ほ乳類の胎盤の多様性に古代ウイルスが関与する -母子由来細胞を融合させる新たなタンパク質「Fematrin-1」の同定-

ほ乳類の胎盤の多様性に古代ウイルスが関与する -母子由来細胞を融合させる新たなタンパク質「Fematrin-1」の同定-

2013年7月18日

 宮沢孝幸 ウイルス研究所准教授、仲屋友喜 ウイルス研究所産学官連携研究員(現在は日本学術振興会特別研究員SPD)、橋爪一善 岩手大学教授、越勝男 岩手大学博士研究員(現在は東京都健康長寿医療センター研究所博士研究員)、中川草 日本学術振興会特別研究員PD(現在は東海大学助教)らの研究グループは、ウシやヒツジ、ヤギなどが属するウシ科動物の胎盤構造の多様性に、太古に感染したレトロウイルスである内在性レトロウイルスが関わっていることを、世界で初めて突き止めました。

 ヒトを含む真獣類(胎盤をもつほ乳類)は、発生時に胎児を育む胎盤をつくります。真獣類は、恐竜絶滅後に進化を遂げ多様化しましたが、体内の組織や器官の構造は基本的に類似しています。ところが胎盤の形態や構造は、動物ごとに大きく異なります。この胎盤の形態の違いが何によるものなのかは謎に包まれています。ウシ科動物は、ウシ亜科やヤギ亜科、インパラ亜科など全7亜科から構成されますが、すべて約100個の小さい胎盤節から構成される多胎盤を形成します。その形成過程において、胎子側の細胞と母体側の細胞が融合する現象がみられますが、その細胞融合像が各亜科により異なっています。研究グループは、ウシ内在性レトロウイルスK1(BERV-K1)のエンベロープタンパク質が、ウシ亜科動物において細胞融合の機能を担っていることを確認し、このタンパク質をFematrin-1と命名しました。BERV-K1は、ウシ亜科動物の祖先が出現した約2000万年前に、ウシ亜科動物のみに感染し、胎盤形成に関わるようになりました。ウシ亜科動物はレトロウイルスであるBERV-K1をゲノムに取り込み、胎盤で新たな機能をもたせることで、ウシ亜科に特異的な胎盤構造を獲得したと考えられました。

 本研究成果は、2013年7月17日付の米国ウイルス学専門誌「Journal of Virology」の電子版に掲載されました。

研究の背景

 胎盤は哺乳類の妊娠期に形成される器官で、妊娠中に胎児を子宮内で支えたり、母子間での栄養交換やガス交換を行ったりすることで、胎児の成長を助ける役割を担っています。想像しやすいのはヒトの円盤状の胎盤ですが、その解剖学的形態は動物の種類によって大きく異なっていて、ヒトやマウスは盤状胎盤、イヌやネコは帯状胎盤、ウシやヒツジは叢毛性多胎盤、ウマやブタは散在性胎盤を形成します。同じ解剖学的形態をもつ胎盤でも、その組織学的構造は動物の種類によって異なっています。本研究グループはウシやヒツジなどのウシ科動物の胎盤組織構造に着目し、研究を行いました。ウシ科動物の胎盤は胎児側胎盤と母体側胎盤に分けられ、胎児側胎盤には栄養膜単核細胞(MTC)と栄養膜二核細胞(BNC)という特徴的な細胞が存在しています。BNCは様々なホルモンを産生し、それらを母体へ輸送することで妊娠を維持する役割を果たしています。BNCは母体側胎盤の表面の細胞(子宮内膜細胞)と融合することで、母体へ侵食し、ホルモンの輸送を行います。この融合細胞の形態がウシ科動物の中でも動物種によって異なっており、ウシやスイギュウ、シタツンガなどが属するウシ亜科動物では、BNCと子宮内膜細胞が1対1で融合して三核細胞(TNC)を形成しますが、ヤギやヒツジなどが属するヤギ亜科動物では、複数のBNCが1つの子宮内膜細胞と融合して多核細胞(Syncytial plaque)を形成します。これまで20~30年間に渡り、母子間での細胞融合という特殊な現象を引き起こす原因や、ウシ科動物間での融合細胞形態の違いを生み出す原因は、究明が難しく大きな謎のままでした。

 ヒトやマウスの胎盤においては、胎児の栄養膜細胞同士が融合する現象が確認されてきました。その現象には、細胞融合能をもつSyncytinと呼ばれる分子が関わっていることが明らかになっています。Syncytinは内在性レトロウイルスのエンベロープタンパク質(Env)に由来する因子です。内在性レトロウイルスは、祖先の生殖細胞に感染した外来性レトロウイルスが遺伝によって子孫へ伝播し、宿主ゲノムの一部となったものです。本研究グループはこれまでに、ウシ胎盤で特異的に発現するウシ内在性レトロウイルスK1(BERV-K1)のエンベロープ遺伝子(env)を同定しています。

研究手法と成果

 BERV-K1 Envの細胞融合能の有無を確かめるために、BERV-K1 Env発現細胞とウシ子宮内膜細胞を試験管内で共培養したところ、高い細胞融合活性を確認できました(図1左)。次に、抗BERV-K1 Env抗体を用いて、ウシ胎盤における免疫組織化学染色を行ったところ、BERV-K1 EnvがBNC特異的に発現していることが明らかになりました(図1右)。


図1:BERV-K1 Envの細胞融合像(左)とBNCでの発現(右)

  さらに、ウシ科動物におけるBERV-K1の保有状況を調べたところ、ウシやバリギュウ、アジアスイギュウ、シタツンガなどのウシ亜科動物のみがBERV-K1を保有しており、近縁なヒツジやヤギなどのヤギ亜科動物にはBERV-K1が確認されませんでした。(図2)。このことは、BERV-K1がおよそ2000万年前にウシ亜科動物の祖先動物に感染したことを示唆しています。


図2:ウシ科動物におけるBERV-K1保有状況

 また、ウシ亜科動物のすべてのBERV-K1 Envの細胞融合能は純化選択によって保存されていたことから、BERV-K1 Envはこれらの胎盤において、TNC形成能を発揮していることが示されました(図3)。系統樹解析の結果、BERV-K1 Envはこれまでに同定されているSyncytinとは大きく異なるものでした。これらのことから、本研究グループはBERV-K1 Envを母子間細胞融合誘導因子1 (Fetomaternal trinucleate cells inducer 1、Fematrin-1)と命名しました。


図3:Fematrin-1によるTNC形成過程の模式図

波及効果

 本研究によって、長年に渡り解明されることがなかった、ウシ科動物における母子間融合細胞の形成機序を明らかにしました。本研究グループは、ウシ亜科以外のウシ科動物にもFematrin-1とは異なる内在性レトロウイルスのEnvが存在し、同様に細胞融合の役割を担っていますが、それぞれの性質が異なるため、細胞融合像に違いが生じているのではないかと考えています。近年、畜産業界ではウシの妊娠成功率低下が問題視されています。その原因や対処方法は未だに明らかになっていませんが、ウシの妊娠において中心的な役割を担うFematrin-1の発見が、原因究明や治療方法の確立の契機となると考えられます。

 今回の研究成果は、生物系特定産業技術研究支援センター イノベーション創出基礎的研究事業(技術シーズ開発型研究)の助成を受け、宮沢孝幸(2008~2010年度)、小林 剛(2011~2012年度)が実施し得られたものです。

書誌情報

[DOI] http://dx.doi.org/10.1128/JVI.01398-13

Yuki Nakaya, Katsuo Koshi, So Nakagawa, Kazuyoshi Hashizume, Takayuki Miyazawa.
Fematrin-1 is involved in fetomaternal cell-to-cell fusion in Bovinae placenta and contributed to diversity of ruminant placentation.

Journal of Virology, JVI.01398-13; published ahead of print 17 July 2013

 

  • 京都新聞(7月18日 31面)および日刊工業新聞(7月18日 19面)に掲載されました。