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永年勤続表彰にあたって (2004年6月21日)

尾池 和夫

 勤続30年、および勤続20年の表彰を受けられた皆さま、まことにおめでとうございます。
 京都大学で、あるいはさまざまな職場で、それぞれ永年の仕事をしてこられた皆さまのご努力で、着実な成果がそれぞれの場所で上がってきたことと思います。大学は言うまでもなく教育と研究を行う場であり、日本の文化の基礎を支える場であります。そこでの教育と研究を支える仕事が順調に行われてはじめて、大学の役割が果たされるのです。皆さん方、一人ひとりの胸に、自分があの建物を作ったのだとか、自分の仕事であの研究が進んだとか、あの制度ができたとか、あの卒業生を送り出したとか、いろいろの思いがあることでしょう。

 皆さんが仕事を始められた年から、今年で30年、あるいは20年になるわけですが、その仕事を始めた1974年、あるいは1984年に社会では何があったか、自分には何があったかを思い出してみるのもいい記念になると思います。

 勤続30年の方が仕事を始めた1974年はどんな年だったのでしょうか。日本では、戦後初めて経済成長が大きくマイナスになった年でした。超能力ブームがありました。東南アジアでは反日運動が盛んに起こりました。インドが地下核実験を行って、6番目の核保有国になりました。カラオケファンには、森進一の「襟裳岬」でしょうか。
 日中国交回復という記念すべき出来事があって、その年、私は香港を経由して初めて北京に行きました。そして河北省で地震予報を出している現場を見学して、本当に驚きました。また、ノーベル平和賞とはどういう賞かということを考えさせられた年でもありました。
 この年に生まれた方たちが、京都大学では、すでに博士学位を取って、例えば研究者として世界で活躍していることになります。

 本日の勤続20年の方たちが仕事を始めたとき、1984年、日本ではグリコ・森永事件がありました。ガンジー首相が暗殺され、アフリカでは飢餓が深刻でした。「風の谷のナウシカ」が上映されました。歌では、チェッカーズが「涙のリクエスト」、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」、五木ひろしの「長良川艶歌」です。
 アップルのマッキントッシュが日本で発売されたのを記念とする人も京都大学には多いと思います。人工衛星によるテレビ放送が始まったのを記念とする方もいるでしょう。今日は台風が接近していますが、気象情報で、気圧の単位を1000ミリバールと言っていたのが、1000ヘクトパスカルに変わりました。私にとっては、岩石を破壊したときに電磁波が放射される現象を実験で捉えて、学会に発表した年でした。その後も多くの人たちによって地震の前兆現象としての電磁放射現象が研究されています。
 この時に生まれた人たちが、今、京都大学の学部にたくさん在学しているのです。

 いずれにしてもその頃、私は京都大学が法人化されるという未来の姿は予想しておりませんでした。皆さん方の多大のご協力で、ようやく諸規定を整備しながら、国立大学法人法に沿った変革を進めていますが、まだまだ制度上の不備があると思います。引き続きご努力をお願いします。それと同時に、法人化の趣旨を理解して、自ら仕事の目標を定めて、それに向かって自ら積極的に仕事を進めていく、そういう職員であって頂きたいと思います。

 また、今日のこの席に、本当はお招きしたい方たちが、京都大学には他にもおられることを忘れてはなりません。制度上は勤続と見なされていないのですが、実質的には20年以上、京都大学で仕事をして下さっている多くの職員がおられます。その方たちにも私は同じ気持ちで、皆さまとともに、長年のその努力に感謝したいと思っております。

 今後とも、皆さま方が、お元気で京都大学のために、いい仕事を続けて下さることを願って、私の挨拶といたします。
 ありがとうございました。

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