‘食’にかかわる量と質

廣瀬 正明

「トンカツを食べてよく寝るとフトル」。これはトンカツを中傷しているのではない。筆者の少年時代,京都の市電でいつも見かけた,トンカツ店の広告コピーである。大丸の向かいにあるこの店は,今も繁盛している。飽食となった日本も,高度経済成長以前には,肥満をリッチの象徴として憧れていたことをこのコピーは示している。人口に対する食糧の量的供給がぎりぎりの時代にあっては,収入と体重は正の相関を示すのであろう。このような状況は戦後の特殊事情によるのではなく,日本の歴史では程度の差はあっても普通の状態であったろうことは,庶民の生活がリアルに描かれた絵巻物を見れば容易に想像がつく。例えば,平安時代の『粉河寺縁起』では,長者の夫婦とその娘は下ぶくれの太めの顔であるのに対し,従者らは全て頬の落ちた痩顔で描かれ,明確に区別されている。さらに極端なのが,鎌倉時代の『病草紙』の中の「肥満の女」で,高利貸でもうけた女が過食で肥満となり,侍女の助けでかろうじて立っている。後方には,路上に座り込んだ痩せた女が乳児に乳を与えている様子が対比して描かれている。

これに対し現代の日本は,食バブルとも呼べる観を呈している。男性で大体7人に1人,女性で5人に1人が肥満状態にあるという。「ダイエット」が日常会話に定着し,ファッションにすらなっている。食が量的に充足された状況下では,食の軽視,過激なダイエット,極端な利便性の追及といった困った現象もあるが,健康食ブームにみられるように,質的な面で食に対する関心が高まっているのは悪いことではない。テレビでは毎日のように健康食品関連の番組が放送され人気を博している。このような中,栄養・食糧科学の研究動向をみても,食の質的な面を追求する研究が近年大変活発で,優れた成果をあげている。しかし,グローバルな視点にたてば,飢餓が日常化している地域が少なくなく,人口増による食糧不足も懸念される。また,日本の恵まれた現状が来世紀も続くという保証はない。従来の農薬・肥料の高度散布による食糧増産のやり方には,生態系・環境との調和の面から限界がある。基本的栄養素をいかに量的に確保するか,豊かな国に住む研究者にとっても,重要な研究課題であることに変わりはない。

(ひろせ まさあき 食糧科学研究所教授)

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