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湯川秀樹・朝永振一郎生誕100年記念シンポジウム、 『「知」に挑む―荒野をひらく力』 挨拶 (2006年11月4日)

尾池 和夫

朝日新聞・京都大学主催、湯川秀樹・朝永振一郎生誕100年記念シンポジウム、『「知」に挑む-荒野をひらく力』の開催に際し一言ご挨拶を述べさせていただきます。

朝永 振一郎博士は今年の去る3月31日が、湯川 秀樹博士は来年2007年1月23日が、それぞれ生誕百年にあたります。日本のノーベル賞受賞の第一号と第二号の両博士をわが京都大学が輩出したということは、我々京都大学の誇りとするところであります。京都大学では、この2006年度を両博士の「生誕百年の記念年度」と定め、二人を育んだ大学として、両博士を顕彰すると共に、その事蹟を広く国民に知ってもらうべくいろいろな記念事業を行なっております。

既に、その第一弾の企画として、去る3月26日から5月7日まで東京上野の国立科学博物館におきまして、湯川・朝永生誕百年記念展を両先生ゆかりの筑波大学、大阪大学と共同して開催いたしました。幸い、この企画展の反響は予想を超えるもので、科学技術担当大臣の来館もあり、入場者数は43日間の全会期で最終的に4万1千人を数えました。今さらながら、日本国民における両博士の存在の大きさを知る思いが致します。

本学におきましても先月10月4日から明年1月28日までほぼ4ヶ月間、京大総合博物館で記念展を開催しています。是非ご覧頂きたく存じます。
本日のシンポジウムもこの記念事業の一環として、朝日新聞社と京都大学の共催で企画したものです。テーマは『「知」に挑む-荒野をひらく力』ですが、両博士の生き方は実にこのタイトルの実践でありました。

お二人の京都大学入学は1926年ですが、それは物理学でまさにニュートン以来の大革命が起こっていた時です。1925年にはハイゼンベルクが行列力学を、1926年にはシュレーディンガーが波動力学を、それぞれ発表し、量子力学というミクロの世界の全く新しい力学理論が確立される時でした。彼らは、近くにその新しい物理学を理解する先生も居らず、まとまった教科書も全く無い中、自分達みずから、ヨーロッパから直接、文献や学術雑誌を、探し、選び、自学自習して、取り組んだのです。

1929年に卒業してからも彼らは無給の副手として大学に残り、「遅れたかも知れない」という焦りを感じながらも研鑽を積みます。驚くべきことに、まもなく彼らは物理学の世界の最先端に追いつき、1932年に発見された中性子と陽子からなる、原子核の世界、― 1cmの1億分の1の原子よりも更に10万倍小さな原子核の世界 ― の解明に果敢に挑戦を開始するわけです。

そして湯川博士は早くも1934年には、原子核の強い力の起源として中間子の存在を予言する、後にノーベル賞を受賞する論文を発表しました。また一方、この論文成立にも大きな助けをした朝永博士は、中間子論の研究の中から、場の理論の無限大を生ずる困難を戦後直後に解決して、電子と電磁場の精密科学としての量子電磁気学を完成させました。素粒子世界の力の起源の解答として「標準模型」が確立した現在から振り返りますと、素粒子論という新しい分野を湯川博士が切り拓き、朝永博士が、その最終解答を与えるための決定的な仕事をした、ということができます。

このように両博士が大学で誰の指導も受けず、ほとんど自分達だけで切磋琢磨したということを強調しますと、京都大学が「両博士を輩出した」という際に何を誇れるのか、という点が疑問です。玉城教授が、「自分は量子力学はわからないが、それを自由に研究してよろしい」と言って無給副手として研究室に居させてくれたことが、京都大学の自由の学風の寄与でしょうか?この点は大学のあり方に関わる重要な問題で、今日も話題の一つになるものと思います。

このように両博士は専門の研究の面で果敢な挑戦をし、見事に新しい分野を切り拓いたわけですが、両博士の挑戦は、単に研究だけにはとどまりませんでした。両博士はあい協力して、国民の負託から逃げることなく、戦後の研究体制の構築ならびに教育、文化、平和の国民的課題に積極的に活躍されてきたのであります。原子核エネルギーの利用が先ず原子爆弾によって実現され、冷戦下で核兵器の開発・実験が盛んに行われるという人類存亡に関わる事態の中で、ラッセル・アインシュタイン宣言への署名、パグウォッシュ会議への参加、1962年の第1回科学者京都会議などを通して、原子力の平和利用への世論形成に大きな寄与をされました。非核三原則を見直すような発言をする政治家が居る今の時代にこそ、両博士の精神を思い起こさなければと思います。また、湯川博士のノーベル賞受賞を記念した基礎物理学研究所の発足に際しては、朝永博士らの努力により、全国共同利用研究所という全く新しい学術体制が作られました。この我が国で初めての全国共同利用研究所の発足には、時の鳥養 利三郎総長の、「大学の自治」との形式的な矛盾を乗り越える英断と慧眼があって初めて可能だったことも、わが京都大学としては思い起こしておきたいと思います。

このように両博士は、挑戦の精神でもって専門分野のみならずまことに見事な人生をえがかれたのであります。また、三高、京大時代の同級生を初めとして両博士の周りの多士済々にも驚きますが、それについては、時計台のサロンで展示しておりますのでご覧になってください。今日のシンポジウムにも、京大にゆかりの多士済々の方々にお集まりいただき「知」に挑む―荒野をひらく力、と言うテーマでお話を伺う予定になっております。どんなお話が出るのか大変楽しみなことであります。湯川・朝永両博士の事蹟と精神に思いを致しながら、本日の講演や討論をお聞きいただければ、今日の我々の大学のあり方から、人間の生き方までも、あらためて考えるヒントが多くあるものと思います。

お楽しみ頂ければ幸いです。

写真提供 朝日新聞社

トピックス シンポジウム、『「知」に挑む-荒野をひらく力』を開催