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VOL.8 Alexander D. Hernandez 博士 (京都大学霊長類研究所 客員研究員)

Alexander D. Hernandez 博士 霊長類の寄生虫を対象にした継続的な調査・研究は、今まで誰もやったことがないので、毎日がとてもエキサイティング。環境悪化のシグナルを与えてもくれますしね

世界遺産・鹿児島県屋久島に、京都大学野生動物研究センターの付属観察所があります。ここは2008年3月までは霊長類研究所の付属施設として、長年にわたり、おもに屋久島を分布の南限とするニホンザルを中心に、京都大学が得意とする野生生物のフィールドワークによる観察・研究が重ねられてきました。この観察所では京都大学だけでなく、国内外の他大学からの学生・研究者も来て、ここを拠点にした観察・研究を行っています。今回は2005年にアメリカから来られ、屋久島で寄生虫を通した生態系の食物網について研究をされているヘルナンデス博士と一緒に、フィールドワークの現場を体験させていただきました。

 

朝8時、観察ステーションから車に乗り込み、島の海岸線に沿って反時計回りに走ること約20分、よく整備された二車線の道が、険しい山腹に貼りつくような、細く曲がりくねった一車線に変わる。生い茂る木々で路面はやや薄暗い。それとともに博士の視線が車の周囲をせわしなく動き始める。「こういう急斜面の所をサルはよく移動するので、見つけやすいんだ」とヘルナンデス博士。続いてハフマン准教授が「屋久島が世界遺産に登録されて、道路を広くしようという動きもあったんだけど、京大の研究者たちが中心になって反対したんだ」と教えてくれた。「大型の観光バスが走るようになると、サルたちの生活環境が激変して、せっかく長年にわたって観察してきた研究にも影響が出るだろうし、何よりもサルやシカと人との共存関係が崩れるからね」

と突然、ヘルナンデス博士が前方を指さして「いたいた!」と小さく叫ぶ。車を止めると、30メートルほど先に2頭のシカがたたずんでいる。こちらを振り返っているが、逃げようという気配はない。野生であることを忘れてしまうほど美しい毛並みにつぶらな瞳に、見とれてしまう。やがて悠然と道路から右手の坂を降りていった。博士の「シカはサルが落とした木の実を食べるので、サルの群れと行動をともにすることも多いから、近くにサルもいるかもしれない」という言葉に、期待が高まる。

 

それから2、3分も走っただろうか、サルが我々の前に姿を見せてくれた。まず1頭、道ばたに所在なげに座っている。ゆっくりと車で近づいても気にする様子もない。直ぐ横を通り過ぎるとき、ふわりと体を覆う毛が、木漏れ日を受けて明るく輝き、さわさわと風にそよいでいる様子まで見ることができた。目が合っても、そのままじっとしている。

それから約5分後、ヘルナンデス博士の指示で路側の小さな空き地に車を止め、下車。どうやら調査地域に入ったらしいとはわかるのだが、ごく普通の道路沿いの、何の変哲もない場所なのでとまどっていると、博士はさっさとリュックを背負い、ガードレールをまたいで急斜面を降りていこうとする。あわてて後を追ったが、そこは深い藪に覆われて道らしい道があるわけではなく、崖といってもよいほどの急勾配、さらに足下は落ち葉などが積もっていてきわめて滑りやすい。慣れた足取りで軽やかに進んでいく博士やハフマン准教授に置いて行かれまいと、周囲の灌木や蔓草など手当たり次第につかまりながら、転がるように斜面を滑り降りる。

ほどなく我々は、やや開けた緩やかな斜面に出た。博士はかすかな音を聞き取ろうと耳に手を当て、周囲に気を配っている。先に来ているはずの同僚とここで落ち合うことになっていたのだが、姿が見えないという。ちょっと心配になったが、「きっとサルの群れに遭遇して、後を追っていったんだろう」という返事。合流の予定を変更してまで…? とも思ったが、群れと出会うチャンスはそうたびたびあるものでもないと聞かされ納得。「一日中、山の中を歩き回って出会えないこともよくあるよ。だからいったん見つけたら、急な崖や沢をよじ登ったり、ちょっとぐらいの危険は承知で、できるだけ一緒に行動するんだ」

「ちょっとこれを見てごらん」と博士が地面を指していう。1メートルぐらいの幅で、斜面の一部が何かで削られたようになっている。サルたちがここで土を食べた跡らしい。ひもじくてそうするわけではなく、おそらく整腸や解毒の目的だろうとのこと。なぜかこのあたりの土を食べることが多いが、その理由ははっきりとはしていないそうだ。「付近の様子から見て、群れがここを通ったと思われるから、移動してみよう」という博士の言に従い、我々は斜面を下りはじめた。

 

しばらく上り下りを繰り返していく。傾斜はさほどきつくないが、足場があまりよくないため、健脚の博士たちについていくのにかなり必死。周囲の景色を観察する余裕もないまま20分ほど行くと、突然、海岸に出ていた。土石流があった跡なのだろうか、山肌の一部が裂けたように崩れ、そこから海まで大小の岩で一面に覆われている。あちらこちらの岩の上に、全部で20頭ぐらいだろうか、サルたちが気持ちよさそうに日なたぼっこをしていたり、集まって毛づくろいをしていたり、何とものどかな風景である。野生のサルが海岸にいるという光景に驚いていると、「たしかに海岸まで行動範囲に入れているというのは、ちょっと珍しいかもしれない。だからこの群れを我々は『海群』と名付けているんだ」と博士。この群れは比較的大きく、2006年には10頭の赤ちゃんが生まれた。近い将来、ふたつの群れに分かれる可能性があるとのこと。


ハフマン准教授とヘルナンデス博士

博士たちはしばらくサルたちの様子を観察。といっても、サルたちものんびりくつろいでいるようなので、我々も岩に腰を下ろし、暫時休憩の体。この時間を利用して、博士が寄生虫研究を始めた動機などを聞いてみた。
「きっかけは本当に偶々なんだ。ラトガース大学3年になったとき、何を専攻しようかと考えていたら、『変わったインド人の先生が、新しい学生を探している』という噂を聞いて、軽い気持ちでスクデオ教授の研究室に行ったんだ。それが僕の研究生活の始まり」。ここでハフマン准教授がスクデオ教授の研究内容について説明してくれた。「彼は、寄生虫が宿主の体内に入ってから肝臓など最終的な落ち着き先にたどり着くまでの行動を研究していたんだ。たとえば口から胃に入ると胃酸を避けるように素早く泳ぐ。そして腸に行って一定の時間がくると壁を破り、肝臓に入る。そのスケジュールはきっちりと決まっていて、少しでも遅れると、寄生することができずに死んでしまう。宿主の体内に入った後、周囲の環境に合わせて、そこでとるべき行動がすべてプログラムされているわけだ。そういうメカニズムを解明したのがスクデオ教授なんだ」

 

博士は、目に見えないほど小さな存在にもかかわらず、寄生虫がこのような戦略的な行動をとることに感動して研究を始めたが、やがて自然の生態系の中でどういう経路をたどって寄生虫が自らの生命のサイクルを確立しているかというテーマに興味を覚え、おもに川魚を対象にして研究を重ねた。それは、それまでの研究では顧みられることのなかった、食物網のなかで寄生虫が果たす役割に光を当てることになった。そして寄生虫を調べることから、生態系保全と自然保護に役立つ知識が得られることを知った。「長期にわたって調べることで、環境が破壊されたりした場合は寄生虫はどういう影響を受けるのかがわかる。だから寄生虫の調査データは、環境保全の指標にもなるはずなんだ。屋久島でも、サルがどういう寄生虫を持ちどういう病気を持ちうるのかを調べることで、サルの保全にきっと役立つと思う」。ここでまたハフマン准教授が割ってはいる。「寄生虫の長期にわたる継続的な調査・研究は今までなかった。一回限りの調査はあったけどね。サルと昆虫、シカまで含んだ屋久島の生態系全体を視野に入れたなかでの寄生虫の研究は、ヘルナンデス博士が初めてで、とても画期的な研究なんだ」。そして博士はこうしめくくった。「今まで誰もやったことのない研究だから、とても面白い。サルたちは毎日、違ったエリアで行動する。一日として同じ日はない。それが僕にとってはとてもエキサイティングだね」

 

やがてサルたちが移動を始めたので、我々もその後を追って山腹に入る。またしばらくアップダウンの連続だ。およそ30分後、さっき歩いたのと同じような緩斜面に出る。「昔このあたりには人が住んでいたらしいよ」とハフマン准教授。そこかしこに低い石垣のような石組みの跡も見られ、かつては人が通る小道があったらしいと判る。また畑の跡や炭焼き窯の跡と思われる場所もあった。立ち止まって少し待つと、「キーッ、キーッ」いうサルの鳴き声が聞こえてきた。互いに鳴き交わしている様子。こうやってサルたちは、互いにいる場所を確認しながら行動するそうだ。周囲を注意深く見回すと、我々がまさに群れの中にいることがわかった。地面に落ちている実や昆虫を食べている者、木の上で葉を食べている者、一定の範囲内で気ままに行動している。

急に鋭い叫びが聞こえ、それに別のサルが甲高く応える。どうやら喧嘩をしているらしい。と、2頭のサルが突然現れ、我々の周囲で追跡劇を始めた。ものすごいスピードで走り回る。ときには我々の足許、50センチほどの距離を走り抜けていくのには驚いた。人間がここにいることなど、まったく気にしていない様子だ。彼らから見ると、我々も山に生息する動物の一種に過ぎないようだ。ヘルナンデス博士はと見ると、ポケットから手帳を出し、何か書き込んでいる。その日その日で観察するサルを決めて(さすが毎日行動を共にしているだけあって、一目で見分けが付くそうだ)30分間、どんな行動をするか観察し、2分ごとに記録するのだ。日常の調査では、こうした観察記録を取るとともに、サルたちが食べた木の実や昆虫の食べ残し、そして糞の採集も行う。これらはステーションに持ち帰って解体・処理し、顕微鏡を使ってそこに含まれる寄生虫の数などのデータがとられる。
こうして約半日という短い時間だったが一緒に行動してみて、フィールドワーク調査というのは、険しい自然の中を一日中歩き回る体力的にかなりハードなものであり、また観察においては、あたかも自分が木になったかのように、ひたすらじっと見つめつづける強い忍耐力と集中力が要求されることを痛感させられた。また一方では、博士の言葉にもあったように日々、新たな発見に出会うことができる、とても面白い研究活動であることもわかった。さらに、こういったフィールドワーク調査・研究の最前線は、とりもなおさず、地球環境を見つめ守っていく最前線でもあることを深く知らされた。

取材日:2007年11月21日

Profile

京都大学霊長類研究所の招きで2005年に来日、以来、屋久島にあるニホンザル野外観察ステーションを拠点に、ニホンザルの生態を観察するとともに、その寄生虫についての調査・研究を行っているヘルナンデス博士。ニュージャージー州立ラトガース大学3年生の頃からスクデオ教授のもと、おもに水生生物の寄生虫の研究を始め、目に見えないほど小さな寄生虫たちが宿主の体内できわめて戦略的な行動をとることに感動され、さらに研究を深めるべく、ミシガン大学で修士課程を、ラトガース大学で博士課程を修了されました。この頃、スクデオ教授と旧知の仲だった霊長類研究所のハフマン准教授と知り合い、ニホンザルの研究を勧められたことが来日につながりました。今回は、毎日サルの群れを追って険しい山野を駆け回るヘルナンデス博士に同行し、京都大学が世界に誇る霊長類研究の、フィールドワークの現場をのぞかせていただきました。