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萌芽のきらめき・結実のとき

2017年秋号

萌芽のきらめき・結実のとき

季節のない熱帯林で出会う、したたかで多彩な生きものたち

酒井章子
生態学研究センター 准教授

地球上の陸地において、熱帯林の占める面積はおよそ六パーセント。そこには、地球上のすべての生物種の半数以上が生息するといわれている。「先進国が多く、調査がゆきとどいている温帯とくらべると、熱帯は秘密の宝庫。何種類の昆虫が生息するのかすらも、いまだに確証はなく、研究者によって見解が大きく分かれます。わからないことばかりですが、それだけに温帯に暮らす私たちには思いもよらないようなことに巡りあう可能性も高いのです」

マレーシア周辺の地図。ランビルヒルズ国立公園はボルネオ島の北東部に位置する

マレーシア、ボルネオ島の北東部に位置するランビルヒルズ国立公園。最大樹高70メートルにも達するフタバガキ林がひろがるこの熱帯林が酒井章子准教授のフィールドの一つ。この地をはじめとする東南アジアの一部の熱帯では、数年にいちどの周期で一斉に森のさまざまな植物が開花する、「一斉開花」とよばれる現象がみられる。ある種が花を咲かせて、それを追いかけるようにべつの種が次つぎに開花する。こうした状況がときに数百キロメートルもの範囲で、3か月ほどつづくという。「四季のある温帯では、植物は1年周期のリズムで活動し、決まった時期に花を咲かせます。多くの熱帯林では、植物たちは気温が変化しなくとも降水量のリズムで1年をきざむ。一斉開花は、明確な雨季のない東南アジアならではの現象なのです」。

酒井准教授がはじめて一斉開花を経験したのは博士課程のころ、ボルネオ島をフィールドにして3年めのことだった。「すでに通算で約1年をすごしていましたが、これまで見てきた森とはまったく違う姿でした。季節のない熱帯林で、生物たちがみずから季節を創りだしている。熱帯林のふしぎにいっきに魅了される体験でした」。

一斉開花時の森林のようす(左)、一斉開花のときに咲いたドリアンの仲間(右)

一斉開花時の森林のようす(左)
一斉開花のときに咲いたドリアンの仲間(右)

昆虫を騙し、花粉を運ばせる匂い花

世界でもっとも樹木の種の多様性が高いといわれるボルネオの熱帯林。この森で酒井准教授が見つめてきたのは、植物が次世代にいのちをつなぐしくみ。「植物は、いちど根をはると、そこから動けません。だから、多くの植物は、風や水に乗せて花粉を運んだり、花を咲かせて動物をひきよせ、花粉を運んでもらうのです」。花粉は動物の体にくっついたり風に乗ったりして、同じ種類のべつの個体まで、ときには数十キロメートルもの距離を運ばれる。「『送粉』とよばれるこの過程を、多くの植物は動物、とくに昆虫に頼っています」。

温帯では、風によって花粉が運ばれる「風媒」の割合が大きいが、ボルネオ島の熱帯林には、風媒で送粉する植物はほとんどみられない。「しかも、ある特定の動物とだけ送粉の関係をむすぶ植物が多いのです」。その好例としてあがったのは、ボルネオ島に生息するオルキダンタと糞虫(フンコロガシの仲間)との関係。オルキダンタは、花から糞に似た匂いを出して糞虫をおびき寄せ、花粉を運ばせる。じつはこれ、大学院生だった酒井准教授の発見だという。「姿は優雅なのに、匂いはとても変わっている。なかなか送粉の現場を観察できず、いろいろな観察方法を試して、ようやく糞虫が花粉の媒介者であるとつきとめました」。

ボルネオ島の熱帯林で見られる送粉方法の割合を図であらわした

ボルネオ島の熱帯林で見られる送粉方法の割合(Momose et al. 1998より)

送粉者と植物は、たがいに利益のある「相利共生」の関係にあることがほとんど。植物は花粉を運ぶというサービスの報酬として、蜜などの食べものを与えたり、繁殖の場を提供する。「糞虫は、匂いに導かれ、エサである動物の糞があると騙されてオルキダンタにやってきます。報酬のある関係にくらべて、花を訪れる頻度がずっと低いので観察がむずかしかったのだと、調べたあとにわかりました。植物と送粉者の関係は、だいたいはもちつもたれつだけれど、たまに騙してばかりの悪い奴もいる。なんだか人間社会にも似ていますよね」。

オルキダンタの花(左)とその花の匂いに誘われて訪れた糞虫(右)

オルキダンタの花(左)とその花の匂いに誘われて訪れた糞虫(右)

私だけのこだわりの視点をたいせつに

酒井准教授が研究でだいじにするのは、「まずは疑ってみること」。教科書や先行研究を疑うことが研究の第一歩だという。「多くの研究者がとおりすぎることでも、ひっかかりを感じたら、立ち止まる。一つの仮定を疑ってみたら、新しい視界がひろがるかもしれない」。

オルキダンタのように特定の動物とだけ関係をもつ植物は、温帯よりも熱帯に多く存在する。どうして熱帯と温帯では、相互作用のあり方が違うのか。「熱帯は風があまり吹かないから、風媒が少ないといわれますが、ほんとうにそうでしょうか」。これまでの研究を包括する大きなテーマに酒井准教授は挑もうとしている。

「大学院ではまわりの人たちがみな議論好きで、教員・院生といった立場の違いも研究室の垣根も越えて、最新の研究成果からもっともおいしいシイタケの調理法まで、議論のネタにしていました。そんな仲間とのゼミがとくに印象的でした。そのゼミでは、教科書に載っている著名な研究の原著論文を読んでいました。教科書を読んでわかっていた気になっていても、原著論文をあたってみると、研究の限界や解決できていない問題がいろいろとみえてくる。生意気な学生が集まっていたので、毎回、『なんだ、このていどの研究だったのか』で終わる。(笑)たしかだと思っていた定説も、土台を見てみたら案外もろいということがけっこうあるんですよ」。

温帯にも熱帯にも、まだまだ多くの謎が埋もれている。「どの謎を解きあかせば、求める答えに近づけるのか、試行錯誤の最中です」。小さな生きものどうしのネットワークをていねいに解明し、いくつもの知見をつむいださきに、広大な熱帯林の輪郭を描きだす試みははじまったばかりだ。

京都大学芦生研究林での植物と送粉者のネットワークの一例。それぞれの円が一つの種を示す。
京都大学芦生研究林での植物と送粉者のネットワークの一例。それぞれの円が一つの種を示す。灰色の縁取りのある円が植物、ない円は昆虫。円の大きさはある指標で測った重要性を示す。線でつながる種が相互作用のある種である。植物と送粉者はランダムにつながっているのではなく、それぞれクラスター(上図では円の色で区別されている)をつくっていて、クラスター同士がより強く結びついていることがわかる。
*Kato et al. (1990)のデータをもとにRパッケージigraphで分析・描画したもの

有性生殖が世の中を彩り豊かにしているのかも

もうひとつ、じつは学生のころからいだきつづけている疑問があるという。「効率よく個体数を増やすなら、子供を産めないオスをつくらずメスだけで子供を残せばよいのに、どうして生きものは有性生殖をするのでしょう。遺伝子多様性の問題もあるけれど、それにしてもオスとメスが出会ってうんぬん……というのは、非効率きわまりない。(笑)『有性生殖のパラドクス』とよばれる生物学の大問題ですが、学部生のころに知って夢中になりました」。長年もちつづけた素朴な疑問であり、もっともおもしろいと感じる部分でもあるという。「有性生殖には、『オスとメスが出会う』という過程がかならず必要です。だから、植物は花を咲かせるし、鳥はさえずる。進化の過程もふしぎだけれど、有性生殖のおかげで、世の中は彩り豊かになっているのかもしれませんね。人間が歌うことや、身を飾ることも、もとをたどればオスとメスがいるからこそ。ヒトが有性生殖をしない生物だったら、私たちの文化もとてもさびしいものだったに違いありません」。

学生時代の興味は、いまも酒井准教授の胸を踊らせ、熱帯林に向かわせる原動力となっている。「仲間や先輩、指導者に恵まれたおかげでなんとかここまでやってきたけれど、学生のころにかきたてられた好奇心こそが、いまの私の研究につながっているのかもしれないですね」。タネは、何年も前に蒔かれていた。酒井准教授の「一斉開花」はもうまもなくかもしれない。

生態学研究センター

生態学研究センターは生態学の基礎研究と国際共同研究の推進を目的に、1991年に全国共同利用施設として創設。1998年に大津市瀬田のキャンパスに新研究棟が完成した。現在は、生態学・生物多様性科学の共同利用・共同研究拠点として、国内外の研究者が利用できる研究体制をとる。琵琶湖研究のための高速調査船や、ボルネオでの熱帯雨林研究のための野外ステーションなどを設置し、国内外でのフィールド研究を積極的に実施。多様な生物がたがいに影響を与えつつも共存する姿を描き出し、生態系がなりたつプロセスや進化の理解と、人間が生態系から受けるさまざまな恩恵の解明をめざす。

さかい・しょうこ
1971年に千葉県に生まれる。京都大学大学院理学研究科博士課程を修了。スミソニアン熱帯研究所PD研究員、筑波大学生物科学系講師、京都大学生態学研究センター助教授、総合地球環境学研究所准教授などをへて、2013年から現職。

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