卒業式式辞

平成13年3月26日

 

 21世紀の最初の年に社会に出てゆく2,829名の皆さん、京都大学卒業まことにおめでとうございます。ご来賓の元総長、名誉教授の先生方をはじめ、各学部長、教職員とともに、卒業生諸君とご家族の皆さんに対し、心からお祝いの言葉をお送りいたします。

 さて、21世紀は情報の時代であり、情報社会が実現すると言われております。政府は、昨年IT戦略会議において、日本の情報技術(IT)の発展と社会への定着を検討し、それを基にして「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」を作るとともに、予算の重点配分をすることによって、社会の情報化を強力に推進しようとしております。電子商取り引の促進や電子政府の実現などがその中に含まれ、情報利用の機会均等が目ざされています。

 これは社会に多くのことをもたらすでありましょう。社会生活が便利で豊かになることが望まれます。また企業内での情報のやりとりだけでなく、企業相互間での契約や取引きといったことまでが、電子ネットワークを介して行われるようになってゆくでしょう。特に注目すべきことは、インターネットをはじめとして、種々のIT応用システムが各家庭に導入され、単に電子メールのやりとりだけでなく、いろんなことがどこにいても実行することができることになることです。そこで、これを積極的に利用する人と、これを利用しない人、利用できない人との間に大きな優劣の差が出てくるのではないかと心配され、情報技術の教育の重要性が認識されつつあります。

 そういった中で最も顕著なことは、情報の洪水という現象があることであります。テレビはこれからますます多チャンネルになってゆくでしょうし、新聞・雑誌もあらゆるところで読まれています。たとえば我が国における出版物の点数は、1980年には年間約2万8千点が出版され、約10億6千万冊の販売がありましたが、1998年には書籍の刊行点数が約6万3千点で、販売冊数は約15億2千万冊となっており、また月刊誌は約29億冊、週刊誌は21億冊出ております。最近2,3年間は、全体の伸びは鈍化しておりますが、その分インターネットなどの情報に移って行っているとみることができます。

 今日インターネット利用者は、日本において約2000万人と推定されていますが、これから我が国のIT振興策によって、小中高校でのコンピュータリテラシー、インターネット利用法の教育の普及によって、さらに急速に増えてゆくことが予想されます。それに伴って、全ての人がそれぞれ情報発信をしますから、世界中からぼう大な情報が刻々と流されて来て、我々は情報の洪水に右往左往させられることになります。そして、人はますます瞬間的に物事の判断をし、行動をすることが要求されることになるのであります。企業は半年ごとの業績が問われるとともに、日々の株価変動に浮身をやつすことになります。またジャーナリズムが主体となって企業間の優劣比較を行い、優良企業のランキングを毎年発表します。大学においても、教育、研究の成果、さらには卒業生の社会での活躍の程度などが、各大学間で相互比較され、ますます競争をあおるといった時代となって来ており、今後この傾向はさらにひどくなってゆくだろうと思われます。

 このような状況になりますと、人々はいやおうなく、その時々の情報に強く影響され、これに対応しなければならなくなってゆきます。情報化時代はスピードが要求されますが、日々変化する不確実な情報に一喜一憂しなければならなくなり、こうして人々の行動、企業の活動、政府の施策といったことが、表面的な現象に対する対処療法的なことに終始することになってしまうのであります。これはよく考えれば異常なことであります。情報化時代は、人に物事を深く考える時間を与えないところに、大きな問題をもっているのであります。

 皆さん、一度海岸に行って、打ちよせる波を何時間もじっと観察してみませんか。そして波の原因について考えてみるのです。波の表面的な現象だけを見ていてはなりません。その裏にはその波を生じさせる水の回転運動と海底の地形があり、またはるか彼方からくる長周期のうねりがあることを知らねばなりません。それは一体どこから来るのでしょうか。このように、目に見える波がどうして起こされているかという根本原因に、しっかりとした目をむけて考えることをしなければ、波の現象の真の姿は捉えられません。

 同様に、日々の情報の洪水に対して、その場その場で反応しているだけでは、物事の本質的な解決にはなりません。報道される種々の事柄についての真の原因がどこにあるのかを考え、長期的な視野のもとに物事の判断をしなければなりません。そういった形で、しっかりした物の見方をもたねば、長期的な意味での発展は望めませんし、また日々の判断にも誤りを来たしてしまうことになります。10年前のバブル期に多くの企業が、競争相手の企業がこうしたから我が社も負けずにこうする、といったやり方に浮身をやつすようなことばかりし、長期的な視野にたったとき、どのようなばかげた事をしているのかに気付かなかった結果が、今日の日本経済の悲惨をまねいているのであります。自分の哲学をもたず、忍耐心をもたない人達の醜い争いの結果であります。

 日々の不確実な情報に対して、どう対処したらよいかと迷った時は、物事の根本に帰ることが大切であります。それはまず第1に、学問にたよるということであります。今日大学で講義されている学問は、実際世界で役立たない空理空論である、といった非難がなされることがありますが、それは目先きのことのみに囚われている人の言うことでしょう。たしかに学問内容と実際の現象、現実の世界との間には大きな隔たりがあります。しかし学問は物事の本質を示してくれます。その本質と目の前の現実の間を埋めるのは、講義での説明であり、セミナーにおける議論であります。そして、諸君はそのような訓練を受けて来たのであります。

 社会に出るとそういった機会はなくなりますが、自分の経験を生かし、よく物事を観察し、学んだ学問に照らして深く考察をし、そのギャップを埋めることが必要となります。現実は千差万別であり、それらの現象全てについて、大学で詳しく説明をすることはできません。学問は、そういった種々の現象に対する基本的な考え方を与え、なされるべき判断へのヒントを与えてくれるものなのであり、学問をいかに応用し、活用するかは諸君のこれからの研鑽にかかっているのであります。

 技術革新とグローバル化にともなう今日のような激しい社会の変化に対して、企業や組織がどう対処してゆくべきかは、大きな問題であります。諸君は社会に出て10年もすれば、そういったことに対して自分で判断を下し、物事を実行してゆかねばならない責任ある立場に立たされます。他人に頼って、言われたことをしていればよいといったことは許されず、自分の責任において決断をしなければならないことになります。

 この時にどうするかは諸君の情報収集能力、学問的あるいは論理的判断力とそれまでに得た諸君の貴重な経験によるわけですが、より基本的には諸君の人生観によるのであります。社会における問題には数学の問題の解のように唯一の答といったものはほとんどなく、考え方によって無数の解がありうるのであります。それは多くの未知の周囲条件をどのように推定するかということにもよるわけで、それらは論理的に導き出すことはできず、諸君の経験と直感に基いて推定し、最も適切な解を選ばねばなりませんが、そこに諸君のもつ世界観、人生に対する態度が現れてくるのであります。

 これからは情報の時代であるといわれ、より多くの情報を得るものが勝利をおさめるといった事がよく言われますが、世の中の現状はかならずしもそうではありません。むしろ情報の洪水の中で、どう物事をきめればよいかが分らずに、結局解決を先延ばしするといったことばかりがなされているのであります。

 機が熟さないから我慢して待つということはあり、その我慢をするだけの忍耐力を持つことは大切なことでありますが、最近の多くはそういったものではなく、決断することができなくて、無策に先延ばしをしてばかりいるといったことが多すぎるのであります。自分の人生をかけて決断しなければならないということは、長い人生において、誰にでも2度や3度はかならずあります。その時にどう決断するかがその人をきめるわけですし、それが誤まらずに行えるためには、日頃から物事を深く自分で考え、精神を鍛錬していなければなりません。うちよせる波をじっと眺め、何時間もよく考えることによって、その動きの本質が分ってくるのと同じであります。その考える努力の方向は拝金主義といったものでなく、真実を求め、世の中の道理を知り、社会に少しでも貢献するという使命観をもって努力する方向のものでなければなりません。

 こういったことは、大学でどのように自分の学問をしたか、どこまで深く人生を考えたかによります。諸君は頭脳明晰で、いざとなれば相当なことが出来る能力と集中力をもっていることは間違いありません。しかし、諸君の人生を支える根本的な物の考え方を、学生生活の間に身につけたかどうかが、もっと大切なことであります。しかし、そういったからといってあまり心配しないで下さい。そういったことを身につけるのは、誰にとっても簡単ではありません。学生時代だけでなく、常に絶えまなく学び、よく考え、精神の鍛錬を行うことによって、徐々に確立してゆくものなのであります。

 学問は大学の努力によって自律的に進歩発展し、社会を豊かにしてゆきます。一方では、社会は常に新しい問題をひきおこし、大学はこれに答えるべく研究し、その結果を社会に還元しながら、学問を発展させることもしています。学問の根本は変りませんが、その発展は日進月歩であり、常に変化していっております。したがって、根幹となる学問以外の専門的学問分野は10年もすれば全く新しくなり、これから社会に出てゆく皆さんも、暫くすると学問の新しい展開について学ぶ必要が出てくるにちがいありません。

 大学はこういった場合に対して社会人入学という制度をもち、社会の人々を受け入れておりますから、皆さんも再び京都大学にもどってくることができます。これからは生涯教育の時代であります。大学は諸君の心の古里であるとともに、実際に諸君が必要とするときに、適切な学問・知識を与える場であり、いつでも戻ってくることのできる故郷であります。

 情報の洪水にまどわされず、新しい学問を必要に応じて学び、自分で深く物事を考え、目の前に現れる困難な問題にたち向って行く勇気を与えるのが大学であります。困難に出合った時は京都大学を思い出し、いつでも相談のため、学習のため、また憩いのために戻って来て下さい。京都大学は暖い心で皆さんを迎え入れるでしょう。京都大学という偉大な故郷があるという安心感を持って出立して下さい。

 これからの困難な社会を少しでも良くするという使命観をもって、存分に活躍して下さることを期待し、京都大学の教職員一同は諸君を社会へ送り出すのであります。