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退職者懇談会 挨拶 (2007年3月30日)

尾池 和夫

今日、ご定年で退職される方々は、1947(昭和22)年ごろの、太平洋戦争後の生まれの方々です。1946年には、京都帝国大学に初めて女子学生が入学した年であります。そしてその直後に新制大学の制度が導入されたという頃です。

また、この中の多くの皆さんが京都大学に就職をされた40年ほど前というのは、1966年にビートルズが来日したり、中国では文化大革命が起ったり、 1968には、日本の国民総生産(GNP)が米国に次ぐ世界第2位になったという時代でした。1969年には、アポロ11号が月に着陸するのを夜中のテレビで見て、皆眠そうな顔をして出勤しました。その頃から、西日本の地震活動度は比較的低い時代が、1995年まで続きました。

2004年に国立大学法人法によって京都大学が設置され、国家公務員でなくなって、ずいぶんいろいろの対応をしていただきながら、新しい京都大学の教育と研究と社会貢献に向かって仕事をしていただきました。本部でも事務体制が変わり、今度はそれぞれの部局でも事務体制を部局の方針に合わせて変えられることになりました。京都大学では、皆さんの努力のお陰で、順調に新しい制度を導入しながら、多くの仕事を進めることができたと、私はたいへん感謝しております。

今日、この懇談会には82名の方々をお招きしました。うちご定年でのご退職の方が63名です。82名の皆さんの職種は多岐にわたっており、事務職の方、技術職の方、図書系職員の方々、看護師の方、薬剤師の方、とさまざまですが、大学にはこのようにさまざまの仕事があって、京都大学の教育と研究と、医療に代表される社会貢献の仕事が進められているのであります。

理学研究科の青木 京子さんは、地球物理学教室の事務主任で、私が本部棟に勤めるようになるまで、教授としての仕事をしっかりと支える役目をつとめていただきました。上宝の飛騨天文台の石浦 清美さんにもずいぶんお世話になりました。病院の嶋森 好子看護部長さんには、患者としても私はお世話になりました。

学生センター長の山下 正二さんは、学生の面倒を実によく見てくださっています。私も学生部を担当していたとき以来、ずいぶん多くのことを教えていただきました。

防災研究所の技術職員である平野 憲雄さんと和田 安男さんには、ともに地球の形の変化を測定する仕事で、お世話になり、私と共著の論文もあります。技術職員としてのお仕事は、京都大学の知財を生み出しているのですが、人件費の抑制の中で、大学の活動を守るためにたいへんなご苦労をしていただきました。

農学研究科の山田 均さん、大学のさまざまの部署でお世話になりましたが、とくにフィールド科学教育研究センターの関連でも、たいへんお世話になり、今年の卒業生に立派な祝い箸を贈ることができました。ご退職の皆さんにも、見本ですが、差し上げることになっていると思います。もちろんフィールド科学教育研究センターの松場 京子さんをはじめ5人の方々にもたいへんお世話になりました。

私はよく、職員は、学生と大学との、あるいは教員と学生との、また場合によっては社会と大学とのインターフェイスであると申し上げてきました。そのことを記念して、インターフェイスすなわち「橋渡し」のシンボルとして、皆さんにもこの祝い箸を贈りたいと思います。

この祝い箸について、理事の東山先生が多くの資料を探してきてくださいました。式辞を書くのにそれらを読ませていただいていて、一色 八郎さんの「箸の文化史」という著書に引用されている「典子は、今」(松山 善三、高峰秀子共著)の一節に、私はたいへん興味を持ち、感動しました。サリドマイド児として育った典子さんが、足で箸を使って、太刀魚の焼き物の小骨を丁寧に抜いていく場面の描写です。和歌山の研究林で育てられた杉の間伐材を使った祝い箸から、このような、身体の欠損を自己の努力で補って見せた典子さんの「やる気」を学ぶことにも、卒業生たちが思いを馳せてくれるといいなあと思いながら、この本を読みましたが、皆さまのお顔を拝見しながら、ふとそんなことも思い出しています。

京都大学にあるたくさんの職種の一例をあげて、退職される皆さま方のご貢献への感謝の気持ちを、京都大学を代表して述べさせていただきました。

本学のために長い間ご努力下さったことに深く感謝申し上げます。今後ともお元気で、さまざまの道を進んでいただくと同時に、京都大学を皆さまの母校として、引き続きあたたかく見守ってくださるようお願いして、私の感謝のご挨拶といたします。

お世話になった皆さまに、京都大学を代表して心からお礼を申しあげます。どうもありがとうございました。