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| 資料室・遺構コーナー − 縄文・弥生時代の遺構 | ||||||
| 縄文時代 | ||||||
| 中期の竪穴住居 | 配石墓 | 配石をともなう甕棺 | 低湿地に残る埋没林 | トチの実の貯蔵穴 | 人骨 | |
| 弥生時代 | ||||||
| 水田跡1 | 水田跡2 | 土石流 | V字溝 | |||
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| 縄文時代中期の竪穴住居 | |
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時代細分 |
縄文時代中期 |
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| 調査地点 | |
北部構内 BF33区 |
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| 解説 | |
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方形の石組炉を中心に隅丸方形状の溝がめぐる中期末の竪穴住居跡。 炉が中央に存在していたとすれば、一辺約5mとなる。炉と考えられる土坑からは、焼土とともに炉を構築した石が出土した。 溝に囲まれた区画には9個の土坑が検出されており、そのうちのいくつかは柱穴に相当すると思われる。 30mほど西の地点でも、同時期の竪穴住居跡がみつかっている。 (京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和57年度) |
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| 縄文時代の配石墓 | |
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時代細分 |
縄文時代後期 |
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| 調査地点 | |
北部構内 植物園遺跡 |
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| 解説 | |
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後期前葉の縄文土器を包含する土層の下面でみつかった8基の配石墓。 人頭大の自然石20〜30個を円形ないし楕円形に密集させるものと、10数個の自然石を不定形に敷きつめたものとに大別される。 甕を埋納したものや土壙を有するもののほか、骨片が検出されたものも存在し、移築をして復原保存をおこなった。 (京都大学理学部ノートバイオトロン実験装置室新営工事に伴う埋蔵文化財発掘調査の概要) |
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| 配石をともなう甕棺 | |
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時代細分 |
縄文時代後期 |
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| 調査地点 | |
北部構内 植物園遺跡 |
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| 解説 | |
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後期前葉の無文深鉢を用いた甕棺墓。 頸部までを埋めて口縁部を露出させていたものを4基、地上に置かれていたと考えられるものを2基確認し、骨片を残すものも存在する。 上記の配石墓と近接しているが、構築の仕方は明らかに異なっており、 出土状況や配石墓にともなう甕との型式学的比較から、甕棺墓の方が配石墓よりも若干早く構築されたことがわかる。 (京都大学理学部ノートバイオトロン実験装置室新営工事に伴う埋蔵文化財発掘調査の概要) |
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| 低湿地に残る埋没林 | |
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時代細分 |
縄文時代晩期 |
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| 調査地点 | |
北部構内 BF31区 |
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| 解説 | |
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縄文時代晩期の低湿地に残った埋没林。樹種の分析によって、湿地に強いトチノキ・ムクノキ・カエデ属のなかに、 常緑広葉樹のアカガシ亜属や針葉樹のカヤが相当量混交していた様子が明らかとなった。 周辺では、ヒトなどの動物の足跡が無数にみつかっており、当時の生活環境を自然科学的分析を通じて検討した事例である。 (京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和59年度) |
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| トチの実の貯蔵穴 | |
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時代細分 |
縄文時代晩期 |
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| 調査地点 | |
北部構内 BF30区 |
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| 解説 | |
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自然流路の斜面上に設けられた縄文時代晩期中葉の貯蔵穴。 平面形は斜面の方向に約60p、それと直交する方向に約45pの楕円形を呈しており、深さは約25pをはかる。 西日本で多数発見されている低湿地型貯蔵穴とみることができ、外果皮を取り外した約2000個のトチノキの種子が良好に保存されていた。 (京都大学構内遺跡調査研究年報 1994年度) |
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| 人骨 | |
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時代細分 |
縄文時代晩期 |
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| 調査地点 | |
和歌山県瀬戸遺跡(瀬戸臨海実験所構内) |
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| 解説 | |
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縄文時代晩期後葉の人骨。壮年(20〜40才)の女性の人骨で、抜歯を認めることができる。 頭を北に、顔面を西に向け、体右側面を下にした横臥屈葬の姿勢をとって土壙内に納められていた。 土壙からは、人骨のほかに塊石1個、子安貝1個がみつかっており、南紀における当時の習俗を知るうえで貴重な資料である。 (京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和52年度) |
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| 弥生時代の水田跡1 | |
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時代細分 |
弥生時代前期 |
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| 調査地点 | |
吉田南構内 AO22区 |
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| 解説 | |
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弥生時代前期の水田遺構。田面に著しい凹凸をもち、南北方向の畦畔で10u以下の規模からなる北半水田と、 水田面が平坦であり、ひとまわり大きめの東西方向の南半水田にわけることができる。 小規模の後背湿地上に立地しており、完成度の高い小区画水田造成技術のありようを、具体的に知ることのできる資料である。 (京都大学構内遺跡調査研究年報 1995年度) |
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| 弥生時代の水田跡2 | |
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時代細分 |
弥生時代前期 |
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| 調査地点 | |
北部構内 BC28区 |
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| 解説 | |
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弥生時代前期の水田遺構。水田域は、ゆるやかに高まる空閑地をはさんで東西の2つにわかれ、 平坦地を広面積に確保できない条件での土地利用をうかがうことができる。 細長い小規模の区画を整然とならべて造成されており、プラント・オパールが少量しか検出されなかったことから、短期間で放棄されたものと考えられる。 (京都大学構内遺跡調査研究年報 2000年度) |
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| 弥生時代の土石流 | |
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時代細分 |
弥生時代前期末 |
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| 調査地点 | |
北部構内 BD30区 |
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| 解説 | |
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弥生時代前期末に、比叡山南半の花崗岩地域からもたらされた土石流の痕跡。 土石流堆積物である黄色砂層は、北部構内を中心に吉田キャンパスの多くの地点で確認されており、厚いところでは2mを越え、 堆積土砂量の総計は70万m3におよぶと算出されている。黄色砂には2mを越えるような巨礫も含まれており、規模の大きさを知ることができる。 (京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和56年度) |
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| 弥生時代中期のV字溝 | |
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時代細分 |
弥生時代中期 |
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| 調査地点 | |
京都府美月遺跡(京大大学院農学研究科附属牧場内) |
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| 解説 | |
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上面の幅約2.5m深さ1m程度をはかる断面V字形の溝で、溝底はさらに方形に掘込まれている。 南端が流路に連なり、北へ向かって溝底は下がっていくことから、取水路の機能を果たしていたと想定されるが、 弥生集落を囲む環濠を彷彿とさせる堅固な溝である。 (京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和56年度) |
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