細胞膜たんぱく質が物質を細胞内へ運ぶ仕組みを分子レベルで解明 (神経疾患やがんの治療に役立つ可能性)

細胞膜たんぱく質が物質を細胞内へ運ぶ仕組みを分子レベルで解明 (神経疾患やがんの治療に役立つ可能性)

2010年4月23日

 JST課題解決型基礎研究の一環として、岩田想 医学研究科教授は、細胞膜に存在し、細胞内に物質を運ぶ役割をするたんぱく質の一種「ヒダントイン輸送体(Mhp1)」の構造解析に成功し、その結果を用いてコンピューターでシミュレーションすることによって、Mhp1が物質を細胞内へ運ぶ仕組みを分子レベルで解明しました。Mhp1はある種の細菌の細胞膜に存在しますが、人間の細胞膜にも神経伝達物質や糖の輸送を担う類似のたんぱく質が存在していることが分かっており、これらはMhp1と同様の輸送メカニズムを持つと推測されています。今回の成果は、輸送体の異常によって生じる病態(例えば神経疾患や一部のがん)の解明や、その診断・創薬・治療に役立つものと期待されます。

 生物を構成する細胞は、細胞膜で内と外に隔てられています。生命の維持のために必要なさまざまな物質は、細胞膜に存在する「輸送体」をはじめとする特定の機能を持ったたんぱく質によって細胞膜の外から中に運搬されています。膜に存在するたんぱく質は、水に溶けにくいため、X線結晶構造解析に必要な結晶を作成することが非常に難しく、構造の解析は十分に行われておりません。その中で、岩田教授は2008年にMhp1が細胞外から物質を受け取る状態の結晶構造と、膜の中で物質を運ぶ状態の結晶構造の2つの解析に成功しています。

 今回、さらに細胞内へ物質を運び終えた状態の結晶構造を解析することに成功しました。そして、この三つの結晶構造を詳細に分析するとともに、分子動力学計算を用いて、Mhp1は、細胞外から物質を受け取り細胞内へ運び終えるまで、どのように構造を変化するかを明らかにしました。

 本研究は、ERATO型研究「岩田ヒト膜受容体構造プロジェクト」の島村 達郎 研究員とアレクサンダー・キャメロン グループリーダーらが中心となって構造解析し、英国のインペリアル大学・オックスフォード大学・リーズ大学、理化学研究所と共同で行われました。

 本研究成果は、2010年4月23日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Science」に掲載されました。

  • 論文名
    "Molecular Basis of Alternating Access Membrane Transport by the Sodium-Hydantoin Transporter, Mhp1"
    (ナトリウム-ヒダントイン輸送体、Mhp1による交互アクセ ス膜輸送の分子基盤)

研究の背景と経緯

 細胞膜を介して物質の運搬を担うたんぱく質である「輸送体」は、エネルギーを必要とする能動輸送体と、エネルギーを必要としない受動輸送体に分けられます。能動輸送体には、一次性能動輸送体と呼ばれるもののほかに、ナトリウムイオンなどの濃度差のエネルギーを利用して別の物質を輸送する二次性能動輸送体があります。

 本研究で用いたMhp1は、ミクロバクテリウム(Microbacterium liquefaciens)という細菌の細胞膜に存在し、人間の神経伝達物質の輸送体や糖の輸送体などと似た構造であることが分かっています。Mhp1は二次性能動輸送体で、ナトリウムイオンの濃度差のエネルギーを利用して、アミノ酸の前駆体であるヒダントインという物質の取り込みを媒介すると考えられています。実際にどのようなメカニズムで物質の輸送を行っているのでしょうか。

 今から45年ほど前に、輸送体に共通な輸送メカニズムとして、「交互アクセスモデル」が提唱されました(図1)。物質(基質)とイオンは細胞外から「外向き構造」の輸送体に入り、所定の場所(基質結合部位)に運び込まれ、輸送体は「閉じた構造」となります。次いで細胞内に向かう出口のゲートが開いて「内向き構造」に変化し、細胞内へと運ばれます(図1)。

    

  1. 図1: 交互アクセスモデル

 このように推測される輸送メカニズムは、多くの生化学的研究の結果から支持されていますが、X線結晶構造をもとに分子レベルでのメカニズムを明らかにする必要があります。しかし、輸送体は疎水性に富んでいるため結晶化が難しく、構造解析があまり進んでいませんでした。特に、同一の輸送体について、物質の取り込みから細胞内への放出まで一連の動作の構造変化を調べることは、非常に困難です。岩田教授は結晶化方法、測定技術やデータ解析を工夫することで、2008年に、Mhp1が細胞外から物質を受け取る状態の結晶構造(外向き構造)と、物質を抱え込んだ状態の結晶構造(閉じた構造)の二つの解析に成功し、Mhp1とそれに類似した輸送体の結晶構造を比較するという方法で輸送のメカニズムを考察しました。

研究の内容

 本研究では、さらに細胞内へ物質を運び終えた状態のMhp1の結晶構造(内向き構造)を解析することに成功しました。これと先に解析した二つのMhp1との三つの結晶構造をもとに、たんぱく質の構造変化を検討し、「交互アクセスモデル」による輸送メカニズムを分子レベルで解明しました。

 Mhp1は、細胞膜を貫通する12本のヘリックスから構成されます(図2)。「閉じた構造」と「内向き構造」を比較すると、♯状の黄色で示したヘリックス群が、束状の赤色で示したヘリックス群を土台として、相対的に動いていることが大きく異なっていました。一方、それぞれのヘリックス群においては、それを構成するヘリックスの位置関係はほとんど変化がありません。ヘリックス5や10は、♯状と束状の二つのヘリックス群と連動して、それぞれ出口と入口のゲートを形成していました。

    

  1. 図2 Mhp1の立体構造
    (A)Mhp1の構造を膜に平行な方向から示したもの。
    (B)Mhp1の構造を膜の外側から示したもの。
    (C)Mhp1の膜貫通ヘリックスのトポロジーと、基質およびナトリウムイオンの結合部位を示した模式図。
    Mhp1の「内向き構造」を3.8Åの解像度で解析した。末端の5本のヘリックス(1~5)に対して、次の5本のヘリックス(6~10)がひっくり返って組み合わさる形を取っていた。一方、♯状のヘリックス1、2、6、7(図中、黄色で表示)と、束状のヘリックス3、4、8、9(図中、赤色で表示)の二つのへリックス群が存在した。(B)では、参考までに「閉じた構造」の基質やナトリウムが結合する位置を示したが、細胞内側(紙面方向)にヘリックス1、3、5、6、8に囲まれた大きな空洞が存在し、基質やナトリウムが結合できないような構造変化が起こっていた。

 最近の報告では、ヘリックス1や6の構造変化に基づいてMhp1における輸送メカニズムが説明されている例がありますが、本研究結果ではヘリックス1や6の変化は顕著ではなく、束状のヘリックス群と♯状のヘリックス群が、それぞれ一つの固まりとして相対的に動いていることが分かりました(図3)。このヘリックス群の動きによってたんぱく質の構造が変化し、出口のゲートを開いてナトリウムイオンとヒダントインを細胞内へ輸送します。
  Mhp1だけでなく他の輸送体においても、本研究で示した「交互アクセスモデル」の分子基盤を適応できると考えています。

    

  1. 図3 Mph1の輸送メカニズム
    模式的に示した「交互アクセスモデル」で、カラーで示した三つは前回と今回で明らかになった結晶構造、白黒で示したものは予想される中間状態である。束状へリックス群(へリックス1、2、6、7)を黄色で、♯状へリックス群(へリックス3、4、8、9)を赤色で、出口と入口のゲート(へリックス5、10)を青色で示した。基質とイオンが「外向き構造」の輸送体に入ると、入口のゲートが閉じて「閉じた構造」をとる。束状へリックス群を土台に♯状へリックス群が動いて大きく構造が変化し、白黒で示した中間状態となり、次いで出口のゲートが開いた「内向き構造」になって、基質とイオンを細胞内へ放出する。

今後の展開

 近年の輸送体のX線結晶構造解析の結果は、輸送機構の分子メカニズムの解明に画期的な進歩をもたらしました。本研究では、Mhp1の三つの状態の構造の解析などを通じて、詳細な輸送体の分子メカニズムを解明しましたが、この知見をもとにその他の多くの輸送体の構造解析を実施し、輸送体が関わる生理機能や役割、またその異常による病態の解明に寄与するものと期待されます。

本研究への支援

本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。

戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究
研究プロジェクト:「岩田ヒト膜受容体構造プロジェクト」
研究総括:岩田 想(京都大学 大学院医学研究科 教授)
研究期間:平成17~22年度
JSTはこのプロジェクトで、医薬の主要なターゲットでありながら構造解析の非常に困難なヒト膜たんぱく質、特に膜受容体のように極めて疎水的な膜たんぱく質の構造解析のための普遍的な技術の確立を目指しています。

用語解説

X線結晶構造解析

目標とするたんぱく質の結晶にX線を照射することで得られる回折図形を解析して、結晶内部で原子がどのように配列しているかを決定する手法。正確な構造を求めるためには、良質の結晶を得ることが重要である。

分子動力学計算

分子の性質を見積もったり、分子の挙動をシュミレーションすることで化学的問題を取り扱ったりする計算手法の一つ。

神経伝達物質

神経伝達においてシナプスでシグナル伝達に介在する物質。

へリックス

らせん構造をとったペプチド鎖。

 

  • 朝日新聞(6月8日 28面)、京都新聞(4月23日 29面)、産経新聞(4月23日 24面)および日刊工業新聞(4月23日 22面)に掲載されました。