巻頭座談会 - 京都大学広報誌『紅萠』

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(写真提供:宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉)

2016年7月8日(金) 北部総合教育研究棟 土井隆雄特定教授の研究室

常識が常識でなくなる宇宙空間は、想像と創造の場である

土井 隆雄(宇宙総合学研究ユニット特定教授)
家森 俊彦(宇宙総合学研究ユニット長、理学研究科附属地磁気世界資料解析センター教授)
早川 尚志(大学院文学研究科西南アジア史専修修士課程2回生)

国際宇宙ステーションは2000年に宇宙飛行士を迎えてから16年間、つねに人がくらす。見上げる空には、いまこの瞬間も人類がすごしている。水の存在する惑星が発見された現在、夜空に浮かぶ星の数ほどの生命が宇宙に生きているのかも……という想像はけっして夢物語ではなくなった。私たち地球人が「宇宙人」となるそのとき、必要とされる智慧とはなんだろう。新たな世界でなにを創造できるのだろう

 宇宙総合学研究ユニット(宇宙ユニット)

幅ひろい分野で第一線の研究者をかかえる京都大学の強みを活かし、宇宙理工学に関する基礎研究を推進し、学際的、総合的な新しい宇宙研究を開拓することを目的に2008年に発足。理学研究科、工学研究科、文学研究科、生存圏研究所などの80名ちかい併任教員と、4名の専任教員・研究員、5名の非常勤教員が在籍し、研究を推進する。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)などの学外機関とも密接に連携し、京都大学の宇宙分野を束ねた窓口としての機能も果たす。芸術・文化とのコラボレーション企画を積極的に主催し、宇宙の学問と社会をつなぐさまざまな活動にも力を入れる。

宇宙ユニットの模式図

宇宙環境学部門
人類の宇宙利用の拡大には、太陽活動や宇宙ごみなどの「宇宙環境の理解と予測」が必要です。人類の生存・活動空間としての宇宙環境の変動(宇宙天気)の解明をめざします。

宇宙センシング学部門
天体観測機器の先端技術開発を学び、その観測情報や宇宙技術と地上産業・文化間の相互応用の拡大をめざします。

宇宙文明学部門
哲学、倫理学、人類学、歴史学、宗教学などの人文社会科学的な側面から多角的に宇宙にひろがる人類文明の未来を探ります。

社会連携部門
宇宙学関連分野における国内外の社会連携の歴史や活動を調査・研究するとともに、大学ならではの挑戦的な社会連携活動を開発・実践して、成果を社会に発信します。海外の大学や研究機関、産業界などの多様な交流を通じて、世界の人びとと自由に対話しながら、国際性をもち、つねに新しいことを考え、イノベーションを創造する力を養います

宇宙総合学研究ユニットの詳細はこちら

家森  「京都大学宇宙総合学研究ユニット」(略称・宇宙ユニット)は、宇宙研究の未来をみすえて2008年に発足しました。2016年4月から、日本人4人めの宇宙飛行士となった土井隆雄さんに特定教授に着任していただきました。

土井  きのう7月7日、大西卓哉さんが搭乗したロシアの宇宙船「ソユーズ」が打ち上げられました。テレビ中継を見ていましたが、とてもスムーズな発射でしたね。ぼくはアメリカ航空宇宙局(NASA)の「スペースシャトル」で宇宙に行きました。最初の2分間はガタガタ揺れましたが、ソユーズはまったく揺れていませんでした。ちょっと窮屈そうですが、乗り心地がよさそうです。

家森  私もじつは、小学校の卒業アルバムに「将来の夢は宇宙飛行士」と書いています。やがて、1965年に池谷・関彗星を見て、「新彗星を見つけたい」と屋根に登って探したのですが、見つけられなかった。(笑)土井先生は宇宙飛行士として宇宙に行かれ、そのあとに超新星を二つも発見されています。この二人の違いはどこにあるのかをまず知りたい。(笑)

土井  京都大学の太陽観測と研究はよく知られていますが、私の関心のはじまりも太陽でした。中学一年生のころ、友人に誘われて太陽の黒点観測をはじめた。そこから星を眺め、星座の名を覚えるなどして、どんどんと宇宙にのめりこみました。アポロ11号の宇宙飛行士たちが1969年に月面を歩いた。それを見て、ぼくも「宇宙に行きたい」と……。
  1971年夏には火星の大接近があって、高校二年生の夏休みのあいだ毎日観測しました。感動して、「宇宙を一生の仕事にしよう」、「ロケットをつくろう」と宇宙工学を選びました。

家森  そうして、1985年には宇宙飛行士に認定されたのですね。

土井  大学では小さなロケットをつくって実験していたのですが、博士号をとったころに日米が協力して宇宙実験をする計画が決まって搭乗科学技術者(ペイロード・スペシャリスト)の募集があったのです。「宇宙に行くにはどうすればよいか」とよく聞かれますが、私は好きなことをつづけてきたにすぎません。運がよかった。超新星も趣味でつづけていたら、発見できた。あきらめずに信念をもちつづけることですね。


土井隆雄 宇宙総合学研究ユニット特定教授
土井教授が宇宙食で好きだったのはカレーライスとスペースラーメン。京大に着任後の昼食は、ほぼ毎日、北部食堂に通う(写真提供:宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉)

夜空を見つめつづけた天文少年

家森  早川さんはどうして宇宙に興味をもたれたのですか。

早川  私も、2003年の火星の大接近がきっかけです。当時は小学生で、その後も宇宙に心ひかれていたのですが、数学の壁に阻まれてあきらめました。(笑)
  歴史学専攻で京都大学に入学したのですが、宇宙への興味はつきず、花山天文台(紅萠24号に掲載)に出入りして望遠鏡をのぞいていると、院生の方から、「古文献に宇宙の記録はないの」と聞かれ、調べているうちに宇宙研究にふたたび関わるようになりました。

家森  私は、小学校三年生のころに父親が買ってくれたボール紙でできた小さな望遠鏡がきっかけ。宇宙図鑑の星雲の写真にもひかれましたね。カリフォルニアのパロマー天文台の白黒写真でしたが、それでもすごくきれいだと思いました。

土井  なぜ、いまの専門分野にすすまれたのですか。

家森  大学入学時は天文学を志向していましたが、当時の最新の研究事情をまったく知らず、「天文学には先がない、趣味にしておこう」と思ったのです。そのときに、いまでは異端の理論ですが、太陽系の起源に磁場とプラズマが関わっているというハンス・アルベーン博士の説を読んでおもしろく感じた。それで地球物理学教室の地球電磁気学講座にすすみ、いまの太陽風と磁気嵐の研究につながりました。
  早川さんは、これまでどんなことを研究しておられたのですか。

早川  13世紀から17世紀ころのユーラシア中央域のキャラバン貿易が専門です。一昨年は、聖書時代の遺跡がたくさんあるイスラエルで調査してきました。聖書にも天上の異変の話はよく出てきます。

土井  中東の天文文献も探されるのですか。

早川  はい。探しています。たとえば、太陽フレア活動の結果として起こるオーロラは、地球の磁極をとりまく「オーロラオーバル」というドーナツ状の領域で発生します。中東の記録だけでなく、中国やヨーロッパでの観測記録がそろうと、「オーロラが見えた」という情報がより確実になるのです。

土井  中東のオーロラの記録はありましたか。

早川  最近、見つけました。紀元前567年の中東の観測記録は、すでにほかの研究者が見つけていましたが、その近辺のべつな記述が6つほど見つかりました。

家森  そういう瞬間は最高ですよね。

早川  そうです。「やはりあったか」と。

千年の歴史の京都で、千年先の人類を思い描く

家森  宇宙ユニットに着任して3か月がたちましたが、京都はいかがですか。

船外から手を振る土井隆雄特定教授 1997年の船外活動中、フライトデッキ(操縦室)後方の窓から中をのぞき込み、手を振る土井特定教授(写真提供:宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉)

土井  ぼくが研究する有人宇宙活動は、人と宇宙とをつなげる活動です。成果をあげるには時間はかかりますが、京都にきてからは「千年後を見すえよう」という思いにいたりました。京都は都となって千年以上たちますが、当時と変わらず人類は存在し、文化を継承しています。千年は人類にとって、それほど長い時間ではないのです。
  有人宇宙開発について、「宇宙に人が行くよりも、ロボットならば安い。同じ科学的知見も得られるのではないか」という質問をよく受けます。これまでは、「ロボットはプログラムで決めたことしかできないが、人はみずから判断と選択ができる」と答えてきたのですが、京都にきてからは千年をキーワードに新しい考えが浮かびました。無人宇宙開発だけを選択した人類と、有人宇宙開発だけを選択した人類は、千年後にはどこに住んでいるでしょうか。無人宇宙開発を選択した人類は、やはり地球に住んでいるはずです。しかし、有人宇宙開発を選択した人類は、宇宙のどこにでも住んでいる可能性があると。
  無人・有人の宇宙開発は比較できるものではありません。無人宇宙開発は科学の新しい知見を得る活動で、有人宇宙開発は人類の新しい世界をつくりだす活動。根本的な違いがある。京都で千年の歴史を見て、千年先の未来を考えられるようになった、そう思いました。

早川  長期的な視野は重要ですね。太陽の近代観測の歴史はガリレオ以降400年、太陽フレアの観測の歴史は150年くらいです。でも、歴史文献を開けば、紀元前にまでさかのぼる数千年ぶんのデータが残っている。オーロラは紀元前6世紀の文献までさかのぼれますし、もっと古い記述が見つかるかもしれない。
  花山天文台の柴田一成教授のグループが、太陽と同じような星で「スーパーフレア」現象が起こることを2011年に発見しました。これは数千年に一回の規模です。東日本大震災は千年にいちどの大災害といわれていますが、古い文献で過去に起こったとされることは未来にも起こりうる。そのような視野を育むには、京都はもってこいの場所だと思います。

ほんものの「宇宙総合学」をすすめたい

家森  2008年に、「京の宇宙学──千年の伝統と京大が拓く探査の未来」という特別展を京都大学総合博物館で開催して、理学研究科や工学研究科、生存圏研究所などから宇宙研究に関係する研究者が集まりました。当時、副学長だった松本紘前総長が、「こんなに宇宙に関係する人がいるのなら、共同で宇宙研究をすればいいじゃないか」とおっしゃったのが、宇宙ユニット発足のきっかけです。ところが、宇宙ユニットにはこれまで専任の教授がおらず、併任の先生がたも各人の研究に精いっぱいで、なかなかとりまとめができなかった。土井先生がこられたことをきっかけに、共同研究を強力に推進したいですね。


家森俊彦 宇宙総合学研究ユニット長
中学一年生のころの家森教授。子ども向けの科学雑誌の「天体望遠鏡のつくりかた」を見ながら作成した望遠鏡との一枚

土井  有人宇宙活動は、宇宙に新しい世界をつくる試みです。歴史学や経済学、法学など、人が育ててきた学問すべてが必要ですが、どうしても理工学が中心になりがち。宇宙ユニットには、あらゆる学問分野の人たちがともに宇宙を考え、新しい学問をつくろうという目的が設立時からあります。有人宇宙活動を研究する環境はすでに整っています。

家森  「宇宙総合学」をすすめたい。

土井  これまで宇宙ユニットがすすめてきた学問を体系づけることで、有人宇宙活動のための新たな講義や実習を行なう教育プログラムをつくることをはじめています。日本の有人宇宙開発は1985年にはじまりましたが、最初の宇宙飛行士の毛利衛さんにつづくプランがなかなかできなかった。有人宇宙ミッションはつねに、新しいことへのチャレンジです。自分で自分の道を切り拓く、強い精神力をもった人を育てたい。

早川  歴史をみても、住みなれた故郷を離れて生きる人たちは、もとのコミュニティの「はみ出し者」であったりする。そういう人たちを許容してきた京都大学は、みずから道を切り拓く人を育てるのに適した場所かもしれません。

家森  アメリカではスペースX社のような民間企業が、どんどん新しいことをはじめています。日本でも「はやぶさ」のような新しいアイデアが次つぎと出てきてほしい。京都大学にはアイデア豊かな能力の高い人がたくさんいますから、そういう人たちがもっとのびのびと協働できるようになればよい。

土井  アメリカで自由なアイデアが多く実現されるのは、アメリカ政府が「有人宇宙開発で世界をリードする」という明確なビジョンをもって、新しい活動をサポートしていることが大きい。日本にはめざすべき道がない。国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」は、2024年まで運営すると決まっていますが、そのあとのビジョンがない。残り10年をきっています。日本の宇宙開発のビジョンづくりに貢献できる活動を京都大学から発信したいものです。

宇宙で拡がる新しい人文科学の可能性

早川  人文科学が有人宇宙開発において果たすべき役割はどうでしょうか。

土井  直接に関係するのは国際協力です。宇宙ステーション(ISS)では15か国による国際協力がすすんでいますが、開発途上国の方も宇宙に興味を抱いています。国連に加入する193か国すべてが参加できる枠組みが必要です。宇宙で生活をする場合、宇宙をどう使うかという宇宙法も考えなければなりませんね。
  宇宙は一日が90分で、地平線は水平でなくて丸く、流星が足の下に見える世界です。そのような異質な環境では、新しい文化が創造されるはずです。酸素の分圧の違いから、人間の発する声の高低も変わる。管楽器の音も変わるから、音楽自体が新しくなるでしょう。見える世界も違います。水蒸気がなく、何百㎞離れた先までクリアに見える。そこで絵を描くとどうなるか。宇宙はいろいろな可能性を与えてくれる。理化学的な挑戦ばかりではなくて、人文科学的な仕事もたくさんある。

「天上のスケッチ」と、スケッチ中の土井教授。クレヨンの持ちこみがはじめて許可された1997年の宇宙飛行ミッションにて(写真提供:宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉)

家森  これはクレヨンで描かれたのですか。

土井  アメリカの会社がつくった食べられるクレヨンです。もともとは赤ちゃん用に開発されました。色の粉が出ると宇宙空間ではふわふわと浮いてまちがって口にはいる危険性があるから、ふつうのクレヨンは持ちこめないのです。
  これは、地球が下にあったときの絵。地平線が上に見え、昼間でも真っ暗。地球だけでなく、宇宙もぜひ見てほしい。初めて船外活動をしたとき、「無限に拡がる空間を見た」という印象を強く受けました。
  地球から夜空を見ると宇宙があるというけれど、それは大気層を通して見ています。でも、宇宙は大気層の外に出ると、自分と宇宙とのあいだにはなにも存在しない。目の前の真空が永遠につづく。畏怖を感じる世界です。地球上では絶対に経験できない。地球上の空間は、地球を一周すれば戻ってこられるが、宇宙は目の前の空間が無限につづく。ぼくも最初、この宇宙空間をどう理解・把握すればよいのかわかりませんでした。

地上の歴史は宇宙でくり返されるのか

土井  早川さんは、月や火星に行くとなにができるかを考えたことはありますか。

早川  単純な比較はできませんが、人の宇宙への移動は、人類の大陸間移動と相似形な部分があるかもしれません。

土井  コロンブス以後、ヨーロッパからの移民がアメリカ大陸に浸透した。それから1776年にアメリカ合衆国として独立するまで約300年。宇宙に行った人たちは、それと同じような時間で独立国家を形成すると思いますか。

早川  コロニーが維持できるかどうかがポイントだと思います。コロンブス以前にも、グリーンランドにバイキングの植民地があったのですが、気候変動で寒冷化がすすみ撤退している。コロニーができても、状況が変われば放棄される可能性もあります。宇宙でのコロニーの発展・維持は、地球との交通が確保できれば可能性は充分にあるはずです。

土井  大航海時代に新大陸に行くのも、火星に行くのも命がけ。(笑)

家森  「すばらしい土地がある」と新大陸に移動しましたが、宇宙はこれから住める場所をつくらなければなりませんね。

早川  そこが大きく違います。未開拓の土地に人が移動することで梅毒などの病気に罹病したり、逆に新大陸に天然痘をもたらして先住民の人口が激減したこともあります。宇宙と地球との往来ができると、なにが起こるのでしょうか。

土井  宇宙はこれまでとは次元の違う新しいチャレンジの場なのか、それとも新大陸に移住した時代の智慧を適用できるのかは興味がありますね。

早川  新大陸には人が住んでいましたからコロンブスの例の適用はむずかしいでしょうが、ポリネシア系の人びとが無人の南太平洋の島々に進出した事例は近いかもしれません。いかに彼らがコロニーを形成し、もとにいた島との交通を維持しながら先にすすんだのかは、宇宙開発の大きな参考事例になると思います。


早川尚志 文学研究科修士課程2回生
イランのマラゲー遺跡。モンゴル統治時代に天文台が運営された。早川さんは2014年8月に訪問し、現地の天文台の遺構を確認した

人が宇宙で暮らすには、なにが足りないか

家森  40年ほど前のことですが、アメリカ人が考えた数万人が暮らす巨大なスペース・コロニーの計画の話を聞きました。最近は地球の周りにホテルをつくる話もありますね。「より楽しく、快適に」という方向に宇宙開発は発展するのかもしれません。

土井  スペース・コロニーの計画は頓挫したのですが、かわりに宇宙ステーションができた。だから、宇宙ステーションがスペース・コロニーの第一歩と考えてよいかもしれません。
  国際宇宙ステーションは1998年に建造がはじまりました。すでに15年以上、つねに人が暮らしています。高度280㎞~460㎞を周回していますから、高度500㎞以下の低軌道に住むことは技術的には問題ありません。いくら投資ができるかと、決断だけの話です。月も問題ありませんが、火星はもうすこし時間がかかりそうです。

有人宇宙計画研究会
月に2回、「有人宇宙計画研究会」を開催。学問分野を問わず、15名前後の大学院生が集まり、議論を深める。この日の話題は、各国の有人宇宙開発の歴史。学生ごとに担当の国を決め、事前に調べた内容を報告し、課題をあぶりだす

早川  課題は、いかに食料をつくるかでしょうか。地球上には酸素がありますし、魚を獲ったり、穀物を植えたりできますが、月面や火星で……。

土井  火星の地下にはまちがいなく氷があります。数万年前には海があったと証明もされている。水があれば農業ができます。重力は地球の3分の1ですが、植物は問題なく成長するはずです。
  千年後、人類は太陽系を超えて拡がっていると思います。太陽系の外の惑星、系外惑星として3000個以上の天体が発見されていて、なかには太陽との距離がよくて液体の水が存在する惑星も発見されています。液体の水が存在すれば生物のいる可能性があるし、水があれば大気があるから地球人も住める。花山天文台は、三代目台長の宮本正太郎が火星の大気の観測で世界をリードした歴史があります。宇宙ユニットでも系外惑星の調査に取りくみたいですね。

宇宙も学生の可能性も無限だが、なぜか想像できる範囲は狭い

土井  古い遺跡には宇宙人が描いたかもしれないという絵などがありますが、その可能性はどうですか。水のある惑星が見つかって、生命がいる可能性は大きくなっている。生命があれば地球以上の文明が発達していてもおかしくはない。そういう文明が太古の地球にきて、なにかを残した可能性はあるでしょうか。(笑)

早川  万一それがわかれば歴史学が塗り変わります。(笑)洞窟の絵は、後世の人が手を加えていることもあれば、光の当て方で見え方が変わるケースがあります。ただ、既存の常識に囚われずに多角的な方向から検討するのはだいじですね。

船外活動をする土井隆雄特定教授(写真提供:宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉)

土井  人類は唯一のものなのか、それとも多くの種族の一つなのか。宇宙にひかれる理由には、人類の起源を求める期待もあると思います。宇宙はたくさんの謎を秘めていて興味は尽きませんね。

家森  宇宙科学の進歩をふり返ると、私たちが想像できる範囲はとても狭いなとつくづくと思います。木星の衛星エウロパの表面の氷の下に海があるなんて、想像だにしなかった。ひょっとしたら、そこに生命がいるかもしれないしね。

土井  SF的ですが、千年後の人類が宇宙に行ってどこかの惑星で古い文明の痕跡を、文字を発見するとします。すると、早川さんのような学者がその惑星に行って、解読する可能性もある。人間のような思考をする生物かもしれないし、まったく違うかもしれない。

早川  宇宙に派遣されるには、体力のトレーニングも必要ですね。(笑)

家森  私が学生だった40年ほどまえは、宇宙研究がこんなに発展するとは思いもしませんでした。2006年に打ち上げた無人探査機が、2015年に冥王星に行きました。ハッブル宇宙望遠鏡も私の入学当時、すでに計画している人たちがいた。私のように、「この分野は先がない」と宇宙研究の道をあきらめる人が出ないように、どんな計画があって、将来はどういうことが実現可能かという情報は、ぜひ若い人たちに発信したいですね。

土井  大学生のうちにいろいろなことに挑戦して、命をかけられる対象を見つけてほしい。好きなことであれば、どんな苦労もいとわずにできる。そういう時間のつかい方をしてほしい。

家森  私たちの宇宙ユニットにたいへん力強い方にきていただいた。これからもよろしくお願いします。

宇宙開発の歴史

宇宙開発の歴史

(写真提供:NASA)

どい・たかお
1954年に東京都に生まれる。1983年に東京大学大学院工学系研究科博士課程を修了。1985年に宇宙開発事業団の初の宇宙飛行士に、毛利衛、向井千秋とともに認定。1997年に宇宙飛行ミッションSTS-87に従事し、日本人初の船外活動を実施する。2008年には、ロボットアームを操作し、日本初の有人施設「きぼう船内保管室」を国際宇宙ステーションに設置した。2009年から2016年まで国際連合宇宙部宇宙応用専門官を務め、2016年から現職。2004年にライス大学大学院博士課程(天文物理学)を修了。2002年と2007年には超新星を発見した。
>> 土井隆雄:JAXAの宇宙飛行士

いえもり・としひこ
1952年に奈良県に生まれる。1980年に京都大学大学院理学研究科単位取得・退学。京都大学理学部助手、助教授をへて、2000年から現職。専門は太陽地球系物理学。
>> 教育研究活動データベース
>> 宇宙総合学研究ユニット

はやかわ・ひさし
1991年に京都府に生まれる。2014年に京都大学文学部を卒業。専門は歴史学、東西交渉史。
>> 文学研究科・文学部

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