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新規採用職員研修開講式 挨拶 (2008年4月2日)

尾池和夫

 京都大学に採用された43名の方々に、研修の開講式にあたって、ご挨拶申し上げます。就職のお祝いを申し上げると同時に、この京都大学という職場を仕事場に選んでくださったことに、こころからお礼を申し上げます。

 京都大学は教育と研究と社会貢献を目的としています。そのような大学は日本にたくさんありますが、その中でも、とくに京都大学を選んでくださったのですから、そこには何か、それぞれの理由をお持ちだと思います。また、当然ながら皆さんの一人ひとりに、この京都大学に期待するものがあると思います。その期待に応えることができるのを、もちろん私は望んでいますが、しかし、実際に中に入ってみると、今まで外から見ていた京都大学とは、かなり違うと感じることもあろうかと思います。その違いはどのような形になって現れるかは分かりませんが、違うと思ったときには、遠慮なく期待と違うということを先輩や同僚に話してみてください。そのままにしておくと、きっと後悔することになります。大いに期待と違う内容を話して、経験を積んだ先輩たちと議論し、改革する必要のある点はどんどん改革の提案をしながら自らの仕事場に変革を持ち込んでください。

 京都大学は長い間、国家公務員の職場でありました。そのときのなごりは京都大学の中に、まだたくさん残っており、皆さんの先輩たちの身体に浸透しています。2004年4月に京都大学は法人化して、職員は非公務員となったのですが、意識はそれに伴ってさっと変わったとは思いません。しかし、皆さんはその非公務員の職場に入ってきたのですから、先輩の職員の考え方についていけなくても構わないのです。
 国家公務員の時代には、上からの命令でものごとが進み、それを忠実に守って仕事をするのが基本と考える方が主流派でした。例えば、必要な経費は国家から支給されて、それを間違いなく、目的に沿って使用するための経理が正確に行われました。法人化した京都大学では、経費を効率よく使用し、効果的に使うための新しい企画を常に考え、収入を増やすための努力を怠ってはいけません。そこで、求められる仕事の能力は、正確な経理事務だけではなく、財務を全体的に把握しながらの企画力であります。

 一人ひとりの職員が、京都大学の全体のことを頭に入れて、全体の現在を見渡しながら、自分の職務をその中に自ら位置づけて達成目標を立て、積極的な提案をして常に改善するというのが仕事の中心であります。

 教育、研究、社会貢献の仕事にとって一番大切な資源は人材です。一人ひとりが持っている能力を最大限に発揮しながら、教育に従事して次の世代の人材を育て、あるいは社会人の再学習を支援します。また、最大限に能力を発揮して新しい知的資源を蓄積して世界の人類に貢献します。知財の蓄積を最大限活用して広く社会に貢献します。

 このような活動は、学生の納付金やさまざまの公的な資金、市民や企業からの寄附、あるいは産学官の連携などによって行われます。したがって、活動の内容は、市民にわかりやすく説明して理解してもらうことが必要です。広報機能は大学にとってたいへん重要な窓口です。大学の中の出来事を正確にわかりやすく、かつ迅速に広報する仕事を進展させていくことが必要です。

 今年の京都大学の学部の卒業式では、2777名の学生に学士の学位を授与しました。京都大学の歴史は創立から111年になります。京都帝国大学の第1回の卒業式は、1900年(明治33年)7月14日で、土木工学の18名、機械工学の11名の計29名の卒業生でした。卒業式には文部大臣も列席するというような式典でした。この研修の中で京都大学の歴史を学んでいただきますが、いつどのようなエポックがあって大学が大きく変革したのかということと同時に、その背景にある考え方の変化にも関心をもって、京都大学の歴史を見てほしいと思います。

 歴史を学んだ上で、京都大学の中を歩いて、自分の目で京都大学の現在をよく観察してほしいと思います。もちろんウェブサイトを見ながら、たくさんある建物の中で行われている教育、研究、社会貢献の内容を知って、その建物を見てほしいと思います。そして大学の歴史を思い浮かべてみてください。そこには古都京都の文化遺産も保存されています。京都の文化の中で育ってきた京都大学の姿を見てほしいと思います。

吉田泉殿

 京都大学の創立に働いたのは西園寺公望(きんもち)ですが、西園寺公望は文部大臣時代に、教養ある市民の育成を重視し、「科学や英語や女子教育を重視せよ」といった人でもあります。その先祖に西園寺公経がいます。1397(応永4)年、足利義満が西園寺公経の山荘の跡に「北山殿」と呼ぶ別邸を造って隠棲しました。京都帝国大学設立のちょうど500年前です。後に義満の法号にちなんで「鹿苑寺」と号するようになったもので、それが今の金閣寺です。西園寺公経(きんつね)は公家であり歌人でした。その西園寺公経がこの近くに吉田泉殿を営みました。

 京都大学には多くの研究所と研究センターがあります。宇治キャンパスをはじめ各地にあります。その研究所と研究センターの方々が、大学本部のある吉田地区で集まる場所とするために京都大学吉田泉殿を昨年開設しました。京都大学の清風荘、三才学林、女性研究者支援センターなどとともに吉田泉殿も鞠小路近くに並んでいます。防災研究所や生存圏研究所などの研究成果を活用して、耐震補強と長期維持のための工夫がなされています。

 京都大学は研究科や学部とともに、附置研究所や研究センターをたくさん持つ大学です。化学研究所は、京都大学附置研究所の中で、最も古い歴史をもつ研究所で、1926年に「化学に関する特殊事項の学理および応用の研究」という大きな目的をもって、京都大学の理・医・工・農学部等に関連のある化学に関する総合研究所として設置されたものです。

 京都の舎密局の跡が、夷川通河原町東入る指物町にあります。1870年に植村正直知事が仮設置を決め、3年後に落成して、日本で初めて、石鹸、ラムネ、ビールなどの製造を始めました。要するに工業化学でした。

 木屋町二条下ルには、島津創業記念資料館があります。科学立国の理想に燃えて理化学器械製造の業を興した島津源蔵を偲び、創業の地に設立されています。日本の科学技術の黎明期に製造された理化学器械や医療用X線装置など、科学技術の源流がうかがえる数多くの資料が展示されています。それには第三高等学校の先生が産学連携で協力しました。

 1939年、人文科学研究所も戦前にできました。太平洋戦争の時代に関係してできた、結核研究所、工学研究所、木材研究所、食糧科学研究所などは姿を変えて今の時代に引き継がれ、戦後、防災研究所、基礎物理学研究所などが生まれました。
 最近では、生存基盤科学研究ユニット、こころの未来研究センター、世界トップレベル研究拠点「物質―細胞統合システム拠点」が発足しました。物質―細胞統合システム拠点の中には、山中伸弥教授をセンター長とする「iPS細胞研究センター」ができました。昨日、新しく野生動物研究センターと文化財総合研究センターが生まれました。このように絶え間なく発展し、成長していく京都大学が、皆さんの職場になりました。

 京都大学で、もっとも重要なのは学生であります。大学は、高等教育を受ける権利を保障し、研究の成果を社会に還元し、人類の平和と福祉の向上に貢献するという責務を担います。その責務を果たすことが、大学の自治と学問の自由を保障されるための条件です。京都大学は、私立公立国立を問わず、多くの大学との協力のもとに、この責務を果たします。

 大学は、社会に奉仕するものですが、その内容は、形をともなうものではありません。知の生産、知の蓄積、知の伝達というように、目に見えないものを、高等教育という場で社会に還元します。その結果が社会でどのように現れるかということも、大学はよく研究しながら、社会に貢献します。

 大学の研究は、産業界から注文されて物を生産するようなものではありません。政府の要請に直接応じるものでもありません。大学の価値観は、ときとして社会の価値観と一致していないこともあるでしょう。そのずれも健全な国の姿であるという認識を持っていてほしいと思います。

 皆さんは、失敗をおそれない職員であってほしいと思います。失敗することによって、人は反省し、そこから学んで成長します。反省無くして進歩はありません。失敗をおそれていると仕事が消極的になり、新しいことを実行することが出来ません。また、仕事の成果や評価をせっかちに求めないでほしいと思います。長い歴史の中で、やがて姿を現し、結実するような仕事を心がけてほしいと思います。

 いずれにしても、短い研修期間に、さまざまのことを知っていただいて、研修期間中にいだいた疑問を忘れることなく、さらに周りの人たちと議論し、また自学自習で解決しながら知識を深めていただきたいと思います。

 こころとからだの健康に、くれぐれも気をつけて、仕事を楽しんでいただくよう願って、開講の挨拶といたします。

 ありがとうございました。

 (当日の挨拶をもとにまとめたものです。)

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