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特集 巻頭対談

2023年11月1日(水) 瀬戸臨海実験所

巻頭対談

自然に触れて、生きものに学んで得られる感動と現場主義の学問の価値

朝倉 彰(左)
フィールド科学教育研究センター長

野崎治子(右)
京都大学理事(広報担当)

フィールド科学教育研究センターが、2023年に設立から20年を迎えた。「森里海連環学」を標榜し、分野を超えた叡智を結集して森・里・海の生態系のつながりと相互作用を見つめ続けてきたフィールド研。その舞台は日本の各地に10か所ある研究林や実験所だ。自然の中で、五感を通して出会う〈ほんもの〉。その美しさ、脅威の仕組みへの感動が人を育て、学問の未来をもつくってきた。

野崎 フィールド研は2023年に創立20年ですね。おめでとうございます。

朝倉 ありがとうございます。もっとも全国に10か所あるフィールド研の附置施設はさらに歴史が長く、設立100年を超えるものもあります。和歌山県南部の白浜町にあるこの瀬戸臨海実験所(下図❾)は2022年が設立100周年でした。一つの地域に長くあると、自然保護団体、漁業協同組合、自然愛好家など、地元の人たちとの結びつきが生まれます。そうした連携のなかで施設を維持して、活動してきました。
   この実験所だけでなく、北海道研究林や和歌山研究林でも、その地域の教育委員会などと連携しています。小中高の子どもたちに向けた自然体験・自然学習のほか、小中高の理科の先生がたの研修の場としての利用も活発です。

野崎 理科の先生は化学も物理も生物も地学も教えないといけない。専門外の科目を教える難しさをよく聞くのですが、こうした取り組みはそういう先生がたに新鮮な刺激を与えることになりますね。実体験から得られた感動は子どもに伝えるときに、何倍にも強いインパクトを与えるものになるのでしょうね。
   朝倉先生は日頃から、ITやデジタル技術が浸透すればするほど、自然のもとで研ぎ澄ました五感をもとに研究することが重要だとおっしゃっています。このセンターの学部向けの授業の写真を拝見しても、みなさん、いきいきとすてきな表情をされていますね。

朝倉 教科書や映像で自然を知るだけでは、うわべの情報だけが素通りするように思います。海風に吹かれたり、森林の匂いを嗅いだり、生きた生物に触れたりと、五感で感じる体験は欠かせない。〈ほんもの〉には、〈ほんもの〉だけが持つ迫力があります。〈ほんもの〉の教育効果は大きいですよ。

野崎 生きものが育ち、生きてきた環境には歴史や文化も息づいています。生きものはもちろん、そうした環境を体感し五感で味わう。これができるのが〈ほんもの〉の教育ということですね。

フィールド科学教育センター

幼少期に培った生きものへの感性

野崎 ところで、朝倉先生は生きもののどんなところに感動を覚えるのですか。


あさくら・あきら
九州大学大学院理学研究科博士課程修了。千葉県立中央博物館動物科学芸員、神戸大学大学院理学研究科教授などを経て、2012年から京都大学フィールド科学教育研究センター教授。2021年からフィールド科学教育研究センター長。

朝倉 私の専門は甲殻類、とくに熱帯に生息するヤドカリが中心です。ヤドカリを顕微鏡で見るたびに、ハサミや脚のメカニカルな美しさと人智を超えた機能性の高さに感動します。思わず写真を撮ったり、スケッチしたり。そうして論文にしなければという思いが湧いてくる。これが研究の原動力です。

野崎 機械やロボットの研究では、「生物の機能に学べ」などと言われますね。そういう生きもの好きになった原体験はどういうものでしたか。

朝倉 物心ついたころには生きもの好きでしたから、3歳頃でしょうか。

野崎 それは早い(笑)。

朝倉 どうして自然や生きものが好きになったかは、不思議なのです。というのも、生まれは東京都葛飾区の下町。当時すでにカブトムシやオタマジャクシはお金を出して買うものでした。それでも、手に入れられる生きものはなんでも飼育しました。両親もそんな私のことをすごく理解してくれて。生物学の道に進むときにも全力で応援してくれた。あの両親でなければ私は生物学者になっていないはずです。
   とにかく、生物の観察が大好きで、夏休みの自由研究も生きものばかり。神奈川県主催の自由研究では、中1から中3まで連続で賞をいただきました。

幼少期

幼少期(8歳ごろ)にタイに住んでいたころ。バンセンビーチで生き物を採集している写真

観察日記

小学6年生のころに書いていた観察日記


野崎 生きものに熱中する朝倉少年の姿が見えてきました(笑)。きっと、「今日はもうご飯いらん」などと言いながら観察していたのでしょうね。そんな体験を、今の子どもたちに伝えたい思いがあっての研究生活でしょうか。

朝倉 それはすごくありますね。幼少期の体験は一生ものの輝きがあります。学生たちを教えていると、仮説の立て方や証明の方法がきれいで、生物を研究する感覚が鋭い学生がいます。話を聞くと、幼少期から生きものに触れて育った人が多い。生物とはなにか、この角度から調べればこんなことがわかるといった感性は、〈ほんもの〉に触れるなかで磨かれるのでしょうね。

野崎 感受性が豊かなときに触れることが大切ですね。

朝倉 その機会を増やせればと、白浜水族館では様々な展示やその解説ツアーを企画しています。特別展では、漫画家や芸術家などの他分野の方ともコラボレーションして、「生きもの好き」だけではなく、より幅広い人たちに届けたいと工夫しています。

水族館ツアー

白浜水族館バックヤードツアーで家族連れのお客さんに説明中

ヤドカリ

ポリネシアで発見したゼブラヤドカリ属の新種 Pylopaguropsis lemaitrei Asakura & Paulay, 2003

〈ほんもの〉に触れ、人と社会を育む取り組み

野崎 大学に奉職して、私は「シチズンサイエンス」という言葉を知りました。科学研究に市民が関与する市民参加の調査や研究体制を意味する言葉ですが、最終的には研究者の手を離れて市民が自律的に研究活動を継続できるように支える仕組みだとうかがいました。

朝倉 「山の健康診断」というプロジェクトでは、市民の皆様から日本各地の山間部の河川水を送っていただきました。現場で調査する実体験に研究者が知恵を提供することで、自然の現状について市民の皆様の理解が深まることを期待しました。また、日本各地の10校ほどの高校に協力いただいて、シンポジウムを開いています。「未来に残したい地元の自然」をテーマに、高校生が調べて考えたことをポスターで発表します。若いうちに自然や地域をどう捉えて考えるかを体験することで、将来、そうした視点を具える大人になってほしい。そんな思いで、教員一同、体験学習や市民講座、シンポジウムには力を入れています。

野崎 朝倉先生の原体験である、「生きものは美しい、おもしろい」という思いが今日につながり、その感動に共感する人がいることでシチズンサイエンスとして広がるのでしょうね。
  フィールド研は、企業との連携も積極的にされていますね。

朝倉 公益財団法人イオン環境財団との「新しい里山・里海共創プロジェクト」が2022年からスタートしました。フィールド研が理念に掲げる「森里海連環学」は、イオン環境財団がかねてから取り組んでいる里山でのプロジェクトの理念と合致するようです。ここから、連携が始まりました。

野崎 企業が大学などと連携する原動力は、新しい「もの・こと」を一緒に生み出したい、社会の課題を解決したいという思いですね。目的を同じくする一途な者同士が出会うのが産学連携ということではないでしょうか。大学の発信する「この研究はおもしろい!」という思いに共感した人が、「この指とまれ」のように集まりつつある。人は自分がやりたいこと、関心をもったことには本気で取り組みます。数字では測れない出会いの妙があるように感じます。
   研究者、市民、企業の目とそれぞれ違う立場から、いろいろなテーマにアプローチできれば、一つのテーマをもっと深く掘り下げられます。そのなかで、これまで気づかなかったことに気づくこともある。ここに連携の価値があるように感じますが、朝倉先生はどう考えておられますか。

朝倉 このセンターでは、公益財団法人日本財団の支援を受けて、世界で活躍する学生を育てる「森里海連環学教育プログラム」を2011年から2021年まで実施しました。大学院に森里海連環学の講座を40科目開講して、ここから約300人の履修生が巣立ち、各地で活躍しています。プログラム専任の教員の雇用や、学生の海外留学や国際学会への渡航費の助成などによって、充実した教育の支援が実現しました。本来、大学の一施設がもつ人員のパワーよりもかなり大きなパワーが生まれ、森里海連環学をさらに推進できたのは連携があったからこそです。

のざき・はるこ
京都大学薬学部卒業。株式会社ホリバコミュニティ入社。1980年に株式会社堀場製作所転籍、以降人事教育部長、管理本部人事担当副本部長、ジュニアコーポレートオフィサーを務める。2022年4月から現職。西日本旅客鉄道株式会社社外取締役、積水化学工業株式会社社外取締役も務める。

フィールド研が見据えるこれからの展望

野崎 次の20年に向けて、フィールド研の展望はいかがでしょうか。

朝倉 この実験所は2021年に改装し、環境DNAを分析する設備ができました。環境DNA分析は、水や土壌などの環境に死骸や糞として放出されたDNAを分析して生物多様性を把握する画期的な手法です。そうした最新の手法を取り入れながら、100年培ってきた生物多様性学、分類学、生態学に基づく多様性の研究を発展させることが一つ。そうした研究や培った知恵を企業や団体につなぎ、環境問題や自然保護の問題にもっと力を発揮したいですね。
   それから、フィールド研の研究施設は北海道から山口県周南市まで点在していますし、学内の他の研究機関には東南アジアやアフリカ、アマゾンなどの拠点があります。京都大学は、日本にとどまらず世界のフィールドで体験的に学問ができる日本でほぼ唯一の大学です。とりわけフィールド研は文部科学省が認定する共同利用拠点ですから、日本各地の大学から学生の施設利用を受け入れていますし、他大学の学生向けの教育プログラムも展開しています。これからも、将来的に地球環境や生物多様性を守ってくれる若者が育つ場所であってほしいです。

野崎 先生ご自身の研究についてはいかがでしょうか。

朝倉 執筆途中の論文が20本ほどあります。今はセンター長の業務で手いっぱいですが、今年に定年退職を迎えたら、その仕上げを進めたいですね。ほとんどが亜熱帯・熱帯域の甲殻類の多様性の研究で、まだまだたくさんの新種が見つかっています。採集したまま取り掛かれていない標本もいくつかあります。これまでの経験から、今考えている研究が完成するまでの時間を計算してみると、あと200年はかかりそうです。あと200年、寿命がほしいというのが私の今の願いです(笑)。(了)


フィールド科学教育研究センターの取り組み

新しい里山・里海共創プロジェクト

イオン環境財団と共同で2022年にスタート。上賀茂試験地、舞鶴水産実験所、瀬戸臨海実験所を拠点に、多様な里山・里海のあり方を模索、提案を進める。フィールド研がこれまで培ってきた自然科学の調査手法や、聞き取り調査などの社会科学の手法をもとに、市民参加の調査、ワークショップを実施。地域の方とともに自律的・持続的な活動を創り出せるシチズンサイエンスの場を目指す。


山の健康診断

株式会社モンベルとの共同プロジェクトを2022年から実施。日本各地の1,400か所の山間部の河川水を、市民の協力のもとに採水・集約した。有機物の含有量やpHなどの水質を分析し、森や山の現状と変化を調査。調査結果はウェブサイトで公開中。


他大学からの教育研究利用

フィールド研の各施設では、他大学からの実習や論文研究の利用を受け入れ、広く門戸を開いている。舞鶴水産実験所、瀬戸臨海実験所、芦生研究林、北海道研究林、上賀茂試験地は、文部科学省の教育関係共同利用拠点に認定。日本各地の国公私立大学の大学生が受講できる公開実習を精力的に開催する。



フィールド科学教育研究センター 瀬戸臨海実験所

白浜水族館

瀬戸臨海実験所に隣接する、日本では数少ない大学附属の水族館。展示の中心はサンゴやナマコ、エビなどの無脊椎動物で、常時250種、年間で500種を展示している。始まりは、京都帝国大学理学部附属瀬戸臨海研究所の水槽室。1930年に一般公開を開始し、2020年に開設90年を迎えた。来場者数は、年間約9万人。

タカアシガニ

ジュウジキサンゴ

ミノカサゴ

群れをつくる魚を展示した水槽

ナガレハナサンゴ

ハナオトメウミウシ

コブヒトデモドキ

カノコイセエビ

展示はすべて白浜の海に棲む生きものたち

展示生物は教職員が調査で採取したもののほか、地元の漁業協同組合からの提供を受けた生物ばかり。どれも白浜周辺に生息する生物だ。白浜周辺は、岩盤、砂場、泥など、水底の地形が複雑。それぞれの環境に適応した多様な温帯性の生物が生息する。さらに、温かい黒潮が流れ込むので、南方系の生物が運ばれてくることも多い。生物多様性に富んだ環境が展示の多様性を支えている。

開館案内

開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)
年中無休

入館料  大人600円、小人200円(個人の場合)
*未就学児は無料で入館できます。

白浜水族館ウェブサイト こちら

田辺湾に浮かぶ無人島 畠島

瀬戸臨海実験所が管理する無人島。人が手を入れる前の海岸が保存されている。この島では、年に一度、生物多様性と環境・気候の変遷を調査。1960年から2060年までの100年間、同じ方法でデータを集める計画で、2019年に50年間のデータをまとめて発表した。
朝倉 例えば1960年に14度だった冬の水温は2019年には17度、夏の水温は26度から30度に上昇していました。たまたま気温が変動したのか、それとも温暖化の影響なのかは数年間の調査では即断できません。それでも、50年もの長期にわたるモニタリング調査をすれば傾向はみえてくるはずです。


自然豊かな畠島の映像をご覧いただけます!



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