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京都文化会議2007 閉会の挨拶 (2007年12月9日)

尾池 和夫

「京都文化会議2007~地球化時代のこころを求めて」の閉会にあたり、組織委員会副会長としてご挨拶を申し上げます。組織委員会委員の金剛育子さんによって力強く読み上げられた「京都提言2007」によって、一連の「京都文化会議~地球化時代のこころを求めて」の議論から得られた成果が示されました。 5年間にわたってたくさんの方々が参加して下さって、さまざまの面から議論をしてくださいました。本当にありがとうございました。

昨日の長尾 真先生のオープニングにありましたように、この京都文化会議は、2003年11月28日の国立京都国際会館における第1回の開催から始まりました。そして11月30日には、「京都提言2003」が長尾先生によって読み上げられました。それは『わたくしたちは、現在かつてない多難な時代に生きている』という文章で始まり、『「地球化時代」は、生きるための新たな「こころ」を必要としている』と述べ、『京都は、「地球化時代」が歩むべき理念とその実現への方途を探りだすための、独自の創造的空間となる可能性を秘めている』と述べています。さらに『わたくしたちは「こころ」を基底にすえて、「地球化時代」のあるべき姿を探りだしたい』とあり、『そこで得られる成果を、「地球化時代」に向けた提言として発信する』と宣言されました。

宗教や民族の枠を超えうる、しなやかな理解能力をきたえるとともに、人間らしきこころとは何かを探ることが求められていますと、今年のこの京都文化会議 2007のご案内にあります。1200年以上にわたる歴史に培われた京都において、と招待状にありましたが、この活断層運動が生み出した京都盆地には、最後の氷河期が終わって海面が大きく上昇してから縄文人たちが住み、弥生前期には、この京都大学の吉田キャンパスがある北白川扇状地に、稲を育てる人々の集落が形成されました。北白川遺跡群には、古墳時代前期まで続く大規模な集落の遺跡があります。今朝の松沢 哲郎さんの話では、人の脳は縄文以来変化していないそうですから、縄文人も、弥生人も、この地で同じように「こころ」のことを考えていたかもしれません。

5世紀ごろ大陸から渡来した秦氏は、山城国一帯に住み、大宝元年(701年)、勅命によって秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾大社を今の場所に造営したと伝えられています。秦氏は酒造りの技術を日本に伝えたことから、松尾大社は酒の神としても信仰されるようになりました。京都の酒も茶の湯も、活断層運動によって生まれた分厚い堆積層の地下水があって初めて実現したものであります。

2004年のこの会議の挨拶では、私は、地球社会の共存を実現するため、地球をよく知ることが必要だと話しました。そして京都盆地には琵琶湖を上まわるほどに豊かな地下水を蓄えた堆積層ができており、そこに育まれた「変動帯の文化」のこころを世界で共有することも大切なことだと申し上げました。

2005年の会議では、市民の日々の営みの中に育まれたこの京都のローカルな文化を窮め尽くすことによって、それがグローバルなものとなり、世界の人々の精神のよりどころとなるという思いを述べ、この会議の成果として、また京都盆地に生まれた文化の一つの形として、京都賞の歴史を守り育てるための資料館か博物館ができることを願い、また、こころの未来を永続的に研究する新しいしくみを持ちたいという思いを述べました。

2006年の会議では、さらに具体的なこととして、京都大学も、この京都文化会議での討議の中から、いくつかの実践課題を得て、まず一つ、こころを研究するための新しい研究センターというような、具体的に見える形を創りあげようとしていますと報告しました。
そして、「京都大学こころの未来研究センター」として2007年4月1日に発足し、初代のセンター長に吉川 左紀子教授が就任しました。最後のフォーラム2で登壇してくださった方であります。
また、川端通りでは今、財団法人稲盛財団からのご寄附による建物の建設工事が行われておりますが、その中には、京都賞博物館も、こころの未来研究センターも設置される予定であり、これらを通じても、21世紀の若者たちにメッセージを送り続けることができて、若者たちと一緒に、明るい夢のある人類の未来を目指す拠点ができると、私は期待しています。

昨日のレセプションで申し上げたことを繰り返しますが、京都文化会議の大切なキーワードの一つは「こころ」です。この言葉は日本語にしかない言葉で、英語に翻訳しようとすると、mind,heart,spirit,soulというようにいくつもの単語で言い換えてみて、やはりぴんと来ない言葉です。以前にも申し上げたように、夏目漱石の「こころ」は、結局「kokoro」という題で翻訳出版されました。

お隣の韓国では、シムは「心」という漢語の単語ですが、マウムは「こころ」に近い単語です。盧 佳世さんの「マウム」という歌があります。「思い遣り」ということばは、「マウムスンスンミ」と訳します。マウムはこころとか、気持ちという意味です。

「マウムる モクタ」は「こころを食べた」、つまり「決心した」というときに使います。「ネ マウムる バダジョ」は「私の気持ちを受け取って」というような意味で、これを言われたとき、理解できなかったらきっと後悔します。

この京都文化会議の成果は、英語にも翻訳してほしいのですが、私はできることなら、中国語でもハングルでも出版してほしいと思っています。それは、このように、こころという言葉の翻訳を通じて、こころが世界の言葉になっていくことを期待するからです。

たくさんの方々が、京都文化会議に参加し、実り豊かな成果を生み出して下さったことに深く感謝しています。この京都文化会議2007を結ぶにあたり、5年間に及ぶ多くの貴重な知の蓄積を生み出したという成果を確認し、参加してくださった多くの市民の皆さまに感謝し、世界中から貴重な議論に参加してくださった多くの方々に深く感謝しつつ、閉会を宣言したいと思います。

多数の皆さまの5年間にわたる京都文化会議へのご参加と熱心な討議に、もう一度、心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。