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博士学位授与式 式辞 (2006年1月23日)

尾池 和夫

 本日は、課程博士95名、論文博士47名、合計142名の方に博士学位を授与いたしました。ご列席の副学長、各研究科長とともに、心からおよろこび申し上げます。旧制の博士学位から今日の皆さんの学位まで含めて、京都大学から博士学位を得た研究者は総計33,442名になりました。まことにおめでとうございます。

 昨年、2005年はユネスコが「世界物理年」と宣言した年でした。それを記念して、また、2006年3月末まで続く「日本におけるドイツ年」の行事の一環として、朝日新聞社や世界物理年日本委員会などの主催により、「アインシュタイン日本見聞録」という特別展が東京の国際フォーラムで開催されています。

 この特別展では、1922年のアルバート・アインシュタインの日本への旅行に焦点を当てながら、アインシュタインの普段の生活ぶり、政治的な立場などを織り交ぜて、その人物を浮き彫りにしようとしています。

 1922年、京都大学の学生に荒木 俊馬(あらき としま)がいました。彼は東京へアインシュタインの講演を聞きに行って講演の内容を克明にノートし、京都でのアインシュタインの講演の時には、学生を代表してすばらしいドイツ語の挨拶をしたそうですが、そのノートと挨拶の原稿も展示されています。アインシュタインの日記には、「学生がかなり多く集まっていた。学長につづき学生の代表が非の打ち所のない(そして心のこもった)ドイツ語で挨拶してくれた」とありました。

 日本で初めてのノーベル賞を授賞した湯川 秀樹博士は1907年の生まれ、1965年にノーベル賞を受けた朝永 振一郎博士はその1年前1906年生まれで、今年から来年にかけてお2人の生誕百年の年です。2人とも京都大学に縁の深い方たちであるということは、皆さんよくご存じの通りです。2人が生まれた直前の1905年に、アインシュタインは3つの論文を発表したのです。

 京都大学名誉教授の佐藤 文隆さんの呼びかけで、京都大学では2人のノーベル賞授賞者生誕百年を記念した展覧会を企画して準備しました。その努力が実を結んで、まず上野の国立科学博物館の企画展「素粒子の世界を拓く-湯川秀樹・朝永振一郎生誕100年」として披露され、その後関係各大学を巡廻することになりました。

 アインシュタインの言葉の中には、例えば、「大事なことは、疑問を持ち続けることだ」とか、「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる」というような言葉があります。このような先人の言葉の意味を考えて、その意味を自分の人生に重ねていくこと、自分の生活の中に取り込んでいくことも、みなさんのこれからの生き方にきっと役に立つことでしょう。

 一方、これらの研究者の歴史とともに、世界の平和を考えることも大切です。1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」は科学者が核兵器や戦争の廃絶を訴えたものですが、その宣言をもとに1957年にカナダで開かれた「パグウォッシュ会議」に、朝永博士と湯川博士はそろって参加し、1962年の第1回科学者京都会議を開催して、平和運動を推進しました。

 今、百周年時計台記念館では、文書館の企画展『京都大学における「学徒出陣」』が、 3月5日までの予定で開催されています。西山 伸(にしやま しん)助教授たちのご努力で、だんだんに歴史が分かってきておりますが、第二次世界大戦に際して、1943年には文系の学生を中心に徴兵猶予が解除されて、京都大学から学徒出陣した学生が少なくとも4,440人にのぼることが分かりました。この数は当時在籍した学生のほぼ半数になります。そのうち、 200名の戦死が確認されました。文系では83パーセントの学生が出征したことになります。特攻隊で戦死した学生の手紙には「人間は忘却する術を有する」とありますが、それは戦争のことを忘れてはならないという重いメッセージでもあります。2度とあってはならない歴史として、今日、新しく京都大学博士になられた皆さまにも、この機会にぜひ展示をご覧いただきたいと思います。そして研究の成果が人類の福祉のために活かされるよう今後も努力を続けていく決意を新たにしてほしいと願います。

 2006年を迎えて、このようなことを考えながら、皆さんの学位論文審査報告を私も読ませていただきました。

「ラッセル・アインシュタイン宣言」の1人、バートランド・ラッセルは、イギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者です。1950年にノーベル文学賞を受賞しました。

 文学研究科思想文化学専攻の久木田 水生(くきた みなお)さんの論文題目は、「ラッセルの論理主義」です。主査は、伊藤 邦武(いとう くにたけ)教授です。本論文は、20世紀前半における数学の基礎をめぐる哲学的反省のなかでも、もっとも代表的理論とみなされるラッセルの論理主義について、その最初の定式化から最終的な立場までの変遷を追って、その理論がいかなる立場であったのかを包括的に検討しようとした研究です。1903年の『数学の原理』から1910年のホワイトヘッドとの共著『プリンキピア・マテマティカ』に到るまでの、ラッセルの論理主義の主張の変化を追跡して、その変化の意義を考察し、従来の批判に対して、『プリンキピア』の理論が論理主義の修正版ではあるとしても、決してその放棄や妥協ではなく、数学についての新しい観点にもとづく洗練された数学の哲学の提唱であったという主張をした論文です。ラッセルの論理主義をめぐる広範な問題について包括的に考察した明解な研究であると評価されました。

 アインシュタインは、光電効果の法則で1921年にノーベル物理学賞を受賞し、1924年には、ボース・アインシュタインの統計で知られる量子統計力学を確立しました。

 理学研究科物理学・宇宙物理学専攻の長谷川 智晴(はせがわともはる)さんの論文題目は、「量子常誘電体SrTiO3の光誘起巨大誘電応答」です。主査は、田中 耕一郎教授です。わずかな数の光子によって、巨視的な物性変化が物質に生じる現象は、光誘起相転移として、この15年ほどの間に、多くの光物性研究者が注目するところとなったそうです。本論文は、チタン酸ストロンチウムの誘電性における光励起効果について研究したもので、この論文をきっかけとして、国内外で様々な手段により誘電体の光照射の研究が始まっていると言われています。この分野での先駆的な重要な研究として位置づけられると評価されました。

 量子力学でも直交多項式が活躍しますが、理学研究科数学・数理解析専攻の高田 智広(たかた ともひろ)さんの論文題目は、「ある多重直交多項式とベッセル方程式の差分化」です。主査は、上野 健爾教授です。直交多項式は古典解析学だけでなく応用上の重要な函数ですが、20世紀後半には応用上の必要もあって、直交多項式を一般化した多重直交多項式の研究が盛んになり、直交多項式との類似から種々の研究が行われてきました。この論文は、測度の性質を直接使わずに、多重直交多項式の4項関係式の係数の漸近挙動をもとに漸近公式を得ることに成功したもので、この分野の研究の従来の知見を大幅に深め、かつ新しい研究方向を示す顕著な業績であるとされ、大学院在学5年未満で特例として学位を授与するに十分と評価されました。

 話題が変わりますが、昨年は、3回にわたって京都大学が主催する国際シンポジウムを東アジアで開催しましたが、その中で博士課程の皆さんの研究が発表され、その活躍が目立っていました。最近ではバンコクで開催されたシンポジウムで数々のフィールドワークの成果が注目されました。

 京都大学のフィールド科学の伝統は、今回の学位論文の中にも多くの成果を生みだしていると思います。

 工学研究科環境地球工学専攻のPiyaporn Songprasert(ピヤポーン ソングプラサート)さんの論文題目は、「タイ、ポン川の流域管理のための水量・水質分布に関わる基礎的研究」です。主査は、藤井 滋穂(ふじい しげお)教授です。本論文は、熱帯河川上流域での疫学的に安全な水利用と、適切な水量・水質管理を実施する流域管理手法の確立を目指して、タイ国ポン(Phong)川を研究対象として、流域情報を収集してデータベース化し、訪問調査や水質調査を実施し、対象流域の水量と水質の分布を考察して、重要な知見を得たものです。

 農学研究科地域環境科学専攻の小寺 昭彦(こてら あきひこ)さんの論文題目は、「洪水がベトナム紅河デルタの水稲に及ぼす影響とその緩和策」です。主査は、櫻谷 哲夫(さくらたに てつお)教授です。この地域では数年に1度の割合で集中豪雨や台風による冠水被害が発生し、それらがイネ生産に対する不安定要因となっています。本論文は、ベトナム紅河デルタでの現地実験や生育モデルの解析から、洪水リスクの軽減法を提案したもので、熱帯デルタにおけるイネ栽培の実際に寄与するところが大きいと評価されました。

 人間・環境学研究科文化・地域環境学専攻の三田(旧姓川端) 牧(みたまき)さんの論文題目は、「糸満における海と魚の民族誌-ウミンチューとアンマーの自然を読む知識-」です。主査は、福井 勝義(ふくい かつよし)教授です。本論文は、沖縄を代表する漁師町糸満における通算約1年6ヶ月にわたるフィールドワークにもとづいての文化人類学的研究です。糸満では男性がとった魚を女性が販売してきました。これまでの沖縄における漁撈研究では、「海を読む知識」は伝統漁法の研究においてのみ議論され、近代技術と知識は対立的にとらえられる傾向にあったのですが、本研究では、近代技術は知識の必要性を低下させることもあるが、「海を読む知識」をより深化させる場合もあるという新しい視点を提起した論文として高く評価されました。

 このようにさまざまの研究が京都大学の内外で行われて、その成果が今日の博士論文に仕上げられました。最初に申し上げたように、京都大学から博士学位を得た研究者は総計33,442名になりました。その中には、たぶん皆さんのお財布に入っているお札の肖像の方もあります。ノーベル賞の最終候補にもなっていた野口英世博士は、1911年、35歳で京都帝国大学から医学博士の学位を授与されました。皆さんもその仲間になったわけですが、この京都大学で博士学位を得られたことは、皆さんにとって大きな喜びであり誇りであるとともに、京都大学の誇りとなるものでもあります。博士学位授与式を迎える今日まで、支援を惜しまなかったご家族の方々や指導教員の方々とともに、私も心からお祝い申し上げます。

 博士学位おめでとうございます。

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