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2018年春号

第33号編集後記

最近、小学校では、掃除時間になると子どもたちがいっせいに「スイープ」をしているらしい。ピョンチャン・オリンピックで有名になったカーリングで、ブラシでせっせと氷上を掃く、あの動作である。掃除につかう箒を持てば、たちまちそれで遊ぶことができるのが子どもであろう。  歩道を子どもたちが走っている。子どもたちはなぜ走るのだろう。大人は、目的をもって走るが、子どもは目的もなく走る。そして、昨日見た子どもたちのうちの一人は、コテンとこけたりしていた。私は、自分のひざ小僧の傷跡を思い出したりした。  でも、先日東京で見た子どもは、雪をわざわざ避けて歩いていた。子どもって、わざわざ雪の中に入っていかなかったっけ、と私は少し悲しくなった。  子どもが必ずしも「子ども性」をもっているわけではない。同様に、大人だって「子ども性」をもつことができる。京大は、この「子ども性」をいつまでももちつづけることができる大学でありたいと思う。

広報委員会『紅萠』編集専門部会

編集後記

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