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東南アジア研究所創立40周年記念式典 挨拶 (2005年10月28日)

尾池 和夫

 本日、京都大学東南アジア研究所が創立40周年を迎えられるにあたりまして、京都大学を代表して、一言ご挨拶を申し上げます。

 東南アジア研究所は、今、田中所長のお話にもございましたように、その前身は東南アジア研究センターです。その研究センターが京都大学に正式に設置されたのは、1965年のことでありました。そのときから数えて今年で40年というわけですが、設立に至るまでには数年に及ぶ前史がありました。京都大学の伝統であった中国学やインド古典研究に並ぶような世界的水準の東南アジア学を確立しようと、当時の京都大学人文科学研究所長であった岩村 忍教授らが力を尽くされていました。そうした動きは、創立に先立つ1958年に始まったとうかがっています。そして、戦前から続くアジアに関する研究機関が、京都大学人文科学研究所や東京大学東洋文化研究所しかなかった当時、京都大学の学内教官有志によって東南アジア研究会が発足しました。1959年のことであります。このような研究会の活動や、さらに全学の関連部局の代表からなる東南アジア研究センター設立準備委員会での検討を経て、1963年1月に学内措置として東南アジア研究センターが設置されました。初代の所長は、当時農学部長であった奥田 東教授でした。

 新しい研究センターの設置に当たって、当時の平澤 興総長は、欧米に比べて遅れていた東南アジア研究の必要性を強調し、人文・社会科学分野だけでなく、自然科学分野も含めた東南アジア地域の総合研究の推進を新しいセンターの任務として指摘され、そのために東南アジア諸国民に対する深い愛情と理解をもって研究に臨むよううったえられました。そして、内外の大学・研究者との連携、さらに書物に頼るというよりも諸国民と生活を共にしつつ野外調査の手法によって東南アジアの現状に迫ることの必要性を強調されました。このような研究姿勢は、1963年の発足当初からバンコクに連絡事務所を、さらに1970年からはジャカルタにも連絡事務所を設置するというかたちで実質化されていきました。

東南アジア研究所 田中所長

 東南アジア研究センターは、京都大学がもつ海外調査の伝統のなかから生まれたといっても言い過ぎではありません。戦前の今西 錦司博士らによる大興安嶺や蒙古高原の探検調査、東洋学者らの中国現地調査、戦後のカラコルム・ヒンズークシ学術調査など、京都大学は伝統的にアジアの学術調査研究に強い関心をもってきました。フィールドでの自他の交感から研究を掘り起こそうとするこのような学風が、東南アジア研究センター設立に向けて、全学が一丸となって取り組んだ背景となっていました。1965年に東南アジア研究センターが全国最初の研究センターとして官制化されたとき、官制化後の初代所長を務められた岩村 忍教授は、研究方針として、人文・社会・自然科学を含めた東南アジアの総合理解、未来展望を念頭においた現代研究、そして現地における調査研究、この3つの姿勢を明確に打ち出されました。この姿勢は、京都大学のこのような学風を十分に考慮したものであったことは言うまでもありません。

 同時に、岩村教授は、地域研究における新分野の開拓という方針もうたわれました。その発想の背景には、1950年代にアメリカの学界で流行した、分野の異なる専門家の共同になる地域研究の隆盛があったのでしょう。アメリカの「地域研究」は、内にむかっては、欧米の持つ地域情報ストックを新たな戦略のもとに編成しなおし、外にむかっては、近代化指標に沿って、地域開発戦略や経済発展モデルを発展途上国にあてはめようとする、あえて言えば「普遍原理」を押し付けようとする政策学的なにおいを発散していました。センター設立当時には、戦後アメリカのこのような政策学的な地域研究の動向と、現地調査によって現地理解を進めようとする京都大学の学風とが、2つの異質な要素として混在していました。しかし、設立後40年にわたる東南アジア研究センターの海外学術調査を通覧してみますと、研究者の律儀で真摯な実践が、当時のアメリカの「地域研究」とはおのずと異なる考えを生み出していったことがわかります。官制化のときに岩村教授が提唱されたとおり、東南アジア研究センターは、まさに欧米の東南アジア研究とはスタイルを異にする新たな地域研究を開拓してこられました。

 現在、東南アジア研究所が地域研究というとき、従来の近代化論や「普遍原理」に基づく地域理解ではなく、世界の諸地域がそれぞれ固有の個性をもつことを重視し、地域の多様性そのものを理解しようとする方向にむかっているとうかがっています。近年の世界諸地域におけるさまざまな紛争や課題の噴出を見るとき、「普遍原理」を無原則に適用できないことはすでに明らかになっています。そのような中、東南アジア研究所が、現在のグローバル化の進展のなかで、個々の地域ごとに形成された個性と特殊性の中から世界の規範となるべき新たな指針や価値を掘り起こそうとされているのは、たいへん意義深いことと思います。

画 : 山口 きよ子さん(くすのき絵画大賞 受賞作品)

 このような方向性を目指す以上、その研究が地域密着型の研究となるのは必然です。地域の人々の暮らしや考え方に根ざした研究、地域の人々の利益を考えた研究、さらに対象国の研究者との共同研究が重視されるのは当然であります。東南アジア研究センターでは、そのような方向に沿って、1970年代に入って、「海域世界の比較研究」「政治生態空間の研究」「東北タイのドーンデーン村研究」「バングラデシュ農村開発研究」「東南アジア大陸部山地の総合研究」など、数多くのフィールド調査が実施されてきました。そして、石井 米雄教授の「タイ国稲作社会論」、水野 浩一教授の「屋敷地共住集団論」、高谷 好一教授の「世界単位論」、立本 成文教授の「マレー世界の組織原理論」、坪内 良博教授の「小人口世界論」、海田 能宏教授の「風土の工学論」、吉原 久仁夫教授の「エルザッツ資本主義論」、土屋 健治教授の「ジャワ国家論」などなど、世界の学界に大きな反響を呼んだ理論が次々に生まれたのでした。このような方向性は、 2004年4月に東南アジア研究センターが東南アジア研究所として改組されてからも引き継がれており、近年の大きな政治・経済的な変動のなかで、東南アジアの社会や文化、あるいは生活や環境がどのように変容しているのか、そして、東南アジアがその域外も含めて政治・経済的な統合を今後どのように進めようとしているのか、など多くの現代的課題に挑戦しておられるとうかがっています。

 先ほどもふれましたが、 2004年4月の改組により、東南アジア研究所は地域研究情報ネットワーク部を含む5つの研究部門からなる京都大学の附置研究所として新たなスタートを切られました。そして、東南アジア研究センター当時からの蓄積を基礎に、東南アジア地域研究の先端を担っておられます。センター当時からのさまざまな研究活動、例えば、1993年に始まった文部省重点領域研究「総合的地域研究の手法確立」、1998年に始まった文部科学省特別推進研究(COE)「アジア・アフリカにおける地域編成(外部リンク)」、2002からの21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成(外部リンク)」、あるいは1986年にはじまり、現在も進行中の日本学術振興会の拠点大学方式による日本・タイ学術交流事業「東アジア地域システムの社会科学的研究」などの大型研究プロジェクトや科学研究費補助金等によるさまざまな研究活動を通じて、国内外の多数の研究者とのネットワークを形成されてきました。また、バンコク連絡事務所やジャカルタ連絡事務所を活用した東南アジア諸言語による図書・資料の収集・整備、季刊誌『東南アジア研究』や地域研究叢書などの出版などにも力を入れてこられてきました。このような活動を引き継いで、東南アジア研究所は、現在、名実ともに東南アジア研究の世界の中心のひとつとして認知され、学内でも外国人研究者がもっとも頻繁に訪問する部局の一つとなっています。

 研究活動に加えて、教育面でも東南アジア研究所は、本学に大きな貢献をなされました。1977年から毎年開催される「東南アジアセミナー」は、今年で29 回を数え、学内外の東南アジア研究を志す若手研究者や院生に開かれたセミナーとして毎年多くの受講生に講義・実習の機会を提供されています。また、学内においては、1981年の農学研究科熱帯農学専攻、あるいは1993年の人間・環境学研究科文化・地域環境学専攻における協力講座に始まり、1998年からは、大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の協力講座として地域研究教育にも力を注いでいただいています。また、今年度には、タイでの現地教育・研修というかたちで全学共通教育にもご協力いただくことになりました。

 激動する世界各地域の政治・経済・社会の大きな再編の動きのなかで、地域研究に対する内外の期待はこれまで以上に大きくなっています。文部科学省も、地域研究を今後の重要な学術分野として位置づけ、この推進を一層進める姿勢でおられるようにうかがっております。東南アジア研究所が、このような要請に応え、今後、一層の発展を遂げられますよう願ってやみません。

 最後になりますが、東南アジア研究所と私との「個人的な」関係について紹介させていただきたく思います。私は、地震学を専門としています。アジアの調査に強い京都大学の一員でありまして、1985年にはインドネシアにおいて火山や地震に関する調査も行ったことがあります。学内措置で東南アジア研究センターが設置された1963年といえば、私は大学を卒業して京都大学防災研究所に助手として勤め始めたころでした。当時、私が尊敬する地震学者の一人である西村 英一教授は、環太平洋地震帯の全域を研究対象としていかねばならないという壮大な研究計画をお持ちで、その一環として、私に東南アジア研究センターに入ってインドネシアに行き、そこの地震を研究するようにすすめられたのです。そして、私は、東南アジア研究センターに応募しようと研究計画も書きました。もしも、私が東南アジア研究センターに入っていたら、東南アジア研究所の学際的地域研究に地震学も組み込まれたに違いないとおもいます。どんな地域研究になったのか、考えるだけでも楽しいではありませんか。残念ながら、東南アジア研究センターの発足直前に西村教授はお亡くなりになり、私のインドネシア行きの話もそのままになってしまいました。しかし、そのときの名残が「東南アジア研究所」第3号に私たちの論文として掲載されております。

 私にとっては、このような思い出もある懐かしい東南アジア研究所の40周年を心からお祝い申し上げます。創立40周年本当におめでとうございます。どうもありがとうございました。

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