縄 田 栄 治
1995年4月半ばから翌年1月半ばまでの約9ケ月,文部省在外研究員としてタイの首都バンコクに滞在した。調査等のため,タイにはほぼ毎年来ており,長期滞在も今回で3度目になる。ただ,前2回がバンコクの西方約80・に位置するカセサート大学カムペンセンキャンパス内に滞在したのに対し,今回は子供の学校の都合でバンコクに住むことにした。外国人や富裕なタイ人の住む大きなマンションや邸宅とスラムが同居するスクムヴィット地区にアパートを借り,バンコク北方約100〜120kmに位置する調査地と,バンコク市内の北の方にあるカセサート大学に通った。
もうすっかり有名になったが,バンコクは慢性的交通渋滞にある。12年前初めてタイに滞在した時も,バンコクに来るたびに渋滞に辟易していたが,現在は当時の比ではない。子供の通っていた日本人学校は8時半始業であったが,非渋滞時には10分とかからない位置に住んでいるにもかかわらず,毎朝スクールバスが迎えに来る時間は7時10分である。この時間は遅い方で,子供の同級生の殆どは6時台に迎えが来る。有名私立学校に通うタイの子供たちには5時台に家を出るという例もめずらしくないから,日本人学校に通う子供たちが特別なわけではない。私自身も,調査地や大学から帰宅する際,まず考えるのは「今日は何時ぐらいに帰り着くかな」ということだった。
バンコクの交通渋滞は,タイ経済が誰も想像できなかった程のすさまじい勢いで発展した結果,これまたすさまじい勢いで増加した車にインフラ整備が追いつかなかった必然の結果であろう。しかし,夏期休暇や雨季休暇等の学休期間には目に見えて交通渋滞が緩和することから,特に有名公立・私立学校への子供の送り迎えが交通渋滞に拍車をかけているのは間違いない。にもかかわらず,こういった学校がスクールバスによる通学を打ち出すとまず親の賛同を得ることが容易でない。また,近隣の東南アジア諸国で実施されている,ラッシュ時には車に3人以上乗ることを義務づけるといった類の法律の制定もたびたび議論になるにもかかわらず実現しない。このあたり,タイの人,というよりバンコクの人の気質が表れているような気がする。
交通渋滞がひどく,またディーゼル車が多いため,当然ながら空気が悪い。渋滞を少しでも緩和すべく道路際に立つ交通警官の7割は肺に障害を持つという。長期間地方での調査を終えてバンコクに帰ってくると,今更のようにバンコクの空気の悪さに驚く。町は,そぞろ歩きをして楽しい町ではない。
バンコクの生活環境は,交通渋滞・大気汚染に加え,雨季の終わりの洪水によりさらに悪化する。私はどういうわけか洪水と縁があり,最初に長期滞在した1983年も何十年ぶりかの大洪水の年だったし,今回も大洪水の年だった。1983年には,用事でバンコク市内に出てくると立体交差の下の道路が川のようになっていて目を丸くした覚えがある。また,道路が封鎖されて市内に入れないこともあった。日本人学校を含めて殆どの学校が1〜2ケ月の休校を余儀なくされた。新聞等の報道によると,今回はそれに匹敵,あるいはそれを凌駕する大洪水ということだった。しかし,この12年間に洪水からバンコク市内を守る技術は進んだようで,前回のようにスクムヴィット地区の道路が水につかるということはなく,日本人学校も休校になることはなかった。しかし,地区によっては水につかった所も多く,特にバンコク周辺部で中心部を守るために臨時に設けた防壁の外の居住者達は悲惨だったようである。
以上のように,バンコクの都市環境はとても優れたものとはいえない。にもかかわらず,この町には不思議な魅力があるようだ。今や海外旅行に行く人の必需品といってもいいぐらい有名になった「地球の歩き方」のタイ編には,「タイ国内をいろいろと見てまわろうと思っている人はバンコクに4日以上いてはいけない。この町の魔力にとらわれてしまって出て行けなくなってしまう。」とある。私も同感である。事実,私の後輩でヨーロッパへ行く途中,トランジットでバンコクに降り立ち,そのままヨーロッパ行きをやめて1年滞在した者がいる。バンコクには,いわく言い難い大都会の魅惑が満ちているのはもちろん,古い時代から今に至るまで外界から入ってきたいろいろなものが,タイ的なものと融和してできた独特の雰囲気がある。光り輝く王宮,点在する古刹,種々の熱帯樹木・果樹,雑多な人で満ちた市場,世界に冠たるタイ料理,そして何よりも活気にあふれる人々,町並み。バンコクの魅惑は,少々の都市環境の悪化に負けていない。
(なわた えいじ 農学部助教授)
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