卒業式 式辞

 

平成15年3月25日

 

 今日、京都大学を卒業される2746名の皆さん、まことにおめでとうございます。元総長沢田先生、ならびに名誉教授の先生方のご列席のもとに、副学長、各学部長とともに皆さんの門出をお祝いできることは、私の最も喜びとするところであります。この卒業式にご参列下さいました皆さんのご両親、ご家族、関係者の方々にも、心からお慶び申し上げます。

 皆さんが小学校以来、長く勉学を続け、最高の学府である京都大学を卒業する日を迎えることができましたのは、皆さん自身の努力はもちろんのこと、背後にあって有形無形の支援をして下さった皆さんのご両親、あるいは親族その他の方々の御陰であり、卒業にあたってこれら皆さんの恩人に対して感謝しなければなりません。

皆さんは京都大学の学生生活を通じて何を学んだのでしょうか。卒業式に際して皆さんそれぞれによく考えていただきたいと存じます。それぞれの学部学科の専門的基礎知識を身につけて社会に出てゆく人、また大学院に進学してさらに専門分野の勉強をしようとしている人など、いろいろとあるでしょう。いずれの場合も、学問は今日急速に進展しており、大学で学んだ先端的なことは数年もたてば役にたたなくなるでしょうから、これからも常に勉強を続けねばなりません。

 

(1)大学で学んだこと

社会で重要な立場に立たれた方々の中には、しばしば「大学では遊んでばかりいてろくに勉強しなかった」とか、「大学の講義は卒業してからあまり役に立たなかった」とかおっしゃる方が多くおられます。青春の時代にはよく学びよく遊ぶのは当然のことであり、楽しい遊びの方の記憶だけがいつまでも残った結果、そういう発言となったのでしょう。しかし、そういう人に限って実際は大学時代によく勉強されたに違いないのであります。なぜならば、もしそういった人達が青春時代を大学で過さなかったとしたならば、その人の今日はおそらく無かったに違いないのであります。本人が自覚するしないにかかわらず、大学の学生生活はその人の人生にとって大きな力となっていることは間違いありません。大学で学んだ基本的なこと、いわゆる教養というものは身についていて、いつまでも忘れないものであります。

さらに学生生活においては、大学で直接学んだこと以外に、目に見えない形で物の考え方、物事に対する価値観、人生に対するあるべき態度などを学び取り、体得します。これがいわゆる教養の核となる最も重要な部分であります。教養とは何かについてはいろんな考え方がありますが、その一つに「学んだ知識を全て捨て去った後になお残るもの、これが教養である」ということがよく言われます。ここでいう教養の核となる部分であります。遊んでばかりいてろくに勉強しなかったと言う人も、この意味での教養にあたるものは、学生生活を通してしっかりと獲得しておられたのではないでしょうか。そうでなければ、千変万化の厳しい社会を生き抜いて、その人の今日があるということにはならないはずであります。別の言い方をしますと、いろんな具体的な知識はその時その時に獲得すれば何とかなるが、この教養というもののしっかりした獲得が長い人生においていかに重要であるか、特にそれを学生時代にしっかりと身につけることがいかに大切であるかということを、「大学では遊んでばかりいた」という人の話が意味しているとも言えるでしょう。

この教養の中でも最も根本的なもの、すなわち自分の人生観というものが確立される青春時代を京都大学において過したということは、皆さんにとってかけがけのない貴重なことであります。京都大学ほど物事を根本的に考えさせる環境を与えてくれる大学は他にないからであります。京都という都市、京都大学の持つ学問と真理に対する真摯な態度などから育まれた、皆さんそれぞれの人格・精神こそが、これからの長い皆さんの人生を根底から支えていってくれるのであります。皆さんはそのような無二の価値を持つ京都大学の卒業生として社会に出てゆくのであります。どうか自信と誇りを持って活躍していただきたく存じます。そしてこれからも時折は京都大学の学生時代を思い出し、自分の人格をより良く深め、またそれに磨きをかけていって欲しいのであります。

 

(2)責任と使命

 さて皆さんは大学を卒業し社会へ出て、いよいよ本当の意味で一人前となるわけでありますが、そこで最も大切なことは自分のことは全て自分が責任を取るということ、すなわち自己責任という意識をしっかりと持つことであります。人に指示されたからしたというのではなく、たとえ指示されたことであっても、それを自分がしたということは自分の判断でそれを決定したということであることを認識しなければなりません。何事につけても、つい他人に責任を転嫁しがちな今日でありますが、この責任感こそが社会生活をしてゆく上で最も大切なことなのであります。

さらに、これからの社会に対する使命感も持っていただきたいのであります。社会に対して自分なりに貢献するということであります。自分の存在は自分の力だけによっているのではなく、多くの他の人に依存し、支えられて存在しているということを知らねばなりません。親・兄弟だけでなく、先生、友人、さらには自分の全く知らない人、関係のない人にまで御蔭をこうむっているのであります。今日の物の考え方はしばしば自己中心的であり、自分の権利の主張といったことになりがちですが、それでは社会は成り立ちません。世の中には一人勝ちということはありえないのであり、共存共栄への努力が大切であります。そのためには謙譲の精神を持ち、他に対する協力、社会に対する貢献という視点を持つ必要があります。自分の心が豊かになるためには周囲の人々もまた心豊かでなければなりません。これは人と人との関係、企業と企業との間だけでなく、国と国との関係についても言えることであります。

 

(3)独自性と忍耐

 次に大切なことは他人の真似をしないということです。多くの人が時代の流行に乗って同じようなことをしていたり、長い目で見たら実にくだらない競争をしているということが世の中には多くあります。また現代は改革と革新の時代と叫ばれていますが、あまりにも急激な変革は多くの歪を生じ、何年か先には大きな矛盾となって現れるということも多いのであります。ただそういったことの無意味性を理解したとしても、自分だけが多くの人のしていることをせず、自分の信じる道をこつこつと進むということは大変困難なことであります。特に評価ばやりの今日、他人からの評価によって価値が決められてしまうといった状況下では、これには忍耐心という非常な勇気が必要であります。しかし深く考えた末に得られる信念に基づいた、そういった勇気を持たねば、本当に良いこと、意味のあること、社会に役立つこと、あるいは新しい独創的なこと、といったことはできないでしょう。

自制心と忍耐力をしっかりと持ち、自分の信じる道を追求すること、少なくとも自分の信じない事には(くみ)しないこと、といったことも大切であります。ただこれを偏狭で頑固な考え方でやれば唯我独尊に陥る危険性があります。京都大学の自己点検・評価の作業において卒業生にアンケートをしましたところ、京都大学の学生は国際性・協調性にやや欠けるところがあるという結果が出ています。そうならないためには、他人や世界をよく知り、おおらかな心、寛容と自信、そして客観的な物の見方をし、自分の位置づけを知るといったことへの努力が必要であります。自分の理想とする人生の生き方にできるだけ沿った人生を生きるということは、現代においてはほとんど不可能なことでありますが、そういった考えを持ちながら最善の努力をするということは大切なことであります。

 

(4)社会への貢献

 以上に述べましたことは古い考え方であると言う人もいるでしょうが、正しいことは古くから今日まで、いつの時代にも正しいのであります。こういったことは大学の授業で直接的には習わなかったでしょう。しかし、1200年の伝統を持つ京都に生活し、京都大学で学問を学ぶことによって、皆さんは間接的に、また暗黙のうちに体得したのではないでしょうか。そうであることを私は皆さんに期待をしたいのであります。あるいは少なくとも京都大学で学んだことの最も大切な真の価値はそういうところにあったのだということを皆さんがこれからの人生のいつかの時点で自覚していただくことを期待いたします。

 これからの社会、また世界はいろんな意味で困難山積の時代であります。民族や国家間の対立・抗争が激化しつつあり、難民は増大し、貧富の格差がますます激しくなっております。また人口爆発とエネルギー・食糧・水などの不足が深刻化しつつありますし、大気や水・土壌などの汚染を典型とする地球環境問題など、数え上げればきりがありません。こういったことの解決は容易ではありませんが、これからの社会を支える皆さんが、国際的な相互理解、相互協力の努力を通じてこういった難問の解決にあたることが期待されています。長い忍耐のいる仕事でありますが、皆さんは京都大学で培った力によって少しでもよい社会、明るい世界が作り出せるよう、それぞれに努力していただきたく存じます。皆さんの新しい出発を祝福して私の餞の言葉といたします。