私共に衝撃的感動を与えました。その夕の帰途にみた時計塔の灯は吉田山を背景にくっきり浮かび上がってみえました。ひとり科学者のみでなく日本国民全体は自信喪失の首を初めて伸ばし、世界をかいまみる気持ちを味わったのでした。以来、この25年はそれを契機に日本人が窮乏のどん底から自ら努力で次第次第に自信をとりもどし国際社会に登場する四半世紀でありました」
 これは基礎物理学研究所25周年記念の式典における当時の京都大学総長 岡本道雄の祝辞の一節でありますが、敗戦後間もない時期での日本人初のノーベル賞受賞がもった「衝撃的感動」はまさに全国民に及ぶものでありました。そして両博士はあい協力して、それによる国民の負託から逃げることなく、戦後の研究体制の構築ならびに教育、文化、平和の国民的課題に積極的に活躍したのであります。まことに学者としての見事な人生をえがかれたのであります。
 このような偉大な学者を育んだ京都大学はその伝統と精神を記憶し継承していくために「湯川朝永生誕百年記念事業」を行っております。しかし、前記のように両博士が広く社会にたいしてもった意義は一大学や専門分野にとじるものではありません。広範なひとびとの感動、感謝、願いを表明するために湯川朝永記念事業ための基金への募金を呼びかけるものであります。

   2006年3月吉日

京都大学 総長
尾池 和夫
第19代総長
岡本 道雄
第20代総長
沢田 敏男
第21代総長
西島 安則
第22代総長
井村 裕夫
第23代総長
長尾 真
湯川記念財団理事長
佐藤 文隆