博士学位授与式 式辞

 

平成14年1月23日

                            

 今回京都大学博士の学位を得られた課程博士57名、論文博士92名、合計149名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご列席の各研究科長とともに心からお慶び申し上げます。

 京都大学におきましては、博士課程への進学者も徐々ではありますが年々増加して来ており、博士学位授与者の数は平成12年には849名、うち課程博士579名、論文博士270名となっております。しかし博士課程入学者定員1081名からすると入学者は定員の87.8%であり、課程博士の学位授与率は約65%にとどまっているという現状につきましては、大学としてさらなる努力をすべきものと考えております。しかしながら毎年の修士課程入学者数と博士課程入学者数の合計は3000名をこえ、学部入学者数約2800名よりも大きい数字となり、名実ともに大学院重点化大学となって来ていることが分かります。

 京都大学は日本における代表的な研究中心の大学であり、“自由の学風”を確立して来たのでありますが、今日その目ざすところをさらに具体的に示す必要があるとして、最近京都大学の基本理念を策定いたしました。これは、教育、研究、社会との関係、運営という4つの柱をたてて、京都大学の目ざすところを述べておりますが、そこでの特徴は“研究”を第一においたところにあるでしょう。その内容は、“京都大学は、研究の自由と自主を基礎に、高い倫理性を備えた研究活動により、世界的に卓越した知の創造を行うこと”とし、また“総合大学として、基礎研究と応用研究、文科系と理科系の研究の多様な発展と統合をはかる”としております。そしてこういった活動において、“環境に配慮し、人権を尊重した運営を行い、社会的な説明責任を担う”ことを明言しております。

研究の本質は研究者個人の内発的な興味と探究心にあります。そしてこれを自由に発展させてゆく環境が大学というところに与えられているのですが、これは大学と大学の研究者が社会から信頼され、自由に研究する権利を社会から信託されているのであり、これを忘れてはなりません。この社会からの信託に答えるために、研究者は常に人格をみがき、研究に専心するとともに、社会の信頼を裏切らず、また社会に対して言うべきことは言うという勇気も持たねばなりません。

 今日、科学技術の発展が国を支え社会の将来を豊かにするという期待のもとに、巨大な研究開発資金が投入され、また優れた成果をあげた研究者は華華しく表彰されるという時代となり、研究者の間には研究費獲得のための熾烈な競争が行われ、研究成果も学会だけでなくジャーナリズムを通じて大きく公表され、社会にアピールするといったことが日常的になって来ております。しかしそういった状況はしばしば研究者のあせりを誘発し、京都大学の研究理念に言うところの“高い倫理性を備えた研究活動”からややもすると逸脱した行動を生じる危険性のあることを我々は十分に認識し、注意深く行動することが必要であると存じます。

 今日、科学研究における不正行為は氷山の一角であり、それは予想をこえて科学界に広く浸透しているという指摘があります。米国には研究公正局(Office of Research Integrity)という機関があり、こういったことにも積極的に対処していますが、日本ではそういった不正行為の存在を認めたがらず、組織的な対応ができていないのであります。

論文の捏造といった明らかな背信的行為は論外としても、科学者として倫理的に考えて疑問とされるような行為もいろいろとあるのであります。たとえば、山崎茂明氏の情報の科学と技術51巻12号(2001年12月号)の論文、“科学の不正行為への生態学的アプローチ”においては、次のような事実が示されております。この論文はMedlineの900万件以上の文献を中心として種々の分析をしたもので、たとえば科学の不正行為について論じた論文が過去24年間に882編存在し、1993年94年をピークとして徐々に減少して来ましたが、2000年にまた増加に転じ、2000年1年間に100件近くのこの種の論文が発表されているとのことで、科学技術関係で不正と疑われるような論文がかなりあることを暗示していると考えられます。

 実際の不正行為が行われた事例を発見するのは非常に困難なようでありますが、米国の研究公正局の統計では、1993年から1997年までの5年間で76件、年平均15件の不正行為が明らかにされているとのことであります。米国科学振興協会の1992年の調査では、研究者からの回答469件のうち27%が過去10年間に研究の捏造、偽造、盗用などに個人的に出合っており、この期間に平均して2.5回の疑わしい事例を直接目撃したといい、これらの事例の48%について、その疑わしい個人が研究機関を去り、不正行為を認めていたという報告があるのだそうであります。

 こういった事例のほかに、ほとんど同じ内容の論文を異なった雑誌に重複出版したり、一度発表した論文を何らかの理由で撤回したという類いのものもあります。さらに微妙な問題なのは、論文の著者が複数人の場合で、研究の実質的内容を作った人が筆頭著者になっていなかったという不満は多く、また一方では論文原稿を読んでもいないのに著者に加えられていたという事例もあります。

以上のような各種の不正行為については、まず不正行為の範囲を明確にすることについて種々の議論があり、データのもつ弱点を説明しない、結果を選んで説明する、ネガティブな結果を発表しないといった不正行為に近い憂慮されるべき逸脱行為についてまで議論は進んでいないという状況のようであります。もっとも科学は学説が否定されることによって進歩するものであり、「正確なエラー」と「不正行為」をはっきりと区別することが必要であるということにも十分注意する必要があるわけであります。

 以上のような山崎茂明氏の指摘は、今後科学技術研究にますます資金が投入され、成果に期待がかけられる時代になればなるほど、我々研究に従事するものは深刻に受けとめる必要があると存じます。京都大学の基本理念が研究において掲げる“高い倫理性を備えた研究活動”は、もっと広い研究活動面での研究者倫理を意味しておりますが、研究論文の作成に限っても引用しましたような問題が現実には山積しているのであります。

 京都大学博士の称号を得られた皆さんには、これからも研究を続けて行かれる方、研究成果をもって社会に出てゆき活躍される方など、いろいろな方々がおられます。しかし、いずれの場合も研究に対して今後とも何らかの関係を持ちつづけられるでしょうから、研究活動についての倫理性ということについて常によく考えていただきたく存じます。

 皆さんの博士学位の取得をあらためてお祝い致します。