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京都大学文学部創設百周年記念 挨拶 (2006年6月10日)

尾池 和夫

 京都帝国大学に文科大学が創設されて100年の記念、まことにおめでとうございます。同窓生の方々に、またご関係の皆さま方に、京都大学を代表して、こころからお祝い申し上げます。また、この100年、文学研究科、文学部の発展を支えて下さっている多くの方々に、お礼を申し上げます。

 今日の文学部のお祝いにあたり、京都大学の歴史を振り返っておりましたが、紀平先生にヒントをいただいて、文学部教授から京都大学総長に就任された3人の方々のことについて、特に関心を持って歴史を読みました。

 1933年は、ノーベル賞では、よく知られているエルヴィン・シュレーディンガーとポール・ディラックが物理学賞を受けた年です。日本では、2月1日に、宮沢 裕衆議院議員が、衆議院予算委員会において鳩山文相に対して、「某京都大学ノ教授」の『刑法読本』を非難した事件がありました。鳩山文相は、できるだけ取り締り、そのような教員が教授しないよう注意すると答弁しました。3月10日には、伊東 延吉文部省学生部長ならびに粟屋 謙文部次官が、宮本法学部長に滝川の学説が問題になっていることを通告しました。その直後の3月22日に、文学部教授から第9代、小西 重直(こにししげなお)総長が就任しました。

 3月27日には、日本が国際聯盟を脱退することを発表し、3月30日には、法学部および経済学部新館が竣工し、4月10日には、滝川教授の『刑法読本』『刑法講義』が内務省により発禁処分とされ、4月22日、鳩山文相は、小西総長に対して、滝川教授へ辞職を勧告し、応じなければ休職を命ずるよう要求しました。5月9日、小西総長は上京して鳩山文相、粟屋次官、赤間専門学務局長と会見、滝川問題につき文部省側に考慮を求めましたが、鳩山文相は滝川処分は内閣の総意である旨を通告しました。6月17日、小西総長は評議会において、事件収拾の責任および健康上の理由で辞意を表明し、7月7日、第10代の松井 元興(まついもとおき)総長が理学部教授から就任しました。

 1937年(昭和12年)、第11代濱田 耕作(はまだこうさく)総長が文学部教授から就任しました。この年、7月7日には、盧溝橋において日中両軍が衝突し、日中戦争が勃発しました。 12月には、日本軍が中国の首都であった南京を占領し、翌年4月1日、国家総動員法が公布されました。7月25日、濱田総長は現職のまま死去され、7月29日、学葬が挙行されました。

 ついで、第12代の羽田 亨(はねだとおる)総長が11月25日に文学部教授から就任されました。翌年、2月18日、石川 達三著の南京従軍記『生きてゐる兵隊』を掲載した雑誌『中央公論』3月号が発禁処分となり、石川と編輯者雨宮 庸蔵、発行人牧野 武夫が検挙されました。3月13日には、ナチス・ドイツがオーストリアを併合しました。この年、パール・S・バックがノーベル賞文学賞を受けました。

 1939年(昭和14年)12月7日、羽田総長は、評議会において、研究・教育・訓育の面でどのように総合大学としての実績をあげるかについての審議を希望する旨の提議を行いました。この結果、1940年1月25日には、研究・教育・訓育その他の制度の各部門につき審議することが決定され、7月24日、審議が終了しました。1940年8月2日には、人文科学研究所設置の勅令第520号が発せられました。

 この年、日満文化協会の委嘱により京都帝国大学では、東洋史教授の羽田 亨の命を受けた田村 実造が考古学の小林 行雄らの協力を得て慶陵調査団を組織し、8月から9月まで調査が行われました。

 今回、文学部が100年にわたって収集を続けてきた資料から全25点が展示されます。今回の展示を通じて歴史の中で培われてきた研究活動の一端について理解を深めていただきたいという願いであります。
 京都大学は探検大学という呼び名を頂いたこともありますが、1930年後半からしばらく探検が盛んでした。京都大学白頭山遠征隊は今西 錦司隊長で1934年から35年に出かけ、1936年には加藤 泰安が旅行部を率いて冬の大興安嶺に遠征し、1938年には木原 均を隊長として内蒙古に入りました。今西 錦司隊長の北部大興安嶺探検隊が出かけたのは、1942年5月から7月でした。

 1943年11月20日、羽田 亨総長はグラウンドでの出陣学徒壮行式で、「諸君、行き給え。しこうして帰り給え。大学は門を開いて諸君を待っている」と述べました。この式辞は須田 國太郎の「学徒出陣」の絵とともに京都大学の歴史に残るものであります。大学文書館の調査では、学徒出陣で、京都大学の4,500名の学生が入隊しました。そのうちでも文系の学部では8割の学生が入隊しました。そして在学生の260名が戦没者と確認されています。

 1945年(昭和20年)の終戦の後、11月1日、第13代鳥養 利三郎(とりがいりさぶろう)総長が羽田 亨総長の跡を継いで工学部教授から就任しました。その任期中に1949年、湯川 秀樹教授がノーベル賞を受賞しました。

 上賀茂神社の西方、北区大宮南田尻町に京都大学大学院文学研究科附属ユーラシア文化研究センターがあります。羽田記念館と呼ばれる建物であります。この施設は、羽田 亨博士の業績を記念したもので、博士の専門分野に関わる漢・蒙・回・蔵・満の諸典籍をはじめとする9,000冊を超える蔵書があり、内陸アジア全域の研究の中心的役割を担っています。

 文学部の創設100年を記念して、文学部教授から総長として登場された方々を想い、文学研究科と文学部のさらなる発展を祈りながら、お祝いの言葉の結びといたします。

 文学部創設百周年、まことにおめでとうございます。

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