平成31年度大学院入学式 式辞 (2019年4月5日)

第26代総長 山極 壽一

本日、京都大学大学院に入学した修士課程2,315名、専門職学位課程331名、博士(後期)課程882名のみなさん、入学おめでとうございます。ご列席の理事、副学長、研究科長、学館長、学舎長、教育部長、国際高等教育院長、研究所長とともに、みなさんの入学を心からお慶び申し上げます。また、これまでみなさんを支えてこられたご家族や関係者のみなさまに心よりお祝い申し上げます。

さて、今日みなさんはさらに学問を究めるために、それぞれの学問分野へ新しい一歩を踏み出しました。京都大学には多様な学問分野の大学院が設置されており、合計23種類の学位が授与されます。18の研究科、13の附置研究所、14の教育研究施設が皆さんの学びを支えます。修士課程では講義を受け、実習やフィールドワークを通じて学部で培った基礎知識・専門知識の上にさらに高度な知識や技術を習得し、研究者としての能力を磨くことが求められます。専門職学位課程では、講義のほかに実務の実習、事例研究、現地調査などを含め、それぞれの分野で実務経験のある専門家から学ぶ機会が多くなります。博士(後期)課程では論文を書くことが中心となり、そのためのデータの収集や分析、先行研究との比較検討が不可欠となります。さらに、現代社会の課題に応えるべく、実践的な知識や技術の習得を目指した5つの博士課程教育リーディングプログラム、昨年度から開始した卓越大学院プログラムが走っています。

大学院で高度な学問を修めるみなさんは、これから急速に変動していく世界に向き合っていかねばなりません。世界は今、労働集約、資本集約型社会から知識集約型社会へと舵を切りはじめています。情報通信技術(ICT)が縦横に張り巡らされ、物がインターネットで繋がれます。そのビッグデータが人工知能(AI)によって分析され、効率の良い暮らしが可能になります。これまでのように資源や物ではなく、情報を共有し集約することで様々な社会的課題を解決し、新たな価値が生み出される時代です。経済も人の動きもより活発になり、分散や循環が社会や産業を動かす力となります。そうした未来社会では、多様性や創造性のほかに、グローバルな倫理観に基づく自己決定力や調整能力がいま以上に必要とされます。

先月、私が会長を務める日本学術会議ではサイエンス20という国際会議を主催しました。これは、G20各国の科学アカデミーによって毎年開かれ、世界の重要課題に対する科学的な議論を行い、G20サミットに対して共同で科学的な提言を行う会議です。今回は3回目で日本が議長国になり、議長国の権限でテーマを「海洋生態系への脅威と海洋環境の保全―特に気候変動及び海洋プラスチックごみについて」と決めました。周知のごとく、世界各地で人的活動の高まりによって海中の二酸化炭素が増加し、海洋の温暖化、酸性化、貧酸素化を招くとともに海洋生態系が危機に瀕しています。これに新たな脅威として近年注目されているのが、海洋プラスチックごみの増加です。海に大量に投棄されたプラスチックごみによって、海洋生物がその誤飲や絡まりによって、あるいはマイクロプラスチック表面に吸着した汚染物質の取り込みによって、甚大な被害を受けはじめています。すでに、アジア太平洋海域のサンゴ礁は、こういったプラスチックごみから引き起こされる疾患によって多くが死滅する危険があると警告されています。日本周辺でも、プラスチックごみの海洋流出がこのまま増え続ければ、2060年までに現在の浮遊量の約4倍になることが予想され、漁業や観光への悪影響が懸念されています。そこで、サイエンス20は専門家による科学的根拠に基づく助言の必要性をG20に提言することにしました。具体的には、海洋生態系へのストレス要因の除去を目的とした行動の強化、都市や地域レベルでの循環経済・社会の実現、研究船、観測・監視技術等の調査・研究基盤の強化、世界中の科学者がアクセス可能なデータの保管・管理システムの確立、強固な国際協力の下での調査・研究活動と情報共有の推進などです。これらの意見をサイエンス20として共同声明にまとめ、安倍総理にG20にてぜひ提案していただくよう手交しました。

プラスチックは軽量で、加工しやすく、丈夫で、世界に材料革命を引き起こした魔法の人造素材です。最初にプラスチックが作られたのは1868年のアメリカで、日本はちょうど明治維新の時でした。当初のセルロイドは燃えやすい欠点があったのですが、だんだんと改良されてベークライトになり、日本では1914年に石炭からフェノール樹脂が作られました。戦後、石油から作られるようになって大量生産が可能になり、今では1年間に約2億5千万トンのプラスチックが世界で生産されています。日本は、アメリカ、中国、ドイツに次いで4番目の生産量を誇っています。皆さんが日々手にするもので、プラスチックの製品がなんと多いことか、考えてみてください。ペットボトル、ランチボックス、レジ袋や宅配便の包装紙に至るまで、多様な用途に用いられ、多くは使い捨てられているのです。

これほどまでにプラスチックが出回ったのは、人々の生活を便利に快適にする素晴らしい素材だったからです。しかし、それが今、海洋生態系という地球と人類の大切な資源を劣化させようとしています。マイクロプラスチックは有毒な物質を付着させ、魚介類の摂取を通じて、それを食物として取り込む私たちの体にも悪影響を及ぼす危険を孕んでいます。それを防ぐために、さまざまな技術開発が始まっており、自然にもどすことができるバイオプラスチックの開発などがその好例ですが、なかなか現状を大きく改善するには至っていません。これほど安価で便利なものの利用を人間はなかなか抑制することができないからです。

近年、大規模な森林伐採による生物多様性の消失、有毒な化学物質による汚染、過度な開発による河川や湖の枯渇などによって、地球環境は回復不可能なほど劣化してしまっていることが指摘されています。プラネタリー・バウンダリーは、「地球の限界」とも訳されていますが、人類の活動がある閾値を越えてしまった後には取り返しがつかない「不可逆的かつ急激な環境変化」の危険性があることを示す概念で、地球システムにおける9つの限界点を示しています。実はこの指標のうち、気候変動、生物多様性、窒素・リンの循環、土地利用の変化については、すでに限界点を超えたことが明らかになっているのです。この危機に対応すべく日本でも、環境で地方を元気にするプラットフォーム事業として環境省が「地域環境共生圏」作りを奨励しています。地域の有する資源の調査や活用方策の検討等を行い、都市と農山漁村の交流・連携事業、都市鉱山の利活用、食品ロス対策、地域を象徴する生物の保全と連動した農産物のブランド化や観光振興などの地域循環共生圏を創造しようというのです。もちろん、大学はこういった動きの中心になって、これらの活動を推進しなければなりません。そのためには、自然科学だけではなく、人文・社会科学の知を結集し、これまで人類が行ってきた活動を人類史、地球史の観点から検証したうえで、持続的な未来を構想しなければなりません。

昨年、ナイジェリア出身でノーベル文学賞受賞者のウォーレ・ショインカ氏が京都大学を訪れ、話を聞くことができました。グローバル化が進む中で、世界各地で格差が急速に広がり、ヒューマニズムが危機にさらされている、とショインカ氏は危惧を抱いていました。文学は創造的な力を持ち、それは決して科学と矛盾するものではない。どちらも論理的な思考に基づいて世界を解釈し、未来を創造する。文学と科学は互いに補完しあいながら、世界を先導する知的人間にとって欠かすことのできない力であるというのです。その最大の成果がヒューマニズムであり、その危機は、フェイクニュースに代表されるように論理の力が衰えているせいだと思います。膨大な量のデータがあふれ、どれを信頼したらいいのかお手上げになっている情報環境のせいでもあると思います。ヒューマニズムは人間が個として自律していることが前提となっています。だからこそ、個々の人間の尊厳が守られ、自由で平等な社会が模索されるのです。人間の手によって繁殖を操作されて、新しい品種が生み出される家畜やペット動物は、ヒューマニズムの対象としては扱われません。人間にはそうした人間による操作が禁じられているからこそ、生まれながらに自律した個性を持つ存在として尊重されているのです。しかし、最近中国で報告された、出生前に遺伝子編集の施された双子の誕生に見られるように、科学技術によって人間の生得的な能力を操作することは難しいことではなくなっています。やがて遺伝子編集技術によって、人間の間に乗り超えることのできない能力の格差が生まれ、それが人間関係にも大きな影響を与えることが予想されます。人間の能力や資質がデータ化されて外部から操作可能になれば、ヒューマニズムの前提である自律性が成り立たなくなります。これは、人間個人にとっても社会システムにおいても大きな危機となるでしょう。これからは、科学技術に頼るだけでなく、その技術のもたらす効果を予測し、私たちの暮らしに大きな影響を及ぼす地球環境の動態を俯瞰的に見渡しながら技術の導入を検討することが不可欠となるでしょう。明るい未来を迎えるために、新しい思想や技術がどのような産業と結びつくべきか、今注意深く見つめる必要があります。これからの大学はそうした熟慮の協働の中心となることが求められるのです。

京都大学は社会にすぐ役立つ研究だけを奨励しているわけではありません。開学以来、対話を根幹とした自由の学風を伝統とし、独創的な精神を涵養してきました。それは、多様な学びと新しい発想による研究の創出につながり、未来の課題を解決することにつながってきました。みなさんはこれから専門性の高い研究の道へ入られるわけですが、それは狭き道をまっしぐらに進むことを意味するわけではありません。多くの学友や異分野の研究者たちと対話を通じて自分の発想を磨くことが、真理の道へ通じるのです。今日、京都大学の大学院に入学したみなさんも、いつかは自分の専門を離れて別の学問領域に進路を転じる日が来るかもしれません。それもいま自分が選んだ学問分野で成功するのに匹敵する輝かしい飛躍であり、新たな可能性を生み出す契機となると私は考えています。どうか失敗を恐れず、自分の興味関心の赴くままに、研究生活に没頭してください。京都大学はそれにふさわしい環境を提供できると思います。

日本は、博士の学位を取得した学生が産業界に就職しにくいと言われてきましたが、最近は多くの企業が国際化する中で、博士の学位を持つ人材を積極的に雇用する兆しが見え始めています。その流れを定着させるためには大学院在籍中に企業の実践的な現場を知ることが重要で、本学でも産学協同イノベーション人材育成コンソーシアム事業として、多くの企業に参加してもらい、中長期のインターンシップやマッチングを実施しています。社会に出る前に産業界の現場を経験し、自分の能力や研究内容に合った世界を知る機会を拡大しようと考えております。また、国際的な舞台で活躍できる能力を育成するために、海外のトップ大学とダブル・ディグリーやジョイント・ディグリーを増やしています。現在、京都大学はハイデルベルグ、バンコク、ワシントンDCに海外拠点をもち、世界の大学との連携を強めています。すでに京都大学の多くの部局は世界中に研究者交流のネットワークや拠点をもっており、これらの拠点を活用しながら、共同研究や学生交流を高め、国際的に活躍できる機会と能力を伸ばしていく所存です。

このように、京都大学は教育・研究活動をより充実させ、学生の皆さんが安心して充実した生活を送ることができるよう努めてまいりますが、そのための支援策として京都大学基金を設立しています。本日も、ご家族のみなさまのお手元には、この基金のご案内を配布させていただいておりますが、ご入学を記念して特別な企画も行っております。ぜひ、お手元の資料をご覧いただき、ご協力をいただければ幸いです。

本日は、まことにおめでとうございます。

大学の動き