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博士学位授与式 式辞 (2004年1月23日)

尾池 和夫

今日、京都大学博士の学位を得られました145名の方々、まことにおめでとうございます。課程博士72名、論文博士73名のみなさんが学位を授与されました。ご列席の副学長、各研究科長とともに、心からおよろこび申し上げます。

京都大学はこれまで107年にわたって、多くの研究成果をあげるとともに、知的財産を蓄積してきました。京都大学の持つ学問研究の環境は、一朝一夕に創設されるものではありません。本日、学位を得られたみなさんの業績も、やはり京都大学の研究教育環境を形成する一部となっていくことでありましょう。そう考えて、私自身、みなさんの学位論文の中のいくつかについて、審査報告を読ませていただきました。

京都大学の吉田キャンパスの歴史は、第三高等学校の地が選ばれたときに始まりました。1886(明治19)年11月に、大阪から第三高等中学校が京都に移転することが決まり、仁和寺や妙心寺付近、大徳寺付近および吉田村の候補の中から、吉田が敷地に選定されました。現地検分した文部大臣森有礼(ありのり)は、「水質純良なるうへ、東の方の吉田山を除く三方は皆田野にして、遥か西に鴨川をひかえ、北に百万遍知恩寺ありて至極の清地にて、白川村の農夫等および牛馬の通行するのみ。此地は学業中目に耳に障害あることなし」という談話を残したそうです。西辺は尾州藩邸敷地を限り、その石垣は今も東大路に面して残っています。

博士(工学)の学位を授与された出村 嘉史(でむら よしふみ)さんの論文題目は、「京都東山山辺における近代以降の景観変容に関する研究」というものです。この論文は、近世から近代に成立した東山の界隈での景観形成のプロセスを研究したものです。測量とデザイン調査をもとにして図面を作り、コンピュータ・グラフィックスを用いて地形表現モデルの分析を行いました。

京都大学の本部キャンパスのすぐ東にある神楽岡地域は、吉田山と紫雲山という二つの独立丘陵地形でできています。そこにある吉田神社と金戎光明寺の参道と、その門前町を含む街路網の景観特性を、出村さんは分析して、吉田山の東側の斜面の茶室庭園などの大文字山への眺望を主とした風景美を評価しています。また、谷川住宅と呼ばれる茶室庭園と住居群を丘陵地に並べた広域的な開発が、人々の文化的活動の地として定着し、近代京都のニュータウン形成の独自性として位置づけられることを指摘しています。

さらに、浄土寺から鹿ヶ谷の界隈を分析しました。ここでは、谷と扇状地の接する山裾に社寺が位置して、それに続く広い野に田園地帯と集落が形成されました。近代の琵琶湖疏水の建設とともに、哲学の道ができ、橋本関雪や住友春翠による庭園、桜並木の形成をきっかけとした、山辺と疏水と住居群の総合的な景観形成を考察しました。

また、円山公園界隈の急傾斜から緩傾斜にいたる地形に見られる、崖を利用した社寺の建設や地形と一体となる庭園の設計などの評価も行っています。

ここで研究対象とされた吉田山は、花折断層の南端部にあって、この活断層の右ずれ運動のくり返しによって隆起した地形であり、鹿ヶ谷断層の崖の地形は、哲学の道の景色を生み出し、円山公園は清水山西断層の上下運動によって生み出された地形をもとにしています。

京都盆地は多くの大規模な活断層の運動によってできた地形であり、その地形の特徴を利用して都がおかれ、古都の文化が維持され発展させられてきました。京都大学は三つの大きなキャンパスを持っていますが、吉田キャンパスは花折断層の、宇治キャンパスは黄檗断層の、また桂キャンパスは西山断層の、それぞれすぐ近くにあります。

もともと、活断層帯には盆地や平野が発達し都市が発展するという特性がありますが、そのような特性の一つの大きな展開として、京都盆地の地形と都の文化を持つ京都の町との関係があり、その一つの側面に焦点を当てた研究の集大成である出村 嘉史さんの学位論文を、私自身の学問領域からの知識を重ねながら、たいへん興味深く拝見することができました。

京都大学の北部キャンパスのある北白川地域には、断層運動で隆起した東山が浸食されて流れてきた白砂が厚く堆積しています。そこにできた扇状地の地形には、今出川通りを斜めに切る志賀越道に見られるように、適度な勾配の登り坂ができており、その勾配は歴代の学者たちが、散歩しながらの思索に最も適しているとして、活用されてきたものであります。

ノーベル賞を受賞した日本の科学者本人やそのお弟子さんたちのインタビューを通して、よい発想を得るためには何が大切かということを探った、NHKのテレビ番組がありました。多くの証言から浮かび上がってきたのは、「散歩、メモ、明け方、京都」の4つのキーワードです。自然の中を散歩をすることで直観が閃くといい、1981年にノーベル化学賞を受賞した福井 謙一先生は、「幼い頃から自然の中に浸って生々しい感動を受けることが大切」と語りました。

緩やかな上り坂が特に着想に適しているといわれます。京都盆地の活断層運動がこのような登り坂を生み出し、ノーベル賞を生み出したと言ってもいいかもしれません。

活断層の運動は大地震を発生させます。9年前の1月17日に発生した兵庫県南部地震は、大規模な自然現象であり、明石海峡の地下から全長50キロに及ぶ岩盤の中の破壊面の発生によって起こりました。

そのような観点から、私は、もう一つの学位論文にたいへん興味を覚えました。それは、論文提出によって博士(工学)の学位を授与された、伊原 千秋(いはら ちあき)さんの学位論文であります。その題目は、「金属の疲労破壊に関する理論的研究」というものです。金属材料の疲労によって、亀裂が発生し、その亀裂が拡がっていきます。この現象は、結晶の転位(dislocation)として知られており、この転位の理論を応用して、私も大学卒業直後に地震の発生のしくみを研究していました。伊原さんの論文は、金属の亀裂とその伝播の現象を、多数の転位がもたらす損傷の累積による確率過程として数理モデルを構築し、力学的な解析をして、金属疲労のプロセスを明らかにしたものです。

伊原さんの論文に関しては、私はもう一つの観点からたいへん感銘を受けました。個人情報にふれて申しわけなく思いますが、どうかお許しいただきたいのです。伊原さんのお生れは1925年(大正14年)であります。京都大学の湯川 秀樹先生の研究室で素粒子論の研究をされ、1962年(昭和37年)には理学博士の学位を授与されています。そして1989年(平成元年)に京都大学工学部教授を停年でご退官ののち、福山大学などでのお仕事を1999年(平成11年)までなさって退職された後、この学位論文をまとめられたものであります。

拝見したこのご経歴とともに、この学位論文の理論が、実験の結果をみごとに説明している内容に感銘を受けたのであります。私自身も、さらにこの伊原さんの論文をもとにして、地震発生の複雑なプロセスをまた考察してみたいと思いました。同じ内容のテーマがくり返し登場して、科学が進歩していくということや、研究者は何歳になっても研究者であるということを、伊原さんの論文から学ぶことができました。

科学の世界では、研究手段となる技術の進歩に応じて世代間の差がたいへん大きく現れます。前の時代に、大量のデータを用いて複雑な計算を、手回し計算機や数表を用いて、10年かかって実行した、というようなエネルギーにあふれた研究者がいたとしても、今では同じ内容の、あるいはさらに高度の精密な結果が、インターネットで手に入るデータを用い、パソコンで処理するだけて、数分間で得られるというようなことがあります。前の時代のスーパーマンは、今の若い研究者にとっては普通の人になってしまうのです。しかし、問題を解く意欲と、その結果を見て味わう充実感とは、いつの時代になっても学問を進める人たちのエネルギーの基礎となることにかわりはありません。

博士(農学)の学位を授与された岡本 正男さんの学位論文は、「土石流発生危険度の判定に関する研究」という題目です。

活断層運動などによる変動帯地形では、隆起した山地が浸食され、土石流となって平地に土砂を供給し、豊かな平野を形成します。この土石流は、ときとして大災害を起こすのですが、岡本さんの研究は、その土石流の発生危険度の判定と、発生予測モデルに関するものです。このような変動帯で降水量の多い日本列島の特性に関連した研究成果は、京都大学の基本理念にもある、人と地球の共存という21世紀の課題に直結するものであり、知の移転によって京都大学が世界に貢献するきっかけともなる分野の一つであります。

本日、京都大学博士の称号を得られたみなさんは、これからも研究生活を続け、あるいは社会に出て自分の力を発揮し、あるいは後進の育成に励むというように、いろいろな道を歩んで行かれることでしょう。みなさんの活動が、さまざまな形で、世界の人々の福祉に大きく貢献することを祈って、私のお祝いの言葉といたします。

145名の新しく京都大学博士になられたみなさん、まことにおめでとうございます。