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博士学位授与式 式辞 (2007年3月23日)

尾池 和夫

本日、博士学位を受けられた課程博士540名、論文博士92名、合計632名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご列席の理事、研究科長、学舎長とともに、心からお祝い申し上げます。

磨かれた才能を活かして、長い年月の時間と、あらん限りの努力を注ぎ込んで、研究成果を論文にまとめ、何度も推敲を重ね、提出した論文が厳しい審査にみごとに合格して、本日実際に学位記を手にした感慨は、その一連の過程を経験した人にのみ実感される特別のものであります。

前世紀までの期間は、エネルギーと資源を消費して人類が発展を求めた期間と言われます。その急激な発展が地球社会に大きなストレスを与えています。人類はそれに対してしっかりと対処していかなければ、地球社会はその生命を維持できなくなることでしょう。京都大学はその重要性を認識して、基本理念に、地球社会の調和ある共存に貢献するため、自由と調和を基礎に、ここに基本理念を定めるとしてあります。

1984年に国連に設置された「環境と開発に関する世界委員会」(WCED=World Commission on Environment and Development)は、ノルウェーのブルントラントさんが委員長だったことから、ブルントラント委員会と呼ばれています。1982年に開催された国連環境計画(UNEP)管理理事会特別会議(ナイロビ会議)で、日本が特別委員会の設置を提案して国連総会で承認されたものです。約4年間でまとめられた報告書が「Our Common Future(『地球の未来を守るために』)です。将来の世代のニーズを損なうことなく、現在の世代のニーズを満たすという、持続可能な開発の概念が打ち出され、その後の地球環境保全のための取組の重要な道しるべとなりました。

持続可能な開発の概念は理解できても、実現のためには多くの解決すべき課題を人類は持っています。それらの一つひとつを研究テーマとしつつ、常に研究成果を総合して、実行可能な体制を作っていくことが必要です。日本の現状を見たとき、必ずしも前向きに進んでいるとは思えないことが多々あります。

たとえば、イェール大学のポール・ケネディーは、北欧3国、北西ヨーロッパ5か国で環境マインドが高い理由として、十分豊であることと、教育水準が十分高いということをあげました。これらの国では1人あたりGDPは2万5000ドルから3万ドル、大学進学率は30%台後半です。これに比べて、日本のGDP が4万ドル、大学進学率は50%を超えていますが、環境に関する意識は決してそんなに高くないと私は思います。というよりも知的水準が高いと思えない面があります。それは第3期科学技術基本計画の策定にあたって行われた国民の調査の結果にも見られます。

皆さんは学位を取得したのち、大学を出てさまざまの進路に進まれるか、あるいは今までの仕事をさらに深められると思いますが、北欧などの環境先進国を訪問して実際にその市民に出会ってみることをお勧めします。たとえば、道路を横切ろうとすると、すぐぴたっと止まって待つ車に挨拶し、無駄のないように工夫した木の家具や道具に触れ、祭りの中でソーセージを載せた皿まで食べてみて、その意識の高さを実感することができるでしょう。

京都大学は、本当に市民の知的レベルを上げるような教育と研究を目指したいと思います。市民全体の教育水準を高めて、メディアに流れるさまざまの情報の洪水の中から、安易に作られた、あるいは偽の情報に惑わされることなく、本物の情報を見分ける能力を備えた市民を育てていくことを目指したいと思います。また、京都大学はメディアに載せるべき価値のある情報を生産する役割を果たさなければなりません。

今回、学位を授与した論文の中から、環境のことに関係するものをいくつか紹介したいと思います。

大学院地球環境学堂は、ベトナム国ハノイ市のベトナム科学技術アカデミー(Vietnam Academy of Science and Technology、VAST)の環境技術研究所(Institute of Environmental Technology、IET)の中に、独自の教育研究拠点を開設しました。

2005年12月6日には、ベトナムの、Tran Van Minh フエ農林大学長が、京都大学を訪問されました。この大学は地球環境学堂と学術交流協定を締結していて、大学院生のインターンシップをはじめとする教育と研究の協力を行っています。

河井 紘輔(かわい こうすけ)さんの、博士(地球環境学)の学位論文題目は、「ベトナム・ハノイにおける都市廃棄物循環の促進に関する提案」です。主査は、松井 三郎(まつい さぶろう)教授です。

この論文は、ベトナム・ハノイにおける都市廃棄物と有価物に関する調査研究と、それを踏まえた都市廃棄物循環の促進に関する提案をまとめたものです。急速な勢いで経済発展を遂げる東南アジア諸国は、経済活動を優先するあまり、環境への配慮が後回しにされ、すでにさまざまの環境問題が発生しています。とりわけ都市廃棄物問題は、深刻な状況です。河井さんは、ハノイにインターン研修で1年3ヶ月滞在し、共同調査と実験研究を行って、その成果を論文にまとめました。

原田 英典(はらだ ひでのり)さんの博士(地球環境学)の学位論文題目は、「先進的サニテーションシステムの提案およびベトナム衛生改善への試み」です。主査は、同じく松井 三郎教授です。

途上国での屎尿処理の問題は、国際社会にとっての緊急課題です。有価物を豊富に含む屎尿の適切な農業利用が、この衛生問題の改善に大きく寄与する可能性をもっています。原田さんも、インターン研修でベトナムに滞在し、共同調査と実験研究を行いました。また日本における実験研究に基づいた屎尿の資源循環の機能を備えた新しい衛生システムを提案し、ベトナムの衛生改善に結びつく結果を得ました。

日本にとって重要な課題の中に、水の大量輸入の問題があります。日本は、食糧生産に必要な水や、木材の生産に使われる水を間接的に輸入している国です。生産物1kgをつくるのに要する水は、たとえば米で5,100リットル、牛で100,000リットルと言われます。また、樹木が根から吸収する水のうち 95%は葉から蒸発すると言われます。とくに雨の少ない地域からの木材輸入は水を収奪していることになります。したがって食料も木材も国産によることがいいと思われます。水の問題はこのような間接水のことから、洪水の対策にいたるまで幅広く存在し、21世紀の人類の大きな課題の一つです。

増冨 祐司(ますとみ ゆうじ)さんの博士(地球環境学)の学位論文題目は、「世界流域データベースの開発とその応用」です。主査は、松岡 譲(まつおか ゆずる)教授です。

水の問題の解決には、自然科学から社会科学まで幅広い要因を考慮して、流域から地球規模にわたる統合的な研究や解析と、それに基づく対策や管理を行うことが必要となるという視点で、この論文は書かれています。流域を詳細に表現する単位流域をベースとして、自然科学的な情報から社会科学的な情報までを幅広く含む世界流域データベースを開発して、その応用に関する研究をまとめられました。

佐野 静代(さの しずよ)さんの博士(文学)の学位論文題目は、「水辺環境と村落景観の歴史地理学的研究」です。主査は、金田 章裕(きんだ あきひろ)教授です。

本研究は、「生業が景観を作り出す」という視点で、数百年に及ぶ水辺の景観の変化にあらわれた、人と水辺との関わりの変化を、歴史地理学的に解明する試みであります。事例として採りあげられているのは、主として琵琶湖をとりまく平野と湖岸であり、とりわけ、河川と湖岸、内湖に関心が向けられています。水のことを考えるもう一つの視点として、私はたいへん興味を持ちました。

2006年7月13日には、第1回の「ロレアルーユネスコ女性科学者日本奨励賞」を京都大学大学院理学研究科博士課程(生物科学専攻)3回生の野中 美応さんが受賞されました。この賞は、パリに本社を置くロレアルグループと国連専門機関のユネスコが、生命科学および物質科学の分野で、研究意欲に溢れる若手女性科学者の研究を助成し、日本の将来の科学の発展に寄与していきたいと願って、2005年11月に設立したものです。

野中さんの学位論文題目は、「PSD-95のPDZドメインのリガンド結合が、後シナプスにおける高密度分子集積と樹状突起のスパイン(棘突起)形態を制御する」です。主査は、藤吉 好則教授です。この論文は、神経細胞を形成するシナプスに存在する足場タンパク質が高密度に集積する仕組みを解明したものです。

21世紀の課題の中で、日本では少子化の問題があります。人工が減少し始めています。人材を確保するためには、まず男女共同参画社会を確立することが大切です。京都大学でも少しずつですが、そのための整備を進め、本年度には女性研究者の支援センターや病児育児施設の整備を行いました。

日本で少子高齢化のもっとも進行しているヒト科の生物はゴリラ属です。チンパンジー属もオランウータン属も含めて、ヒト科3属が絶滅危惧種になっています。

林 美里(はやし みさと)さんの博士(理学)の学位論文題目は、「物の操作からみたチンパンジーの認知発達」です。主査は、松沢 哲郎(まつざわてつろう)教授です。

この論文は、チンパンジーの認知発達の研究に関するものです。認知発達の指標として、物の操作に着目しました。ヒトを含めた霊長類の特徴として、物を片手でつかんで口に入れる、というように、手で物を操作する能力があります。これはヒトを含めた一部の霊長類で顕著な道具使用の先駆けとなる行動だと理解されています。ヒトと最も近縁のチンパンジーを対象とした研究によって観察可能な認知機能とその発達過程を明らかにした論文です。

2006年度の総長賞を差し上げた方たちの論文も紹介したいと思います。

米田 英嗣(こめだ ひでつぐ)さんの博士(教育学)の学位論文題目は、「物語理解における感情の処理過程」です。主査は、楠見 孝(くすみ たかし)助教授です。

物語理解における主人公の感情、読者の感情、主人公と読者の性格特性の相互作用から生じる感情といった感情情報の処理過程を実験的に解明しました。工夫されたパラダイムを用いた実験から「読者-主人公相互作用モデル」を提案し、物語理解における主人公と読者の感情過程を統合的に検討した論文です。

北原 鉄朗(きたはら てつろう)さんの博士(情報学)の学位論文題目は、「計算機による楽器音認識および内容に基づく音楽情報検索への応用」です。主査は、奥乃 博(おくの ひろし)教授です。

計算機によって、楽器の音の特徴を基本周波数の関数としてモデル化したり、複数の楽器の演奏での音の存在確率の変化を可視化するなどの方法によって、音楽情報検索に応用する研究をまとめ、実際に複数の楽器で演奏される音楽の分析を行いました。

最後に、私の所属していた分野である理学研究科地球惑星科学専攻の学位論文から、白玲(バイリン)さんの学位論文題目は、「2004年紀伊半島南東沖地震:震源再決定、震源過程、そのテクトニックな意味」です。主査は川崎 一朗教授です。早ければあと20年ほどで起こるであろう南海トラフの巨大地震想定震源領域の南側について、新しい知見を加えたものとして評価されました。

皆さんの学位論文と、それを完成するまでに仲間と交わした議論や、実験のデータ、開発された研究手段、報告されたさまざまの成果は、すべて人類の知的財産として蓄積され、今後長く活用されることになります。また、同時に皆さんは自ら発したそのような知財を今後ともさらに検討を加え、あるいは改訂し、改良していく責任を持つと同時に、研究の成果を世界の人びとに伝達する仕事をこなすことが求められるでしょう。学位を授与されるということは、研究者としての責任をしっかりと自覚するという意味をも持っているのであります。

今後とも健康に留意しながら、ますますご活躍されることを祈って、私の博士学位授与式の式辞といたします。

おめでとうございます。

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