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京都文化会議2006 閉会の辞 (2006年10月29日)

尾池 和夫

 この京都文化会議は今年で4回目です。たくさんの方々が協力してくださって、この「京都文化会議2006-地球化時代のこころを求めて」が開催されました。私も、2日間の会議に全部出席しました。期待した以上の成果をあげることができたと今思っています。これまでに非公開でいくつかの分科会がもたれています。それも含めて、きっとまた内容豊かな報告がまとめられることと思います。ご関係の皆さまに心からお礼を申しあげます。

 2日間、熱心に講演し、討議し、また会場を運営して下さった方々、会場で熱心に話を聞いて下さった方々、またこの会議の主旨に賛同して支援して下さった団体や企業の方々に、組織委員会を代表して深く感謝し、お礼を申しあげます。また、姿が見えないですが、素晴らしい同時通訳をしてくださった方々にも拍手を送りたいと思います。

 この会議のタイトルは、"In Quest of Kokoro/Human Minds for This Planet"とされています。「こころ」という言葉は、かつて夏目漱石の小説「こころ」が"Kokoro"という題で英語に翻訳されたように、外国語に直すのがたいへん困難な言葉です。それだけでなく日本語の国語辞典でも、その説明はたいへん複雑な内容になっています。翻訳という仕事がいかに大変な仕事であるかということを示す事例です。以前にも申しあげましたが、やがて「Kokoro」が国際語になるように、この京都文化会議の討議を、さまざまの形で続けていきたいと思います。

 この京都文化会議では、若者のこころを一つのテーマにしてきました。本日のフォーラムでも「若者のこころを育む」という題が付けられていました。私はどちらかというと「育む」という他動詞より、「育つ」という自動詞が好きで、「若者のこころが育つ」という京都大学を守りたいと思っています。

 最近、教育をめぐる問題がさまざまの形で取り上げられています。この「教育」という言葉も翻訳の問題を含んでいます。「教育」も「こころを求めて」たいへん重要な役割を演じます。その点からも、私たちは政府や国会で議論されている「教育」という言葉の意味をよく考えておかなければなりません。

 英語で言う"educaton"は、例えばWikipediaでは次のように書かれています。"Education is the process by which an individual is encouraged and enabled to fully develop his or her innate potential" つまり、英語で言う"education"とは、個人がその潜在的に持つ能力を可能な限り伸ばせるように勇気づけ、能力が発揮できるようにする過程なのです。イギリスの諺では、「馬を川に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ますことはできない」と言います。私は、京都大学の先生たちにも、「馬が水を飲みたいと思ったときいつでもきれいで豊かな水を飲めるようにするのが京都大学の教員の役目です」と言っています。

 一方、日本の識者がよく引用する「広辞苑」の「教育」の説明には、「教え育てること。人を教えて知能をつけること」に続けて、「人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動」とあります。英語にあった「持って生まれた才能を伸ばす」ような概念は見えません。

 このような翻訳語の違いがあっても、そのこととは無関係に、ヨーロッパの高等教育の評価の基準をそのまま日本の大学にも当てはめて、国際化を図るというような議論が行われています。その前に、言葉の概念が違うことを、私たちはまず理解することが重要なのです。

 京都大学では、「教え育てる」という他動詞を中心とする日本語の「教育」の概念を強く持つよりは、私は「学び習う」という自動詞を中心とした学生自身の「学習」の概念を重視したいと思っています。それが京都大学の大切にしている「自由の学風」の基本であると思っています。

 この2日間、さまざまの討議に参加してきました。「京都文化会議2006」の閉会を目前にして、私はこの会場で、2003年からのこの会議を思い起こしておりました。

 京都文化会議2003年の開会が、国立京都国際会館メインホールで宣言されたのは、2003年11月28日13時のことでした。

 開催の趣旨には、「21世紀のいま、わたくしたち人類は地球のいきとしいけるものをまきこみ、海図なき未知の旅へと乗り出している」とあります。そして「あらたな地球社会の理念とその実現へのすじみちは、まさにこれから探りはじめなければならない」と書かれました。英語では、"As we enter the 21st century, the human race, together with all other forms of life on this planet, is embarking on a journey into uncharted waters."というように、海図なき「水」であります。この水は空と陸に対して水圏を意味しています。

 この会議を通じて、重要なキーワードの一つは「水」だと私はずっと思っています。今年のポスターは「火」をイメージしますが、昨年のポスターのイメージは「水」でした。「水」をキーワードとする立場から言うと、京都の歴史も1200年というのではなく、豊かな地下水を持つ京都盆地に、大陸から酒造りを伝えてくれた秦氏の松尾大社の歴史のように、1300年以上というのがいいかもしれません。

 「京都提言2003」が、前の京都大学総長、長尾 真先生によって読み上げられたのは、「京都文化会議2003」の3日間の最後の日、2003年11月30日でした。その中に、「京都も、将来の見えない世界の、小さな一部にすぎない。しかし、京都は千二百年以上にわたって、東アジアはもとより、ひろく世界の多様な文化と思想を受容し、さまざまな危機を経験しながらも、環境と調和しつつ一貫した生のあり方を実現しつづけた、稀有な都市の一つでもある」と書き込まれました。この京都という土地でこそ、「地球化時代のこころを求めて」の討議が行われるのに相応しい土地であるという共通認識を私たちは持ちました。

 京都文化会議2004年は、2004年10月末の3日間に開催されました。会議を締めくくって、私は地球科学の目でイングランドと日本を比べ、変動帯にある「峨峨たる山」の風景のことを話しました。変動帯であってこそ長安の都の文化が育まれ、あるいは京都盆地が生まれて豊かな地下水の文化が育てられたのであり、「天地人」、つまり自然と人との調和を基本とするこころを育ててきたのだと話しました。

 京都文化会議2005も昨年の10月末の3日間でした。そこでも、私はヨーロッパの安定大地の風景と、激しく大地が動く変動帯の京都盆地の風景を比べました。文化はもともとローカルなものであり、京都盆地に育ったそのローカルな京都の文化を世界に発信する知の拠点として、大学の役割があると思います。ローカルな文化をつきつめて行くと、それが究極のグローバルなものとして、人類共通の精神の糧となる可能性を持つと、私は思っています。

 ことしの京都文化会議2006は、五木 寛之さんのよる記念講演「いまを生きる力」で一般公開の幕を開けました。

 五木 寛之さんが舞台に登場して話し始めて間もなく、私は「人はみな大河の一滴」という言葉を思い出しました。その言葉は「なぜかふと心が萎える日に」と続きます。余分なことですが、そのとき私の脳には、講演とは関係なく麦焼酎「大河の一滴」のずんぐりしたボトルの形が思い浮かんだりしました。照葉樹林に囲まれた名水「綾の湧水」で仕込まれた「大河の一滴」であります。

 五木 寛之さんの、萎えたこころがあってもいいではないか、今日はため息をついて帰ろうという話は、聞く人にほっとした気持ちを与えるものでした。

 大学生時代の私のクラスメートである利根川 進さんは今、脳を理解しようとして記憶のしくみを研究しています。人は集団になると戦争を起こしたりすることがあるのですが、一人ひとりを見ると親切だと彼は言います。戦争を起こす心は、脳の働きを究めることによって、いつかきっとわかるだろうと言っています。今MITで彼がやっている研究の成果の蓄積が、どのような課題の解決に役立つかは、今はわからなくても、脳で何が起こっているかを知ること自体が大きな意味を持っているというのが、利根川さんの脳の研究の動機になっていると思います。

 昨夜のレセプションで話しましたが、例えば、昨日のフォーラム1、「ゲームの中のこころ-コンピュータとコミュニケーション」での討議を聴いていて、私はゲームを楽しむ人の脳と、国家という集まりの指導者が、他国の市民の住む街に空爆を強行したり、他国の土地に地雷を無数に埋めたりするような、そんな指導者の脳と、何が違うのか、そんな脳の仕組みを、やがて解明することができることでしょう。

 今年も、高校生自身の企画による「高校生フォーラム」が行われました。本川 達雄さんは、もし脳にこころがあるというなら、私の研究するナマコには脳がないから、心臓にこころがあるというなら、ナマコには心臓がないから、と言われました。以前私はこころがどこにあるかという話をして、昔の人はこころが肝や腹にあると思っていたので、それならナマコにもありますねと、さっき本川さんに確かめました。350名の高校生の集まった会場で、ノリをよくして、恋をして子供をつくろうと本川さんは呼びかけました。「やせの大食い」の式も教えて貰いました。今、環境問題の中に「時間環境の破壊」があるということを指摘して、それを考えるのはきみらの世代だと呼びかけ、時間を永遠に生み出し続けるのが生物であると話しました。

 今日の、サイモン・アッシャー・レヴィンさんの話は、生物の個体行動と集団としての行動の関係がテーマでした。レヴィンさんも「Kokoro」という言葉を使いましたが、その意味を世界の人びとが共通認識のもとに使えるようになってほしいと私は思います。

 さきほどのフォーラム2「若者のこころを育む」では、高階絵里加さんが、椎の実を炒って食べると美味しいという話をされました。子どもたちに椎の実の美味しさを伝えることが、「私は地球化時代のこころを求めて」実行することの一つだと思います。京都盆地にもたくさん椎の実が今ちょうど落ちています。この近くでは、下鴨神社の境内に、「世界遺産の椎の実」が、たくさん落ちています。

 活断層の運動によって京都盆地が生まれ、そこに都が生まれて1200年以上を経過しました。京都の文化は、この京都盆地の堆積層に含まれる豊かな地下水の恩恵による面が強いと以前にも申しあげました。それが、動く大地に住む人たちが育てた変動帯の文化だといえるでしょう。

 安定大陸の文化と変動帯の文化のちがいが、さまざまの場面に現れます。歴史の場面にも登場します。

 かつて明治のはじめ、イギリスから、御雇外国人学者として来日したジョン・ミルンは、来日してすぐ出会った地震の揺れにおどろいて、地震についての研究を始め、1880年、在留外国人たちと「日本地震学会」を設立しました。このきっかけになった地震は、1880(明治13)年2月22日の、横浜で起こった中規模の地震で、煙突が折れるという程度の軽微な被害のあった、日本人はまったくおどろかない地震でしたが、地震のない安定な陸地から、大地の動く変動帯の日本へ来てたちまち、初めてその大地の動きを体験して、ミルンたちは学会を創設したのです。これが、世界ではじめて「地震」という言葉が使われた学会です。つまり、地震を知らない国の人々の体験がきっかけになって、日本が世界の「地震学」の誕生の地となったのです。そして地震計が登場しました。

 一方、19世紀の後半、ドイツでは水平振り子式の装置を使って地球潮汐の測定を行っていました。月や太陽の引力で海洋の潮の干満と同じように固体地球が変形するのですが、それを地表の傾きの変化から調べようとしていました。そのための水平振り子による観測がドイツの2か所で行われていましたが、1889年 4月17日の夕方、その装置で異常な振動が記録されました。このころ、明治22年の日本で、すでに英語の新聞が発行されていて、世界にニュースが発信されておりました。このドイツの研究者たちの所へも新聞が届いて、その異常な振動のあった日に、東京の地震計が日本の近くで起こった地震を記録したという記事がありました。こうして、日本付近から地震の波が地球の中を伝わって、ドイツまでやってきたことがわかったのです。「Nature」の第40巻にその論文が出ています。

 このような日本に起こった地震がきっかけとなって、日本では震災に関連する地震の仕組みの研究が進み、ヨーロッパでは地球の内部構造の研究が進むことになりました。安定大陸と変動帯の文化の違いが、そのようなところにも反映されてきたのです。

 「京都提言2003」には、「京都は、『地球化時代』が歩むべき理念とその実現への方途を探りだすための、独自の創造的空間となる可能性を秘めている」とあります。その京都にある京都大学も、この京都文化会議での討議の中から、いくつかの実践課題を得て、まず一つ、こころを研究するための新しい研究センターというような、具体的に見える形を創りあげようとしています。近い将来、その形を市民の皆さまに披露できると思っています。そこからまた京都大学が21世紀の若者たちにメッセージを送り、若者たちと一緒に、明るい夢のある人類の未来を目指していきたいと思っています。

 この京都文化会議2006も、多くの貴重な知の蓄積とともに閉会できることを、会場の皆さまとともに喜びつつ、閉会を宣言します。多数の皆さまの京都文化会議2006へのご参加と熱心な討議に、もう一度、心からお礼を申しあげます。

 ありがとうございました。

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