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新規採用職員研修 挨拶 (2005年9月5日)

尾池 和夫

 京都大学に新しく採用された14名の方々の職員研修にあたって、一言ご挨拶申し上げます。

幕末における白川道

 京都大学のキャンパスは、吉田キャンパス、宇治キャンパス、桂キャンパス、その他、全国そして世界の各地にあります。その広さの合計は、2005年度で4900万平方メートル、例えば1万4700平方メートルの甲子園球場の広さで割り算すると、甲子園球場の約3342倍という広さということができます。

 そのキャンパスの中にはさまざまの物があります。この吉田地区は昔、都から東山を越えて近江へ行く、志賀越道という荒神口から北東方向へ伸びている道に沿って広がるキャンパスです。その北東の端にある北部グラウンドの西北の角には、オリンピック・オークがあります。田島 直人選手がベルリンから持ち帰ったオークの苗を、京都大学の技術がみごとに育て上げたものです。

 もちろん、皆さんは自ら選んでこの大学を職場にしようと決意された方々ですから、京都大学という場所をいろいろの角度から見てこられたと思います。私自身も長い間、京都大学の中にいて、この大学を見てきましたが、いまだに奥が深く、見ても見ても見飽きることのない巨大な大学であると思います。

 大文字山から

 大学には実にさまざまな教職員がいて、実にさまざまな仕事をしています。皆さんはその高等教育を背負って立つ職員として志願し、高い倍率の中から選ばれた方々であります。職場で活躍するこれからの道を思い描いて、さまざまに夢を描いておられると思います。

 今から8年くらい前、私は理学研究科長の仕事につきました。その頃には、京都大学のことを話す時に、よく今日のような挨拶では、京都大学の役割は、「研究と教育」であると表現しました。先端の研究を強力に進めながら、教育を通じてその成果を学生に伝えていくのだけれども、教員が懸命に研究を進めていると、学生たちはその姿を見て自然に成長していくというように話しました。そのことは今でももちろん間違っていないと思います。ただ、教員と言わずに、最近では、先輩の姿を見て後輩たちが育っていくという言い方をする場合が多くなりました。

 京都大学副学長になっても、2001年頃から同じように言っていました。その後、国立大学の法人化が具体的になってきて、評価を意識するようになったということがあるのですが、京都大学の役割を言う時に、「教育と研究」というように順を変えて話すようになりました。大学で一番の中心は何と言っても学生であり、学生がいなければ大学は成立しないという、きわめて単純明快な原理に基づく言い方であります。

医療の現場

 その次ですが、今年あたりから、もう一つ加えて表現するようになりました。京都大学の役割は、「教育と研究と医療」です、という表現であります。国立大学法人京都大学が設置され、その法人が京都大学を設置するという形態に変わって、大学の財政を担当する部署は、それまでの経理部から財務部へと名称を変えました。支給された経費を使うという考え方で、その支出の経理をする部署から、自ら収入を得て、それを大学の運営に活かしていくという財務を扱うように変わったのです。それに従って、その大きな部分を占める大学病院の地域医療への貢献を常に運営の中で意識しなければならないと考えたわけです。

 大学病院の中では、患者さんたちが入院したり外来で診療を受けたりしています。そこでは医療に当たる医師や看護士や理学療法士など、さまざまな医療専門職、医療従事者がいます。また研修中の人も次の世代を担う学生もいます。学生の中には基礎医学を志す人も、健康科学をテーマにする学生も、医療専門職を志す人もいます。このように、ある一つの場所に焦点を当ててみても、京都大学の役割は総合的で幅広く展開されていくということがわかります。

 京都大学の医学に関する分野の長い歴史の積み重ねの上に、今の基礎医学での輝かしい研究成果があり、目覚ましい先端医療の成果があり、地域の健康と医療に貢献する活動があるのです。その歴史を簡単に振り返って見ても、例えば、野口英世に医学博士の学位を授与したのはこの京都大学医学部であり、残念ながら亡くなって間に合いませんでしたが、野口博士をノーベル賞候補として推薦したのも、京都大学の教授たちであったというように、声を大にして話せることがあります。また、1937年に京都帝国大学医学部を卒業された日野原 重明先生のたくさんの本が書店には平積みされてベストセラーになっています。

ユネスコから湯川夫人に送られたメダル

 これから学内で話題になることの一つに、湯川・朝永生誕100年の行事があります。2004年6月10日の第58回国連総会決議で、2005年は「国際物理年」とされています。2005年は、近代物理学の礎となったアルバート・アインシュタインによる重要な科学的発見の100周年にあたることを意識し、

1.国連教育科学文化機関(ユネスコ)が2005年を「国際物理年」と宣言したことを歓迎する。
2.ユネスコに対し、開発途上国を含めた世界中の物理学会およびその他団体と協力し、「国際物理年」を祝う活動を組織するよう促す。
3.2005年を「国際物理年」と宣言する。
と宣言しました。

 1905年は、アインシュタインの奇跡の年と呼ばれます。この年には、3月に光量子の論文、4月にブラウン運動の論文、5月にブラウン運動の2つ目の論文、6月に特殊相対論の論文、9月に、「物体の慣性はそのエネルギーに関係するか」が論文誌に掲載されています。そして、7月にチューリッヒ大学より博士の学位を取得しました。

 量子論はプランクが量子仮説を発表した1900年12月に始まるとされていますが、アインシュタインの研究によって、中心的テーマとなりました。量子力学は人間の直感によってはわからない理論でしょうが、数式で表現すればわかる理論です。量子力学を利用して、多くのハイテク技術が進みました。

 1922年11月、アインシュタインは日本に向かう船の上でノーベル物理学賞受賞の知らせを受けました。日本暦で大正十一年です。京都大学では時代の要求に応じて学生数が大きく伸びていた頃です。

 『タイム』誌は、20世紀を代表する人物としてアインシュタインを選び、20世紀は、アインシュタインの世紀であると言われることになりました。一方で、アインシュタインは「ラッセル・アインシュタイン宣言」でも知られています。その宣言の署名者は、11名です。その中に湯川 秀樹博士もいます。その11名の署名者のうち、生存する最後だった、ロートブラット博士が亡くなったというニュースを、先週淡路島で実施していた京都大学全学教育シンポジウムの会場で受け取り、世代の交代を思ったと、シンポジウムの閉会の辞で述べました。

 京都大学は、その基本理念の中には、もちろん、ラッセル・アインシュタイン宣言の精神である、世界人類の平和を願う気持ちもこの中に込められています。

 研修の様子

 皆さんは、この研修を通じて京都大学の職員としての基礎となる課題を学習され、それをもとに今までは一般的な話として意気込みを持っておられたことを、仕事して行こうという時の具体的な目標として描くことができるようになると思います。そして、京都大学の中のさまざまな分野に触れるたびに、その面白さを知って、その教育と研究と医療の仕事を支援することの意義の深さを知ることになると思います。もちろん仕事をする場所では、多くの障害もあるでしょうし、悩みも出てくることでしょうが、それらは皆さんの仕事の目標が明確に定まっていれば、かならず乗り越えられるものであり、また、それらの障害を乗り越えてこそ、仕事が本物になっていくということを、身をもって体験して行くことと思います。

 皆さんが、健康に十分気をつけて、京都大学の基本理念の精神を考えながら、大学の内外で、思い切りご活躍くださることを心から願って、職員研修での私の挨拶といたします。

 ありがとうございました。

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