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第44回共同利用研究所長懇談会 挨拶 (2004年5月13日)

尾池 和夫

 1949年に湯川 秀樹先生がノーベル物理学賞を受賞されたとき建設を提唱され、そして、1952年に共同利用研究所である京都大学基礎物理学研究所(湯川記念館)ができました。これが全国共同利用の概念の誕生でありました。
 東京外国語大学では、人文科学・社会科学系初の共同利用研究所である「アジア・アフリカ言語文化研究所」があります。
 また、長崎大学熱帯医学研究所は、1942年に東亜風土病研究所として開設され、1989年に医学系として初の共同利用研究所になりました。
 その共同利用発祥の地である京都盆地のど真ん中に全国から集まって来られて、今日の第44回共同利用研究所長懇談会が開催されます。

 大学共同利用機関、大学付置全国共同利用研究所、研究センターは、個別の大学では困難な研究や新領域を開拓する研究を、全国の大学研究者コミュニティとともに行うものとされてきました。最近の懇談会の議題を拝見すると、毎年、共同利用研究所のあり方について、懇談会のありかたについて、法人化後のありかたについて、共同利用のありかたについて、というように続いており、みなさん方が、この重要な機能を守ろうとして、文部科学省ともども、悩みながら知恵を絞ってこられた状況がよくわかります。

 申すまでもなく、共同利用研究機関、研究所、センターの機能は、我が国が目標とする学術研究の高い水準を保ち、研究活動で最も重要である創造性を確保するのに不可欠であります。
 この重要な機能を維持し、発展させるために、今日の懇談会での議論が大変重要な機会となることと存じます。
 法人化にともない、何と言っても、財源措置のあり方が重要です。とくに運営費交付金が重要です。ほとんどの全国共同利用の施設では、目的に応じたプロジェクト研究の比重が大きく、職員の数など外形標準的経費だけでは、全国連携・共同利用が効果的に推進できないことから、全国共同研究を推進するための財政基盤が形成されていなければなりません。また、大型設備費や施設費補助金が適切に措置されていかなければなりません。
 京都大学では、このような危機意識を持ちながら、共同利用研究所の機能を最大限に発揮できる体制の維持をはかる所存であります。

 さらに大切なことは、今後の日本の研究と教育の発展であります。伝統を大切にして基礎研究を守ることは、文化国家として当然の責務ですが、一方では、新しい分野が効率よく立ち上がるためのシステムが必要であります。
 例えば、京都大学では、付置センターから付置研究所へ変わった東南アジア研究所を全国共同利用にしてほしいという要望を全国からいただいており、また、初めて京都大学独自の判断で設置した新しい生存圏研究所を、全国共同利用のみならず国際共同利用研究所として発展させたいと考えています。このような新たな芽を、どのような仕組みで取り上げて、国家予算の支援を得るかということも必要と思います。

 この懇談会で、法人化後の共同利用研究所の発展のために、文部科学省とともに、所長さんたちが、いい知恵を出してくださることを期待して、私の挨拶といたします。
 ありがとうございました。

(懇親会乾杯の発声)

 明後日15日は葵祭です。忙しい皆様にそれまではすすめられませんが、明日の朝でも時間があれば、近くを歩いてみてください。
 京都の舎密局の跡が、夷川通河原町東入る指物町にあります。河原町から東へ行くと、京都市立銅駝美術工芸高等学校があるのですが、それが舎密局のあった場所です。植村正直知事が1870(明治3)年に仮設置を決め、三年後には落成して、日本で初めての石鹸、ラムネ、ビールなどの製造を始めました。このように舎密局の仕事は、要するに工業化学でありました。
 木屋町二条下ルには、島津創業記念資料館があります。科学立国の理想に燃えて理化学器械製造の業を興した島津源蔵を偲び、創業の地に設立されています。日本の科学技術の黎明期に製造された理化学器械や医療用X線装置など、科学技術の源流がうかがえる数多くの資料が展示されています。このX線が世界で最初のノーベル賞でした。その実用化の歴史があってこそ、100年ほどして、田中 耕一さんのノーベル賞があるのだと、私は思っています。研究とはそのように息の長いものです。
 短期間の評価で、びくともしないような全国共同利用研究所であることを祈って、今後の発展を祈って、乾杯したいと思います。ご一緒に大きな声でお願いします。

 乾杯!

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