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百周年時計台記念館及びベンチャービジネスラボラトリーに設置された免震装置の現地説明会 (2005年6月20日)

尾池 和夫

 京都帝国大学が設置されたのは、1897年です。政治にとらわれない自由な天地で、真理を探求し学問を研鑽する学府をつくり出そうという意図でした。
 その京都帝国大学で、地震学を必要であるとして、それを導入したのは、第3代総長の菊池 大麓でありました。1909年(明治42)年に、志田 順(とし)(1876~1936)が京都帝国大学理工科大学の物理学講座に着任し、1913(大正2)年に物理学第一講座担任教授となり、1918年には地球物理学講座担任となりました。理学部地球物理学科は1920年に独立の学科となりました。

 1902(明治35)年に地磁気国際同時観測が行われたとき、京都市の上賀茂に観測所が設置されて1年間使用され、その後そのまま放置されていましたが、京都へ着任した志田は、まずこの建物を修理して使うことにし、そこにドイツ製の水平振り子の傾斜計とウィーヘルト式地震計を東京帝国大学から借りて設置しました。今もある上賀茂地学観測所であります。
 志田は、地球潮汐の記録から地球表層の剛性率を求める研究を行い、地震のP波初動の地理的分布を調べた結果、P波初動に「押し波」と「引き波」があって4象限に分布することを発見し、また、1926年には「深発地震存在の提唱」と題して別府で講演しました。
 志田は、また関西の財界や行政の有力者を説いて寄附を集め、地球物理学講座を新設し、さらに別府に地球物理研究所を設立し、さらに1930(昭和5)年に、阿武山地震観測所を設立しました。
 いつも、京都大学は、創立期から島津製作所と産学連携を行い、戦後すぐに学生のベンチャー起業の草分けとして、堀場製作所があり、というように話していますが、寄附講座もこのように、実は20世紀の初頭から置いたという歴史が、京都大学にはあるのです。

 一方、この時計台は、建築学科の初代教授であった武田五一が設計し、1925(大正14)年に完成しました。武田五一は、他にも同志社女子大学の栄光館や京都市役所本庁舎などを設計しました。時計台の完成した年は、1923年の関東大震災からすぐの年であります。
 そして、1997年の京都大学創立100周年を記念して、多くの企業や個人、卒業生のご協力の賜物として改修工事が行われ、この京都大学百周年時計台記念館が誕生しました。

 また、1997年3月に竣工した、ベンチャービジネスラボラトリーのビルに設置されている免震装置は、国立大学の研究棟として最初の免震構造を採用したことで、建築学の面からも注目を集めています。ビルの内外に振動計を多数設置して、免震効果の研究を行っています。1995年の阪神・淡路大震災のとき、研究機関に多くの被害があったのですが、その状況は、日本学術会議の阪神・淡路大震災調査特別委員会によって報告されています。

 さて、花折断層は京都市の東部から滋賀県北西部にかけて、45キロほどの長さを持つ活断層です。地形学的、あるいは地質学的研究により、この断層は右横ずれの変位成分を持つことがわかっています。花折断層のトレンチ発掘調査のときの断面の実物が、京都大学総合博物館の入り口に展示されています。
 花折断層の北部は、1662(寛文2)年に活動して大地震を起こした可能性が高いのですが、断層の南部での最新活動時期は、博物館にある地層からの判断で、縄文時代後期(約3,500年前)以降と判明しております。京都大学の石田 志朗さんの研究では、京都市北白川上終町では、2500年前の腐植層を切る花折断層が、古墳時代後期~平安時代初期と推定される土層に覆われていたと報告されており、花折断層の活動履歴は南部と北部で異なる可能性が高いことが明らかになっています。

 京都大学では、理論科学の手法で、実験科学の手法で、また野外科学の手法で、地震の研究を進めます。単に保存したい歴史的建造物に免震装置を導入するだけでなく、近い将来の活断層性地震や、南海トラフの巨大地震のとき、大地がどのように動き、この時計台がどのように動くかを記録し、解析して、世界の財産にしていくのが、京都大学の地球科学や地震工学の分野の使命だと心得て、今日の見学会を有意義にすごしていただきたいと思います。
 たくさんの方々のご参加、ありがとうございました。また、この機会を準備してくださった、入倉理事をはじめ、ご関係の皆さまに深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。


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