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京都文化会議2005-地球化時代のこころを求めて 閉会の辞 (2005年10月31日)

尾池 和夫

 今年も、多くの方々のご協力を得て、この「京都文化会議2005-地球化時代のこころを求めて」が開催され、期待した通り、あるいはそれ以上の成果をもって終了したことを報告し、関係の皆さまに心からお礼を申しあげます。

 3日間、熱心に講演し、討論し、また会場を運営して下さった方々、会場から熱心に話を聞いて下さり、あるいは討論に参加して下さった方々、またこの会議の主旨に賛同して支援して下さった団体や企業の方々に、組織委員会を代表して深く感謝しお礼を申しあげます。

 この会議は、一昨年の「京都提言2003」にあるように、新たな英知を生み出し、21世紀の人間像の構築をめざし、文明の真に普遍的なかたちを実現するために、各地に根ざす文化の復権とそこに宿る融和のこころを求め、若者たちが希望をいだくことのできる、来るべき世界の方向性を、強い実践の意思とともに提示するという主旨で開催されたものであります。

 私もその様な主旨のもとに、私なりの考えをもって3日間この会場のすべての場面に出席いたしました。出席にあたって、私は昨年までの議論を思い起こしながら、皆さんの議論を拝聴しましたが、私自身のこの一年の体験もそれに重ねながら拝聴しておりました。

 昨年のこの場面で、私は、変動帯にある日本列島では、大地震や台風による被害の発生のたびに、変動帯の文化を身につけた市民の間の連帯が見られ、そこに人と地球の共生を基本とする日本の文化があると申しました。この京都には、活断層運動で山と盆地と扇状地ができ、豊かな地下水のある堆積層ができて、そこに育まれた変動帯の文化のこころを世界で共有することも、大切なことだと申しあげました。そして京都盆地とイングランドの穏やかな起伏と平地を京都盆地の構造と対比して話しました。

 つい最近、私はスウェーデンを訪問し、ウプサラ大学でEUの大学の学長たちが集まる会議にも出席しました。ストックホルムのノーベル博物館の館長にも招待していただきました。博物館にはアインシュタインがノーベル賞に決定されるまでの歴史が詳しく説明され、関連の書類などが展示してありました。ノーベル賞はスウェーデンの文化であり、それを世界からの観光客が見にやってきます。これからノーベル賞の授賞式が行われるまで、ストックホルムの町はノーベル賞の祭典の町になります。京都でももうすぐ、同じように京都賞の授賞式が行われます。京都の町に学問の祭典が催されるのであります。

 ストックホルムの町中を歩いていて、私は町中の至る所にむき出しになっている強固な岩盤の景色に深い感銘を覚えました。この町を整備していくとき、いかにダイナマイトの発明が必要であったかという想いで、至る所の岩盤を見て、ノーベル賞が生まれた背景をしっかりと見る思いを抱いたのです。

 つい最近のこの旅行から、私は一方では、京都の地で、ノーベル賞学者や多くの偉大な学者たちが変動帯特有の扇状地にできた道を散歩しながら思索を重ねていった歴史を思い、一方では安定大陸の強固な岩盤から生まれたノーベル賞のことを思いながら、この京都文化会議に出席しておりました。

 また、ウプサラの町では、川沿いの広場に店を出している茸売りと友だちになって、私の食べた日本の茸と比べて話がはずみましたが、茸を食べる文化は世界共通でありながら、その土地の人と一緒に食べないと、とても自分では判断できないローカルな文化であるということも考えました。もちろん創立が1477年という530年近い歴史を持つウプサラ大学のことも、100周年を祝ったばかりのこの京都大学と比べながら、この京都文化会議の3日間の議論を聴いておりました。

 第1日目の記念講演では、村上 和雄さんが遺伝子をONにする話や、稲の遺伝子の解読のことを話しました。インドから参加のアジス・ナンディさんは、宗教、暴力、民主主義の現代社会の中でのゆくえを論じました。

 第2日目の昨日、出掛ける前にNHK総合テレビを見ていたら、そこに古代米を育てる農家の熱意が登場して米の味を論じ、ニュースではニューデリーの爆弾テロ事件が報道され、またハイデラバードでの洪水に関連する被害の報道があり、大自然の現象では火星の大接近のニュースがありました。それらを見ながら、この会議の1日目の議論を聴いただけでも、テレビを見る眼を養われていることに気がついたのであります。

 第2日目午前の高校生フォーラムでは、高校生たちの企画「願えばかなう!」で、Yoshiさんをお招きして話を聞き、高校生からの質問にコメントをいただきました。頭で考えるだけでなくやってみることで、あるいは伝えるにはどうしたらいいかを真剣に工夫することで、生きていく方向を見いだしてきたことが、かつての自分にもあてはめて、あらためて思い起こされる場面でした。同時に小説を発表した数分後には反応が返って来るという携帯小説の世界にも触れることができました。2年か3年、何か一つ必死で頑張ったら食えるようになるというメッセージがよかったと思います。私もあと3年の総長の任期を必死で頑張ってみようと思いました。

 第2日目の午後のフォーラム1「こころのつながり-伝統と現代」では、私は科学技術の発展のなかでの伝統と文化のことを考えました。岡本 光平さんの書が持つ力、余白をとらえる力の話、邊留久オギュスト・ベルクさんの原風景と殺風景の話、ジュディ・オングさんの版画家翁 倩玉さんとしての、見た瞬間、これを作品にという木版画の話、それらからのまとめとして「うそでもいいから伝統を求めて、結果より過程が大切」というコーディネータとしてのシュテファン・カイザーさんの最後のコメントが印象に残る半日でした。

 第3日目の今日、まず昨日行われたワークショップの内容が金田 章裕さんから報告されました。この内容も後日くわしく報告書で見ることができると楽しみにしております。こころがどんな場をよりどころとして働くのか、感動を伝えるためにどんな知恵と技を発揮してきたかが論じられました。

 フォーラム2「こころが輝く-共感の場をもとめて-」では、応地 利明さん、河野 裕子さん、中西 重忠さん、吉村 芳之さんが、コーディネータ横山 俊夫さんとともに、ワークショップでの長い議論を背景にして話を展開しました。こころが輝くことのありようと、その輪が広がる仲立ちとなる場の工夫についてという設定でしたが、時間が足りなくて言い足りないままに終わったかもしれません。それは来年に続けていく原動力になることでしょう。

 昨日のフォーラム1の会場からの発言の中に、京都大学のキャンパスが京都の風景を破壊して作られているという意味の発言がありました。私は組織委員会副会長としてではなく、京都大学の総長として、このきびしいご意見にたいへん感銘を受けるとともに真摯に受け止めました。

 京都には活断層運動により自然に形成された盆地の地形があり、その原風景があったのですが、豊かな盆地には人が集まり都市が形成されるという原理があります。その結果、自然と人の営みとの共存の成果が知恵としてさまざまな形で蓄積されます。それが京都の文化であります。

 かつて、東山には自然の地形を削って多数の神社仏閣が建設され、それらが京都の都の知の殿堂として機能し、人々のこころのよりどころともなって、今では世界の文化遺産となっていますが、一方では、方丈記にも描かれているように、都ができた頃には遷都そのものが人々には災害でもあったのであります。京都大学の桂キャンパスのできた西山の竹林も、切り崩した斜面の崩壊を防ぐために人が植えたものであり、今ではその人工林も自然の美しさと言われるように京都盆地の原風景になっています。しかし、人工林は手を入れないで放置すると災害を起こします。やがて桂のキャンパスも100年後には西山に存在する緑豊かな京都の知の殿堂の一つとして、京都の文化を発信する拠点の一つとして、自然の風景に融合することが、京都大学の役割の一つであろうと考えながら、私はこの会場からのご意見を拝聴したのです。

 京都は世界遺産の町であり、現代の先端産業の町であり、市民が誇る文化の町であります。市民の日々の営みの中に育まれたこの京都の文化は、もっともローカルなものでありますが、それを窮め尽くすことによって、最もグローバルなものとして、世界の人々の精神のよりどころとなる、京都の文化とはそのようなものであると私は思っています。そのローカルな京都の文化を世界に発信する知の拠点としての大学の役割があると思うのであります。

 いずれにせよ、3回にわたって開催された、この京都文化会議の成果として、参加した一人ひとりが、こころのことを考えるのですが、やはり組織委員会のメンバーの一人としては、この一連の稔り豊かな会議から、何か具体的な形となって次の成果を重ねていくしくみを作りたいと考えています。私見として申しあげますが、その一つは京都の文化としての京都賞の歴史を守り育てることだと思います。具体的には京都賞に関連する資料館か博物館ができるといいなと思っています。その次には、"kokoro"を世界の言葉に、tsunamiやmottainaiと同じように、世界に通用する言葉として広めたいと思います。そのためには、きびしい時期になかなか大変だとは思いますが、皆さまのご支援をいただきながら、こころの未来を永続的に研究する新しいしくみを持ちたいと思っています。このような夢を語りながら、この京都文化会議2005が、多くの貴重な知の蓄積を残して、成功裏に終了したことを確認し、閉会を宣言させていただきたく存じます。

 多数のご参加と熱心な議論を、ほんとうにありがとうございました。

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