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バンドンの夏の学校に出席して (2004年7月14日~18日)

尾池 和夫

2004年7月14日(水曜日)

バンドン工業大学
(右から3人目がクスマヤント学長)

 活地球圏(平成15年度COEプログラム(外部リンク))の夏の学校が、インドネシアのITB(InstitutTeknologi Bandung、バンドン工科大学)の協力を得て開催されることになり、7月17日に私も出席して講演することになっている。

 関西国際空港から出発するとき、JALのラウンジで電子メールの送受信などをするため、少し早めに行ったら、すでに名誉教授の加藤 進先生と西村 進先生が来ておられて、お互いを紹介した。滋賀県に住むお二人の進先生である。西村先生は地質学で、加藤先生は超高層物理学で、インドネシアには特に縁の深い研究者である。夏の学校でも豊富な経験を学生たちに伝えてくださるであろう。

 私も久しぶりに、たぶん15年ぶりくらいに、インドネシアに行くというので、いろいろ調べておきたかったが、とても時間がとれずに、新しい知識のないまま、飛行機に乗る時が来てしまった。JL713便の出発は14時30分である。

 日本列島が太平洋とフィリピン海に面していて、その背後に大陸と沿海を持っているのと同じく、インドネシアもインド洋に面していて、西の方では背後に大陸的な構造を持っている。東の方は複雑な構造である。いずれにしても、プレートが収束してくる東アジアの変動帯であって、火山が噴火し、大地震が起こり、津波があるという、大変よく似た島国である。そこで活地球圏のセミナーが、東アジアとオセアニアから50名の若い参加者を集めて行われるのである。

 バリ島のデンパサールの空港へ着いた。パリ祭の日にバリ島に来たことになる。空港は大規模になっていて、そこで45分ほど通過客として多くの店を冷やかして歩いた。銀行では1円が80ルピアだったので両替をした。再び、搭乗してジャカルタへ着いたのは日本時刻で23時55分、現地の時刻で21時55分である。ジャカルタ空港の銀行では1円が75ルピアだった。デンパサールからジャカルタまではほとんど西向いて飛ぶので、左の窓から南十字星がよく見えた。

 スカルノハッタ国際空港には、夏の学校の責任者である竹本 修三教授と東南アジア研究所ジャカルタ事務所の北村 由美さんとが出迎えてくれた。加藤先生と西村先生はバンドンまで別行動である。

7月15日(木曜日)

 東南アジア研究所(外部リンク)のジャカルタ事務所と日本大使館とを表敬訪問する。まずジャカルタ事務所である。住宅街の中にあり、葬式の花輪を売っている店の前にある。図書館学を専門とする北村さんの仕事場であり、大統領選挙に際して大量に出回っている候補者グッズのコレクションを見せていただいて面白かった。

 次に日本大使館を訪ねた。何重にもなった警戒線を通って大使の部屋に通された。特命全権大使の飯村 豊さん会って、東南アジア研究所ジャカルタ事務所のことをよろしくとお願いし、スンダ列島と日本列島がともに変動帯にあって大変似ているという構造の仕組みを話した。大使は、何かの講演のときに使えると言いながら、大変興味を示していた。

 陸路、プンチャック峠を越えてバンドンへ向かう。大渋滞の道をゆっくり地形を観察しながら、楽しい旅行をした。バンドンへはアジア・アフリカ地域研究研究科(外部リンク)の大学院生である村上 咲さんに同行していただいた。村上さんはインドネシアの国家形成と保健政策の変遷を研究テーマとして滞在している。

7月16日(金曜日)

夏の学校1

 8時からITB(バンドン工科大学)の学長、Kusmayanto Kadimanさんを表敬訪問した。京都大学理学研究科で学位を取ったSri Widiyantoroさんや、地球科学鉱物工学部長のEmmy Suparkaさんたちが、また京都大学からは竹本さん、余田さん、瀬戸口さん、Moriさん、津田さん、村上さんたちが参加した。クスマヤント学長には夏の学校の世話のお礼と両大学の交流の長い歴史を話した。学長は「クスと読んでくれ」というので、京都大学のロゴは「クス」だと説明して、両大学が学術交流協定を結ぶことを提案し、大賛成を得た。


夏の学校2

 その後、講義室で学生たちと話して、各国で「地震」のことをどのように呼ぶかということを中心に話をした。
午後は、今村さん、津田さんと生存圏研究所(外部リンク)の研究計画と共同研究の会議で、LIPI(Indonesian Institute of Sciences)とLAPAN(National Institute Aeronautics and Space)の研究者たちと話し合いをした。

7月17日(土曜日)

余田先生、ウィディヤントロ先生 入倉先生

 ITBの卒業式の日である。

 国際シンポジウムにたくさんの人たちが参加した。余田さん、私、クスマヤント学長の挨拶(卒業式のため代読)があり、京都大学の講義室と会場を結んで、会場のウィディヤントロ教授と京都大学の講義室の入倉副学長との間で意見交換が行われた。京都大学とITBとの間で学術交流を進めることも、Assistant director of PartnershipのDr.Edwan Kardena と入倉さんとの間で話された。

 私は、午後久しぶりに、バンドンから北へ向かって、レンバン断層を見学し、タンクバンプラウ火山の火口を観察した。静かではあるが火口は噴気に包まれていた。

タンクバンプラウ火山の火口

 夕刻のレセプションはITBの大きな会議室で開催された。私は短い挨拶で、フィールドワークの時には現地の歌を覚えるという話をして、実例にジャワ島の「ブンガワンソロ」を唱った。クスマヤント学長が大学の歴史を話した。スンダ音楽と舞踏を楽しみながら、ジュースと水とスンダ料理の夕食会が続いた。夏の学校の学生として参加した若者たちは50人、シンポジウム参加の学者たちも含めて、盛大な会であった。

7月18日(日曜日)

 列車でバンドンからジャカルタへ向かった。村上さんと葉子と私に、防災研究所教授のMoriさんも同行した。ジャカルタ事務所で小泉 都さんに会った。アジア・アフリカ地域研究研究科の大学院生で、東カリマンタンで狩猟採集民のプナン・ブナイルの植物利用および植物分類体系などの研究をしている。

 夜行のJL714便を待つ間に、ジャカルタ西北部の魚市場へ出かけた。MUARA KATANGという所である。魚を上手に選ぶためにジャカルタ事務所のお手伝いさんと運転手に付き合ってもらった。村上さんと運転手のジョンビとのインドネシア語の話題が楽しい。鯛など数尾と海老や烏賊を選び、レストランで椰子殻の炭で焼いてもらって、村上さん、小泉さん、Moriさん、お手伝いさんや運転手のジョンビさんも一緒に夕食をとった。港は洪水の後で道が水没していて大変だったが、魚はさすがに美味しかった

 夜中に「エメラルドの首飾り」と呼ばれるスンダ列島を出発して、夜が明けると「花綵列島(かさいれっとう)」と呼ばれる日本列島の上空にいる夜行便で、この報告をまとめながら帰国した。

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