博士学位授与式 式辞

平成15929

 

 本日京都大学博士の学位を得られた課程博士84名、論文博士41名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご列席の副学長、各研究科長とともに心からお喜び致します。

 私はこの夏京都大学フィールド科学教育研究センターの北海道研究林を見学に行ってきました。京都大学には全国各地に研究のための施設がありますが、訪れた研究林は最も北に位置する施設であります。研究林としては芦生、和歌山のほかに、上賀茂、徳山にも試験地を持っていますが、この北海道の研究林では、北の寒冷地における林の特徴は何かを明らかにし、持続的な森林資源の管理手法の確立を目指しています。たとえば標茶(しべちゃ)区のヤチダモ、ミズナラなどの落葉広葉樹の天然林とトドマツが混生する白糠(しらぬか)区の針広混交林の動態とその比較研究、トドマツやカラマツ人工林の育成の方法、ノネズミや鹿などによる被害防除法といったことを含み、いろんな観点から研究をしています。

最近は外国から木材が大量に移入される時代となって、国内の木材生産は経済的にはほとんど成り立たない状況になっているのはまことに嘆かわしいことです。そこでいきおい、高品位・高樹齢の大木を計画的に造る方向に行かざるをえないのですが、これには80年以上の年月を必要とし、その間に樹の密度管理を適切に行わねばならず、間伐作業などを必要とするのであります。そこで間伐材の利用法を考えねばなりませんが、国産の木材にはそれなりの良さがあって、その長所を理解し、活用することも課題とのことであります。

見学の日はちょうど1回生のポケットゼミの学生諸君が6名来ていて、一緒に白糠区の山林の中を歩き、林長の竹内典行教授から直接種々の説明を受けました。低地の落葉広葉樹林から山の上の方へ向かって木の種類が変わっていく有様、なぜそのような林の生態構造になるのか、高い木と共存してその下に多くの低木が広がる林に比べ、整然と密生して植えた針葉樹の林の中は日が当たらないこともあって何も生えず、したがって訪れる鳥も少なく、死に瀕した場所になっていることなど、長年の経験を交えて現場を見ながら説明いただき、いわゆる針広混交林の豊かさ、すばらしさがよく理解できました。芦生の研究林とは生えている樹種がずいぶん違いますが、混交林は様々な草花や樹木だけでなく、花や植物の実を求めて多種多様な動物が集まって来て、お互いに食べ、食べられながら調和を保って共存する循環的な世界を形成していることはすばらしく、自然の仕組みの合理性と偉大さがよく分かりました。

同じことがご案内いただいた近くの釧路湿原についても言えます。この広大な湿原は豊かな水のおかげで多くの植物が生えては枯れ、生えては枯れして、腐らずに数メートルもの厚さに堆積しており、簡単に人を近づけません。そしてそこには豊富な魚や鳥が住んでおり、丹頂鶴などの渡り鳥がやってくるのです。しかしこのような湿原も周辺の人家の活動によって徐々に狭められ、水質も必ずしも良くなく、アメリカザリガニなどが繁殖して生態系が変わりつつあるのだそうであります。

湖沼や河川、干潟など、湿地の保全と賢明な利用を目的として1971年にイランのラムサールで採択された国際条約は、正式には「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」という名称ですが、このいわゆるラムサール条約に日本は1980年に加入し、釧路湿原を日本の第1号として登録しました。そして1993年には第5回ラムサール条約締約国が釧路に集まり、湿地の保全と管理、賢明な利用、そういったことについての国際協力ということを釧路声明として発表しております。そうしたこともあって、環境庁をはじめ、地元の方々の手で湿原の保全への努力が行われるようになっています。

できるだけ多くの人がこのような自然を守ることの大切さを認識する必要がありますが、それは実際に見て初めて分かることでもあります。たとえば生物多様性の世界は、実際に観察してみると、分かっていると観念的に思っていたこととは大違いで、その豊富さは驚くばかりのものでありました。何事につけても実際を確かめることの大切さを改めて認識しました。

 日本の植物・動物の生態系は近年の急激な地域開発、工業化によって決定的な破壊の渕に立たされています。我々人間は本来的に自然に育まれるべきものでありますし、CO排出問題を考えてみても森林を大切にするだけでなく、多様な動植物が共生する自然林を積極的に造ってゆくという方策が必要であります。このような森林には必ずといってよいほど美しい川があり、そこにはまた多くの魚が生息しており、これを目あてに鳥や獣がやって来て、それらの鳥獣はまた木の種を運ぶ役目もするのであります。こうして森はますます豊かになってゆきます。豪雨による地滑りを防ぎ、砂防ダムやコンクリート壁の護岸などをできるだけ避けるためにも、山林を豊かな天然混交林にすることの大切さが再発見されてきております。30年前後の中くらいの太さの木材の生産を最高優先順位とするという従来の山林の管理運営方式でなく、地球環境の保全を第一の目的としながら、木材生産事業、木材利用事業が成り立つという方向を追求する時代になってきているのでしょう。

 竹内先生のお話によれば、林学における基本的な実験計画は少なくとも二、三十年単位、あるいは五十年から百年を1つのサイクルと見て組み立てられているようであります。どのような種類の樹木がどのような気候のどのような土壌に適合するか、新しく植林してそれがどのように生育してゆくか、雑木と植えた針葉樹とが種々の条件のもとでどのような競合関係を構成するか、ある植物がどのようにして他地域に広がり、他の植生を侵略してゆくかといったことを実際に観察するといったことは、その例であります。

 このような研究は1人の教授在任期間で完結せず、2代、3代の教授に引き継がれていって初めてはっきりした結果が出せるわけで、実に息の長い研究が必要なのであります。百年、二百年先の子孫や人類のことを考え、将来の地球のことを考えて、いま我々は何をなすべきかをもっと真剣に検討せねばならないでしょう。世界全体がものすごいスピードの競争時代になってしまって、我々すべてが一年先、あるいはせいぜい数年先のことしか考えられないようになってしまっているのは実に嘆かわしいことであります。

 こういった実に長期間にわたる研究があるかと思えば、今日のゲノム関係の研究のように、日夜をわかたず実験を行い、新しい知見を一刻も早く見つけ、他の研究者に負けないように発表するといった研究分野もあります。同じ大学における研究といっても、このように分野や目的によって、その研究の進展速度は全く違うのであります。国立大学を法人化するとともに競争原理を導入して評価を行うという時代になりつつありますが、このように研究の時間軸が全く異なるいろんな研究があることをよく認識しなければならないでしょう。そういったことは観念的には分かっていても、1年間に幾つも論文が発表される分野に目がゆき、何年もかけないと結論が得られないという自然を相手にした研究は評価において不利になりかねないのであります。こういった何年も、あるいは2代、3代にわたって研究を続けないと結論が得られないような研究は、どこの大学ででも行われうるものではなく、京都大学のようなところでしかできないもので、そういった意味からも我々として非常に大切にすべき研究であります。

 このような性格を持った研究分野は文系・理系のいずれにも多く存在していますが、優秀な若者がそういった分野に積極的に入ってゆけるような環境を整備することが大切であります。長期にわたる奨学金を出し、成果に対する評価は毎年せず数年おきに行うなどの工夫が必要になると思われます。大学に競争原理を導入するのは必要でしょうが、「角をためて牛を殺す」 といったことにならないような注意が必要であります。

 今日、京都大学博士の学位を得られました皆さんは、3年で論文を仕上げた人、4年5年かけた人、あるいは10年以上の年月をかけて他の人ではとうてい到達できない独自の世界を築いた方々など、いろんな方々がおられると思いますが、京都大学博士はその名に値する高いレベルのものでありますから、この博士号を誇りとして、これからまた一段と有意義な活動をされ、社会に貢献して下さることを期待したいと存じます。