写真1は京大の本部構内にかつてあった法科大学の庭園である(1910年代)。この庭園が,やがて建てられた法経の「赤レンガ」の中庭に継承されることになる。今では京大でも数少なくなった中庭の光景だが,歴史的に見ると戦前の帝国大学にはよく見られたものであり,京大もその例外ではなかった。
戦前の高等教育機関の建物配置にはいくつかの型があるという(以下の記述は宮本雅明『日本の大学キャンパス成立史』九州大学出版会,1989年,を参考にした)。代表的なものは並列型と呼ばれるプランである。これは細長い建物を数棟平行に配置したもので,それぞれの建物を廊下で結んでいることが多い。この型ならば,すべての教室を南面させることが可能であり,したがって,当時学校建築上議論になっていた日照条件を主とした衛生上の観点から見ても適切なものといえた。図1の第四高等学校はその代表であり,京大の正面に位置していた第三高等学校(図2)も並列型であった。この型は,敷地面積が比較的小さくてすむ合理性をもち,特に大正期に限られた予算内で地方に急速に増設される旧制高等学校や専門学校はほとんどが並列型をとり,建築そのものも木造で装飾性を排して画一化していくことになる。



他方,もうひとつ中庭型と呼ばれるプランもある。これは建築物がロの字や日の字あるいはコの字の形をとり,その中央に静的空間である(つまり通路等を主たる役割とはしない)中庭を配するものである。この型は,並列型とは逆に衛生面や合理性の点からは必ずしも適切ではないが,建物を四囲から観察することができ,その量感や装飾性を強調することが可能である。中庭型は,ある程度敷地や予算に余裕がなければ不可能であり,そのためか主に帝国大学で見られる型である。
京大においても,本格的に本部構内の整備が始まった大正期あたりから戦後の1960年前後にかけて,重厚な煉瓦造りやコンクリート造りの中庭型の建築が目立ちはじめる。特に構内中央には,西から文学部陳列館(一部現存),法経赤レンガ(現存せず),文学部本館(一部現存),文学部東館(現存)と中庭を擁する建築が建ち並んだ(図3は1965年の本部構内の建物配置図)。これらの中庭は整備されて木立ちや小噴水などが置かれ,学生たちの憩いの場となったり,教室や学会の懇親会なども開かれるなど,閉鎖的ではあるが文字通り「遊び」のスペースとして大学生活の重要な要素となっていた(写真2は1957年の文学部本館中庭における懇親会の様子)。確かに中庭型の建築は,帝国大学の権威性を感じさせる一面も持つが,一方では学術研究に不可欠な「余裕」ももたらしたのではないか,という気もする。大学のような研究教育機関における空間の重要性は,形としては表れにくいが,歴史的にしっかりと考えてみる必要がありそうである。
写真1
写真2
(百年史編集史料室)
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