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ニュースリリース


岡村教授の研究グループが研究報告書 『雲岡石窟』遺物篇を刊行

2006年4月11日

 

 

  岡村 秀典教授(京都大学人文科学研究所)の研究グループは、京都大学人文科学研究所の前身である東方文化研究所が、1938〜1944年の7か年にわたって中国山西省大同市の雲岡石窟とその周辺で収集し、未発表のままであった遺物について、このたび『雲岡石窟』遺物篇(京都大学人文科学研究所研究報告)として研究報告書にまとめました。


研究報告書の概要
  1938〜1944年に中国山西省大同市の雲岡石窟とその周辺で収集し、未発表のままであった遺物の研究報告書、『雲岡石窟』遺物篇を刊行

1このたび岡村秀典編『雲岡石窟』遺物篇(京都大学人文科学研究所研究報告、朋
友書店、2006年2月、税込8,400円)を出版した。

 2本書は京都大学人文科学研究所の前身である東方文化研究所が、1938〜1944年の7か年にわたって中国山西省大同市の雲岡石窟とその周辺で収集し、未発表のままであった遺物の研究報告である。遺物は現在、京都大学人文科学研究所に保管する。雲岡石窟が繁栄した北魏・遼金時代の瓦・土器・陶磁器が主で、石窟以前の新石器時代や秦漢時代の遺物も含まれている。調査より60年あまりたち、それらはようやく日の目を見ることになった。調査者の水野清一・長廣敏雄両先生はすでに鬼籍に入られている。

3遺物の整理は2002年より岡村を代表とする日本学術振興会・科学研究費補助金によって実施した。

4もとの調査報告書は水野清一・長廣敏雄『雲岡石窟』全16巻32冊(1951-56年、
京都大学人文科学研究所研究報告)として刊行された。本書はそれを補完するものである。

5雲岡石窟は龍門と敦煌に並ぶ中国三大石窟の1つであり、2001年にユネスコの世界遺産に登録された。中国で最初に造られた巨大石窟寺院であり、仏教の定着を示すものとして教科書には必ず登場する。

6本書の新しい知見。

  1. 雲岡石窟の造営は曇曜の発議によって460年にはじまり、北魏が平城から洛陽に遷都する494年のころには主要な石窟の造営が終了していた。その間を3期に分け、石窟寺院の変遷を明らかにした。
  2. 北魏時代、石窟の前面に木造瓦葺きの仏殿が建てられていたが、出土瓦の分析と碑文や文献との照合により、造営年代をめぐって論争がおこなわれている石窟第9・第10洞は480年代後半につくられたことを明らかにした。
  3. 北魏時代、石窟の台上には木造瓦葺きの僧院が建てられていたが、石窟第3洞の上に建設された東部台上寺院址は、470年ごろ、雲岡石窟を開鑿した曇曜がインド僧といっしょに仏典を翻訳した僧院であることを明らかにした。雲岡石窟の景観を明らかにした意義は大きい。
  4. 雲岡石窟と同じ時期の481年から484年にかけて、文明皇太后と孝文帝の陵墓が方山に造営された。同時代の文献によると、そこには寺廟が建てられ、文様のある青石で飾られていたという。その石彫や泥で作った仏像(塑像)の破片が発見され、雲岡石窟の編年に大きく寄与することになった。
  5. 出土瓦を金代の碑文と照合させることにより、北魏から遼・金代にいたる雲岡石窟寺の歴史的変遷を明らかにした。とくに遼・金代には石窟前の仏殿が大規模に改築され、雲岡十寺が甍を連ねていた。今回、「通楽館置」の墨書をもつ白磁を発見し、雲岡十寺のうち「通楽寺」が雲岡石窟最大の大仏のある第20洞前にあったことを明らかにした。「通楽寺」とは、雲岡石窟を開鑿した曇曜の住んだ寺院の名にちなんでいる。



 京都新聞(4月12日 1面及び28面)、産経新聞(4月12日 24面)及び日本経済新聞(4月12日 43面)に掲載されました。



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